不思議な現象に驚く私

2012年12月07日 | 自分 -
ほんの数日前には、「咳」 ばかりで・・・
電話中もゴホゴホ、人に心配されるぐらいだった。
相手に悲愴な声で 「大丈夫ですか?」 と 問われるので、
私が異常に明るく 「駄目ですぅ。助けて~!」 と 答えると、
少なからず笑ってくれる・・・。 そんな繰り返しだった。

咳込み、寝られなくなり、初めて身体が悲鳴をあげた・・・。



これまで、幾つもの病院・クリニック・医師を ハシゴしてきた。
そして、今回、(正確には二度目ですが・・・)
相性の良い薬を処方してくれる信頼できそうな医師と出会った。

始めて訪れた時、なんとなく「経験が多い」 という印象と、
町医者的な要素がふんだんにあって、「患者ごとの事情を
とても配慮してくれる医師だ」 と感じた。
それは、医師の性格に由来している。


以前の私の直感を尊重して、今週再び飛び込んだが・・・
「咳止めの薬」 も、「ステロイドの吸入薬」 も、はじめて
こんなに短い時間で効果が顕著に出るものと出会った。

「あう人はあうので、凄く効くから・・・」
そう言われたが、服用してまだ二日ぐらいなのに、実際、
酷く咳込むことが無くなり、苦しみから解放された感じが
していて、ものすごく清々しい。
まるで、自分が別人に生まれ変わったような気分だ。





要因は、「アレルギー」 だから、体力低下とストレスが
原因なので、ある意味では私の「親知らず炎症」 みたいに
疲れたら出てくるものなのかもしれない。
今後、自分の体質として、受け入れなければならない現実だ。

今年、発病したが・・・これから、健康を害したら、
こんな苦しみと闘っていかないといけないのだろう・・・。
免疫力が上がった状態で、心身が元気であれば、おそらく
この病気は現出してこないのだろうと思う。



しかし、今年は、幾つも幾つも、門をぐぐったクリニック、
大学病院・・・、出会った 多くの医師を思い返し・・・
なんだか、すごく楽な気分がしている。
有り難いことだ。
本当に、有り難く、感謝している。



自分の身体のサインを見逃さず、これからは・・・
無理のない生活を重要視していきたい。

もっと、正直に、自分本位に「生きていってもいいんだ」。
今、私は、そんなシンプルな気分で、心が満たされている。

18代目中村勘三郎 一代記

2012年12月06日 | 人物 -

今朝は、18代目勘三郎氏のニュースと、ご子息二人の取材が、
のきなみ並んでいる。
テレビでも、ずっと放送が繰り返されている。
歌舞伎界だけではなく、様々な世界に飛び込んで、とにかく
人気のある歌舞伎俳優だったから、当然のことだ。

TVでは「10月半ばが最後の交流だった(会話が最後)」 と
二人の息子さんが語り、父が逝った晩も「たまたま帰宅した」 と
不思議な出来事を披露していた。
偶然が引き起こしたことだったとは、思えないぐらいの偶然!
これは、必然だ。



ご長男は31歳。
「勘九郎襲名公演」ということで、二人はまた京都へ・・・・。
“親の死に目にも会えない” のが “役者の世界” だけれど、
二人は、偶然のことで看取ることができたようだ。


ご長男:勘九郎さんのしっかりとした口上に、囲み取材の笑顔は、
とても素敵な光景だった。
勘三郎さんは、本当に「いい家族をつくった」と思った。



歌舞伎界の世界で、ちゃんと男の子を二人も産んでくれた妻。
明るく、かわいい女の子の話をしても、おおらかな心で受け止め、
仕方ないわねぇ的に笑っている “腰の据わった人” だったのだろう。
奥様も、子供の頃から「歌舞伎界」で育ったので、何よりも
「歌舞伎」というものを知っていたからこそのサポート。
奥様:好江さんの存在は、大きかったと思う。
家の柱となって、支えていたのだ。
共通の目的を持ち、お互いを必要としていた夫婦だったのだと思う。


現在の市川団十郎さんのように、芸を教わる前に父が逝くことも
あるけれど、勘三郎さんは二人の息子に たくさんの経験をさせ、
中村家を守っていく自然な繋がりをつくってきた。
荒れた親に育てられると、荒れることが多いが・・・
中村勘三郎さんは常に明るく、芸を追求する生き方だったから、
何よりも二人の息子さんは「父の気概」を感じとってきたと・・・
そう思う。



