頑固爺の言いたい放題

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魏志倭人伝は書き換えられた!

2016-10-09 13:42:56 | メモ帳

魏志倭人伝を読み解き邪馬台国の場所を比定する作業において、最大の難問は狗邪韓国→対馬国→一大国(壱岐)→末蘆国(松浦郡唐津市)→伊都国(糸島市)→奴国→不彌国までは各国間の距離を示しながら、その先の不彌国→投馬国→邪馬台国に至る道程に関しては、所要日数が示されていることである。旅行記の記述としては不自然だ。過去三百年間、数多の学者・研究家がこの難問を解こうと試みてきたが果たさず、いまだに邪馬台国の所在地を特定する結論は出ていない。

ところが、「邪馬台国は熊本にあった!」(扶桑社 2016年9月)の著者、伊藤雅文氏は「不彌国→投馬国→邪馬台国の部分は、宋代(5世紀)に写本に携わった人によって改ざんされた」と推測する。すなわち、「原本は不彌国→投馬国→邪馬台国の部分も距離で示されていたが、≪ある事情≫のために、それが間違いではないかと誤解され、所要日数に書き換えられた」という仮説である。その≪ある事情≫は伊藤説の根幹であり、ここでそれについて述べることは推理小説の書評が真犯人を暴露するようなものだから差し控える。

ともあれ、自説に都合がいいように改竄を主張するのであれば取るに足らないが、伊藤氏は改竄されたという推測の根拠を論理的に説明している。そして、「改竄」にはネガティヴな語感があるが、伊藤氏は「間違いを訂正してやろう」という善意に基づくものだったと主張する。

伊藤説の発想がユニークな点は、不彌国→投馬国→邪馬台国行程を所要日数でなく距離で示していることだが、その仮定をベースにして、伊都国(糸島市)から邪馬台国に至る行程を地形と遺跡に頼って推理し、各国間の距離を推定しつつ、邪馬台国は熊本平野の北部に存在したという結論を導き出した。

伊藤説も既存の諸説と同様、仮説をベースにした推理に過ぎないが、説得力と言う観点でかなり質が高い意見だと評価する。