「あいちトリエンナーレ2019」が中止になった。なんとも後味が悪い幕切れである。その経緯につては、マスコミが色々な視点から論評したので、今さらその可否を論じるつもりはない。しかし、私がおかしいと思っていたことについては、マスコミは触れていないので、その点に絞って論じたい。
この少女像が韓国の慰安婦像の模倣であることには、誰しも異論はないと思う。したがって、パクリを芸術作品として展示したわけだ。ことによって、この少女像は韓国から借りてきたのかと思ったが、日本に製作者がいるらしい。原作者からクレームがくることはないだろうが(笑)、だからといってパクリ作品を公的な芸術展に展示しようと考える神経も、またその展示を許可する神経も理解できない。
または、この展示会は“なんでもあり”だったのかと思って、「あいちトリエンナーレ2019」をネットで調べてみると、ちゃんと“国際芸術祭”と銘打っている。ということは、少女像は“芸術”だということになるが、“表現の自由” を論じる前の段階で、この少女像はアウトなのでないか。
ところが、少女像をパクリだと非難したマスコミはなかった。頑固爺の価値観が狂っているのか、それともマスコミの価値観が狂っているのか。不可解である。
怒りであれ,哀しみであれ,それを輝く形で変えないといけないのです。
芸術家の仕事は,ふだん人が見過ごすようなところに美を見いだすことだとも教えていただきました。
例を挙げればモネの「藁によ」「日の出の印象」など,人が見過ごすような日常の断片を光輝く色使いで,見事に表現しています。
昭和天皇の肖像を燃やすところとか,表現の自由に名を借りたテロといっても過言ではない。
それとこのイベントの中止理由が「ガソリンまくぞ」といった脅しに屈したことだ。
模倣作品ということで盗作ということになります。
一時期,絵を描いていたのですが,このことは徹底的に教えられました。