父の偉大さに反抗するかのうように「勘三郎襲名」を拒否してきた
18代目勘三郎さんが、襲名したことそのものが “ 心の雪解け ”を
意味していたのではないかと 今更ながら思う。

そのことも、二人の息子さんは、すぐ傍で 見てきた。
海外公演も一緒に行ったし、トラブルがあっても 父は矢面に立ち、
中村家を(誠意を持って) 守り通した。



舞台に生きた印象が強いけれど、人間的な魅力で、歌舞伎界に
新風をまきこんで、新しいファンを開拓した。

演劇界の垣根も、ひょいと飛び越えて、舞台に精力を注いだ。
なかなかできることではない・・・。
日本中どこでも興行に行くのが歌舞伎界の役者さんだけれど・・・
自分から新しい繋がりと企画にも取り組んでいたし・・・
そういう意味では、全てが精力的だった。
パワフルだった。

人間のもつエンジンがあるとしたら、それを短い時間で使い果たし、
人々に記憶を植えつけた・・・という印象だ。

私にとっては、18代目勘三郎は、やはり「勘九郎」のイメージが
強いけれど、あとはご長男が引き継いでくれる。
そんな気がする。

寝不足と体力低下の私

2012年12月05日 | 出来事 -

今日は、会社の前のイチョウ並木が、特に綺麗だった。
久しぶりに、青空を背負った「イチョウの葉」 を撮影。
まったりとした美しさを、暫し眺めた。


こんなことをしていながら、実は、我が体調はシリアスで・・・
また、風邪ひいちゃったかも・・・あるいは、体力低下で、
「咳が出て、苦しい」 という今年春と同じような状態に陥る。



昨日は(いつもよりも早い時間に会社に向かったのに)電車が遅れ、
今日は(体調が最悪で)気分がすぐれず、ついに頭痛がしてきたので、
午後2時ごろにタクシーで、急遽 [帰宅] 。
その時に、とても親切な運転手さんに遭遇した。
我が会社前から、自宅前につけてもらったのだが・・・
すごい荷物で、それも精密機器関係だったので、運転手さんが
エレベーター前まで 荷物を運んで下さった。
「有り難かったなぁ」。
こういう・・・ちょっとしたことが、何よりも有り難く感じる。
 (私にとっては、ちょっとしたことではないから・・・ネ)

体調の悪い時だからこその「温情」・「親切」 は、感動的だ。



呼吸器科のクリニックに行った。
咳止めの薬を処方してもらったが、今回の先生はいい感じだし、
あったかい雰囲気がするし、経済的なことも皆に配慮してくれる。
「この薬は高いから、きかないと無駄になるから・・・」 と、
とても気を遣ってくださる。
有り難い。
こういうのも、しみるなぁ・・・。
結局、レントゲンを撮影して、やはりアレルギー性の「咳喘息」と
いうことで、今までの薬よりもきくというものを頂いてきた。



私は、今、本当に、疲れているようだ。

自分でも認識はあったが、身体がさらに教えてくれている。



疲れと寝不足も原因だが、先週末に、二日間ほど朝から晩まで
ヘビースモーカーさんと一緒にいたことが、影響しているようだ。
それも「ハイライト」 という煙草で、ものすごい量を吸っている。
喫煙者は、禁煙者の辛さを、あまり感じていない人もいる。
私も、実は「気にしないようにしていた人」だったのだけれど、
こんなに気管支が弱くなって、すぐに “ 咳 ” がでるようになったら、
それは・・・なかなかキツイものがある。



先生に、言われた。
「煙草と線香は、気をつけるように!」
「隣で吸われたら、辞めて下さい・・・って言わなくっちゃ!」

“ そうか、そういうものなんだなぁ~ ” と、改めて思い知る。



まずは、「 寝る 」 ことからはじめよう。
先生には、「とにかく、休むことが一番だよ!」 と言われた。
今日出会ったタクシーの運転手さんの親切さを感じながら・・・
「一週間の辛抱だよ」 という先生の言葉を信じて・・・
どうにか、こうにか、「そこそこ やり過ごそう」 と思う。

