※看護婦さんがお上手で、私の両腕はアオタンだらけ~~!
春からずっと、私が苦しめられたのは、「気管支喘息」。
医院から専門クリニックへわたり、最終的には専門医にかかった。
病院と医師を変えながら、その都度に、必ず弊害を伴いながら、
どうにか 頑張ってきたということだ。 (今も、闘争中!)
私の場合は、かなり こじらせてしまったようだ。
最初は「咳喘息」と言われ、今は「気管支喘息」と言われている。
初期症状であれば、安静にしていれば3日で回復するような病気でも、
私は・・・日々過密なスケジュールのうえ、緊張したメンタル状態で、
「語ること」を辞めるわけにはいかない環境(仕事)が 続いていた。
だから、安易には 治癒しなかったし・・・、(正直なことを言えば)
医師の判断に起因している部分も多々あることは否めない。
どの時期に、どのような治療をしていくのか・・・患者にとっては、
特徴があったり、苦手な薬があったりするので、そういう判断が、
的確にできる医師に巡り合った時、患者は最短時間で治癒にいたる。
私は、そういうベターなケースには、ならなかった。
いつも最悪の方向へ現実がめぐっていき、そのたびに苦しみを伴った。
タイムリーな時期に、的確な判断をして、治療して頂いてこその・・・
「完全治癒なのだ」と思う。
そういう意味では、私は、全ての経緯において、多くの回り道をした。
呼吸器科の専門医にかかったのは、ギリギリの状態だった。
しかし「専門医と言っても、ピンからキリまでいる」と感じている。
日々、「咳」 に苦しみ、苦痛に耐え、夜も寝られない状態で、
その上、食べた物を戻したり、お腹を信じられないぐらい下したり、
あらゆる現象と闘いながらの治療期間だった。
先生いわく、「かなり、こじらせてしまいましたね」ということだ。
その頃、「咳」 による身体の筋肉痛も、ひどくなっていた。
当然、夜も寝られないし、日中も耐えがたい現実ばかりだった・・・。
錠剤で治癒するどころか、副作用に苦しめられ続けて、かえって
体力を消耗していった私は、最終的には、毎日「点滴」に薬剤を投入して、
短期で治してしまうという・・・・本来であれば、やらない方法で、
緊張限りない日々を 乗り切ったのだ。
あの頃、毎日が、努力のかたまりと、ギャンブルのような感じだった。
この期間に経験したことで、あらためて感じたことは・・・・
「心身共に、健康状態を維持することの大切さ」である。
一人で暮らしている “寂しさ” は 全く感じなかったし、
傍に誰もいない “心細さ” も 何も感じなかった。
当然、孤独死するような “不安” も感じなかったけれど、
私が一番嫌いで、苦手なものと日々対峙しなければならなかった。
それは、「苦痛」 である。
深夜の「咳」が ひどくなると、お隣さんも気にならなくなるが・・・
どこまで耐えられるかという時間との戦い(深夜の判断)や、
痛みによって派生する、あらゆるものに対する不快感と嫌悪感だった。
これらは、かなり明確な感情だったと、今更ながら 思い返す。
私の場合は、咳の苦しみだけではなく、胃痛や、お腹の膨張感、
頻度の凄い下痢など、内臓の異変にまで及んでいた。
私よりも酷い喘息患者は、呼吸することの困難さに苦しみ、
呼吸できなくなる恐怖と、日々、闘っているということだった。
昔の喘息患者は、その苦しみに耐えられず、屋上から飛び降りた人も
いたと、そんな過去話を医師から聞いた。
しかし、今や、呼吸器系の病気は、「負ける」だけではなくなった。
そのことは、希望そのものだという・・・。
私は、アレルギー系の気管支喘息だから、一定の時期がきて、
治療がうまくいけば、完全に落ち着いてくる病気である。
しかし、呼吸器系というのは、肺が中心の悪性腫瘍などが多く、
確率などからいうと、これまでは「負ける」ことが多かったのだろう。
患者が治癒して、病院を元気に退院しなければ、医師としては
心残りな結果になるのだろう・・・と思う。
※医師の言葉を、そのまま引用して「負ける」と書いているが、
私自身には、この言葉は適切ではないという想いがあり、
書きながらも違和感がある。
今回の病気により経験したことで気がついたのは、
私にとっての 「苦痛」 や 「痛み」 のような感覚は、
絶対的なものなのだーということだ・・・。
それは、生涯、はじめて経験した “発見” で、
予想はしていたものの、「やっぱりなぁ」という結論に至った。
若い頃には、しみじみと思い至ることもなかったことだ。
「息が絶えること」よりも さらに 怖いと 感じていることが、
身体的な 「苦痛」 や、耐えられない 「痛み」 なのだと思い知った。
私は、「死」を迎えることは 全く恐いとは思わない。
誰もが通る道だと感じているし、そのこと自体は崇高な瞬間だと
いう印象も持っている。しかし・・・その際に・・・・
痛みに耐えるのも嫌だし、その痛みがずっと続くのも嫌なことだ。
今回の病気の件を思い返してみると・・・
基礎体力があって、過重労働をしていなくて免疫力があったら、
こんなに酷くなることはなかっただろう。
しかし、だからこそ、日々の健康を過信していた私に、
あらためて「自分の身体の声を聴いてあげる作業」を思い出させ、
無理をしないスケジュールと、生き方に返還していく決心 を
呼び覚ましてくれたようだ。
何の楽しみもなく、働くだけの日々は・・・
私自身の心の豊かさを追求する欲望さえも、削ってしまっていた。
私の人生の中に、私自身が存在しなければ・・・
切ないだけであるし、私自身が満足していなければ、哀しいだけだ。
春うららかな時期、
父の「命日」が近づいていた頃に、
このようにして、厳しい初体験の病気にかかってみて、
たくさんのことを感じさせてもらった。
その大いなる気づきを基に、私のこれからの人生を、少しずつ
豊かなものとするように、努力していきたいと感じた。
具体的に 何をするかということは、まだ未定なれど・・・
時間を費やして、いろいろな選択肢を考えていきたいと思っている。
とにかく、「自分を大切にしていなかったこと」 や、
「自分の健康を過信していたこと」 ・・・・・そして、
「無理な日々に目をつむって、何の努力もしなかったこと」 は・・・
大いなる反省点だと、深く感じた。
自分で、自分の人生を (無関心なように) 放置していたのだ。
これらは、重要な収穫だと思っている。