黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 2 ・ 多賀城紀行(東北歴史博物館・サングラス土偶)

2020-03-21 15:22:43 | 奥州紀行

ひめちゃんは、お医者で痛み止めの注射をしてもらって、落ち着きました。

痛みをこらえて、お散歩していた昨日の写真です。

ちょっと物憂い表情です。

昨日は祝日で動物病院はお休みでした

今日はやっていてよかったね

 

ひめちゃんちに、椿・玉の浦が、今期初めて開花しました

今年は花芽が、とても少ないです

お手入れが必要かな?

お名前知れずですけど、桜も開花しました

葛塚の春も満開に近づいてきました

 

 

 

東北歴史博物館で、復興祈念特別展「東大寺と東北」を見た後、常設展に行きました。

意外なものを見つけて、思わず「写真撮っていいですか?」

「フラッシュをたかなければいいですよ。」

 

サングラス土偶です

正式には遮光器土偶(しゃこうきどぐう)といいます。

まるでサングラスをかけているような、不思議な形をしています。

衣類の模様も、現代に通じそうなデザインです

完全な形はめったにないといいますけど、2体ともほぼ完全に近いです

 

群馬県では、2016年の秋に、遮光器土偶の一部が発掘され、公開されました。

その時に、渋川市北橘町の発掘情報館まで、行ってきました

実物大モデルは、東北歴史博物館の図録とあります

 

破片ですけど、確かにサングラスかけてます

説明は、さらにロマンいっぱいでした

入手困難なブランド品ともいえる、北東北地方のオリジナルの遮光器土偶が、400kmも離れた西群馬の遺跡から出たのです

新幹線なんかなくとも、直接か間接かわからないけれど、400km離れていても、交易していたのです

文化は西からき来ただけでなく、北からも来ていたのです

 

 

多賀城碑のレプリカを確認してから、そとの古民家に行きます。

 

東北歴史博物館には、多賀城碑のレプリカがあります。

本物の雰囲気を壊さず、なお分かり易く復元されています

本物は、去年(2017)行きましたが、覆屋の中で薄暗いので、文字までははっきりわかりませんでした。

碑を見ながら、開設が見られるのは、とてもいいです

今年(2018)も行きます

 

ひめちゃんちの近くにある山上多重塔も、新里村の時代に、役場前にレプリカが建てられました。

コンクリート製の味気ないもので、最初は「何だろう?変なものがあるな

人に言われて、初めて認識しました。

今でもあります。

おそらく誰も気に止めていないでしょう。

桐生市になってしまったので、このまま捨て置かれるでしょう

もっと魅力的な山上多重塔のレプリカが、上野第四の碑にふさわしいレプリカができるといいですね。

 

いいお天気なので、来るとき見えた今野家住宅のほうにまわります。

横目には何度も見ていますけど、訪れるのは初めてです

 

 

 

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奥州紀行総集編 1 ・多賀城紀行(東北歴史博物館・重源上人)

2020-03-21 13:48:50 | 奥州紀行

ひめちゃんは、首の痛みを訴えて、動物病院に行ってきました。

特に傷等はなく、鎮痛の注射とお薬をもらって帰ってきました。

2、3日前、ひめちゃんには首を痛めるような出来事があったのです

ひめちゃんは、驚異のジャンプ力の持ち主です。

なかなか、現場写真はありませんけど、一昨年の11月の写真です。

それを忘れた家族が、ひめちゃんをミニドッグランのフエンスの外側につなぎました。

ミニドッグランには、犬猿の仲ののこねーちゃんいたのです

気がつくと、ひめちゃんはフエンスを飛び越えて中にいました

リード付きでハーネス付きで、きつかったようです。

いわば首つりをしてしまったのです

連休中の土曜日、動物病院に☎すると、診療中とのことです

よかった

お薬を飲んで、何日か安静に過ごすようにとのことです。

七海ママとお散歩するくらいでいいかな

 

 

 

ここ数年、年に 1 ~ 2 回、命の洗濯に仙台に行ってます

遠い昔、青春を仙台に埋めてきました。

第二の故郷が持てたことは幸せだと思います。

そして遅ればせながら、仙台で4年間過ごさせてくれた実家の両親に感謝です。

残念ながら、直接「ありがとう」と、もう言えません

そして、実家のご先祖様にも感謝です。

 

2018年6月19日~22日に、仙台を中心に少し動き回りました。

その時の記憶を、奥州紀行総集編という形で、残しておこうと思います。

ひめちゃんたちの記事は、もちろん最新版です

時折、葛塚や山上の話題も挟み込みながら、しばらく「奥州紀行総集編」です。

よろしく、お付き合いくださいませ

 

 

 

新幹線で仙台駅に着いて、コインロッカーに荷物を預けて、そのまま国府多賀城駅に向かいます。

仙台市内までの切符だから、国府多賀城駅で精算します。

 

駅を出ると、すぐに東北歴史博物館です。

企画展「東大寺と東北」を開催中です。

入り口前のいつもは無人の休憩所も、今日は人がいます

やはり、中高年が多い

 

入り口には、大きな大仏の右手があります。

大きい

この企画展の為に作ったのかな?

 

重源上人像があります。さかんにカメラをむけているおばさんがいます。

いいのかな?

会場前でよくみると、復刻とあります。

企画展の図録によると、

治承四年(1180)源平の争乱により、東大寺は大仏殿をはじめ、寺内堂塔伽藍の多くが焼失しました。復興には後白河法皇や後鳥羽上皇の援助のもと、多くの人が力を合わせて取り組み、その財源として奥州藤原氏や源頼朝を通して東北地方の金が注目されました。中心となって復興事業を進めたのは、大勧進重源上人(ちょうげんしょうにん)でした。

 

どうも「復興」と「勧進」がキーワードのようです。

そして、そのために上人はここにいるのです

 

「勧進」とは、「寺院の建立や修繕などのために、信者や有志ものに説き、その費用を奉納させることをいう。(ウィキペディア)」だそうです。

東大寺は、今勧進の必要はないでしょう。

勧進の必要があるのは、東北です。

そのために、大勧進重源上人がここにいるのです

 

企画展の内部は撮影禁止でした。

 

常設展の方にいきます

 

 

 

 

 

 

 

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