抵抗力のなくなった状態では、他の病気も取り込んでしまう。
今は、基礎体力をあげて、免疫能力を蓄えなければ・・・。

しみじみと思い知らされる現実だ。

「平成中村座」の勘三郎さん

2012年12月05日 | 人物 -

「第18代目勘三郎、今朝、死去 」 というニュースを観て、
ビックリしてしまった。

最近の情報誌で、かなり厳しい病状との記事が出ていて、
「そんなことはないだろう」 と、勝手に思っていたが・・・
残念である。



偉大な父:勘三郎氏を慕い、歌舞伎界に “新しい風” を
吹き込んだ勘九郎さんが、「18代目 勘三郎」を襲名した時、
誰よりも感無量だったように感じた。

若い頃の「破天荒」な生き方や、いろいろな場所で
お見かけした人情あふれる性格が、一番強く思いだされる。
友人が経営していたお店でも、女優さんをひきつれて、
よく飲みに来ていた。


こんな時に、こんなことを書いてはいけないが・・・
若い頃の「文学座の大女優との大恋愛」には、幼いながら、
ものすごい熱いモノを感じて、人の心の結びつきなどを
知ることになった。 情念のような強い気持ち・・・。
 (あの頃は、あまりわからなかったけれど・・・)



一般的に・・・
その人が、心から「愛する人」や、「選択すること」で、
その人の様々なことが 想像できるものである。


素晴らしい歌舞伎界の業績と、素敵な家族をつくり、
「これから活躍する年齢になった」ばかりだっただけに、
ご本人も無念だったことだろう。
ご長男のお子様を抱かれたことが何よりも良かった。
家と血脈が繋がっていくことは、歌舞伎界では大切なことだ。



なんとなく、生き急いだ感じがする。

若い頃から、お酒もあびるように 飲んでいた。

興味あることは、あれこれ~と、果敢にチャレンジして、
新しい事をつくり上げてきた人だから、歌舞伎界に与える
影響も大きいし、舞台業界にも大きな激震が走ることだろう。

わずか、57歳。

本当に、「これから」だったのに・・・。

ご冥福をお祈りいたします。

「 老朽化対策 」 の必要性

2012年12月03日 | 出来事 -

高度成長期時代に造られたトンネルの天井が崩落して、
大きな事故となった。 (中央道:笹子トンネル)

この時期に創設されたトンネルは、日本の中で23%になる。
今回は稀有な事故だとは思うけれども、それでも心配だ。
他にも、同じような構造の吊り天井式のトンネルはあるらしい。

30年、40年前につくられた・・・・ということは、
かなり前で、単純に考えただけでも、「メンテナンス」 が
必要な時間が過ぎているということだ。



我が田舎の実家の家 (二階建ての日本家屋) も・・・古い。
本当は、手をかけるべき時間が、すでに過ぎてしまっている。
おそらく、少しずつでも修繕をして、リフォームしていくのが、
必要になってくる。
これは、これからの “切実な問題” である。



また、人間もそうで、ちょっと「疲れた」 と思った途端・・・
過去の持病が出てきたりするので、基礎体力をかためて、
心身共に「健康的な生活」 を過ごしたいものである。
これから、万病のもと 「風邪」・「インフルエンザ」 が、
猛威をふるう季節となる。

今日のように、肌寒い日は、わんこや にゃんこのように、
丸まって寝ていたい・・・。
それが、実は、人間のメンテナンスだったりして・・・。



「老朽化」 は、いたるところに存在する。

北ウイングの 「師走」 風景

2012年12月02日 | 雑感 -

「 あれれ、ポインセチアだ。早いんじゃないの~? 」

でも、考えてみれば・・・もう12月なんだョネ。
もう・・・今年も、あと一カ月なんだ・・・。



これは、羽田空港:北ウイングの出口付近の風景。

飛行機を降りて、出口に向かう道にも、ポインセチアが、
ずっと並んでいて、赤い色が鮮やかだった。
帰りに、お花屋さんの店先をのぞいたら、まさに
ポインセチアとシクラメンばかりで、「師走」を感じるばかり・・・。

もう、そんな季節なのだと、明らかな「時の流れ」を感じては、
何となく焦燥感に似た “慌ただしさ” を感じた。

正直に言うと、ほんの少しだけ・・・ため息が出た。

でも、“頼れるのは自分だけ” だから、気を引き締めて、
「日々を 着実に 超えていこう 」 と思う。