東日本:三陸沖の地震

2012年12月07日 | 出来事 -

夕方頃、三陸沖(東日本) に、大きな地震があった。

岸から離れた沖合が震源地で、M7.3だったようだ。
余震は3年続くというから、おそらくは、そのひとつだろう。


縦揺れからはじまって、横揺れになるまえに落ち着いたが・・・

青森・岩手・宮城では、「震度5」 を観測したようで、
発生当時は 東京も大きく揺れた。
ビックリした。


津波警報が発令されたので、津波の到達時間を、
慌ただしく伝えていた時・・・
「3・11」の時の衝撃がよみがえってきた。
歩くこともできなかった「あの日」よりも、まだ
マシだったとはいえ、「ホント 怖かった・・・」。

「3・11」 の“再来か”と思うぐらいだったが、
三陸沖地震における原発被害はないそうだし、
福島第一原発の被害もないようだ・・・。
良かった。
こんな状態なのに、東日本の被災地には、ちゃんとした
ケアがされておらず、原発の対応も完璧にされていない。
本当に、いつ地震がくるか分からないのに・・・
「放置したままというのは怖いことだ」 と 思う。

現地は、地盤沈下をしている場所もあるそうだ。

関東にいても、こんなに揺れを感じたし・・・
震源地に近い場所で住む方々の想いを考えると、胸が痛い。
避難所暮らしや、仮設住宅などにお住まいの方が、
心穏やかに、慎重に、対処することができますように・・・。
現地に住む何人かの顔が浮かぶ。 



今日、「耐震強化」 について、まじめに話していたので、
このように “大きな地震” を体験するのは非常に複雑だ。

日本は、地震国だけれど、だからこそ“対処していく努力”を
怠ってはいけないと、心から思う。

不思議な現象に驚く私

2012年12月07日 | 自分 -
ほんの数日前には、「咳」 ばかりで・・・
電話中もゴホゴホ、人に心配されるぐらいだった。
相手に悲愴な声で 「大丈夫ですか?」 と 問われるので、
私が異常に明るく 「駄目ですぅ。助けて~!」 と 答えると、
少なからず笑ってくれる・・・。 そんな繰り返しだった。

咳込み、寝られなくなり、初めて身体が悲鳴をあげた・・・。



これまで、幾つもの病院・クリニック・医師を ハシゴしてきた。
そして、今回、(正確には二度目ですが・・・)
相性の良い薬を処方してくれる信頼できそうな医師と出会った。

始めて訪れた時、なんとなく「経験が多い」 という印象と、
町医者的な要素がふんだんにあって、「患者ごとの事情を
とても配慮してくれる医師だ」 と感じた。
それは、医師の性格に由来している。


以前の私の直感を尊重して、今週再び飛び込んだが・・・
「咳止めの薬」 も、「ステロイドの吸入薬」 も、はじめて
こんなに短い時間で効果が顕著に出るものと出会った。

「あう人はあうので、凄く効くから・・・」
そう言われたが、服用してまだ二日ぐらいなのに、実際、
酷く咳込むことが無くなり、苦しみから解放された感じが
していて、ものすごく清々しい。
まるで、自分が別人に生まれ変わったような気分だ。





要因は、「アレルギー」 だから、体力低下とストレスが
原因なので、ある意味では私の「親知らず炎症」 みたいに
疲れたら出てくるものなのかもしれない。
今後、自分の体質として、受け入れなければならない現実だ。

今年、発病したが・・・これから、健康を害したら、
こんな苦しみと闘っていかないといけないのだろう・・・。
免疫力が上がった状態で、心身が元気であれば、おそらく
この病気は現出してこないのだろうと思う。



しかし、今年は、幾つも幾つも、門をぐぐったクリニック、
大学病院・・・、出会った 多くの医師を思い返し・・・
なんだか、すごく楽な気分がしている。
有り難いことだ。
本当に、有り難く、感謝している。



自分の身体のサインを見逃さず、これからは・・・
無理のない生活を重要視していきたい。

もっと、正直に、自分本位に「生きていってもいいんだ」。
今、私は、そんなシンプルな気分で、心が満たされている。