ひめちゃんは、昨夜大脱走しました
ここのところ、ハイシニアの七海ママと小次郎パパが、晩ご飯の後にそこらまでのちい散歩をしています。
いつの間にか、みんなが寝る前のちい散歩をするようになっていたのです。
帰ってきて、ハーネスをはずしてもらった瞬間に、ひめちゃんは大脱走したのです
大脱走と見せかけて、居間の前に出現、「入れて、入れてよ」
昨夜は室内犬で過ごしました
朝一で、パパ&ママと軽めのお散歩です
帰ってきて、待っていた獅子丸と、2度目のお散歩です。
獅子くん、今朝はじゃじゃ馬の妹をやさしく見守るお兄ちゃんでした
菜の花の向こうの豚舎のあたりは、葛塚城堀之内の内曲輪です。
(2018年6月19日)今野家住宅から東北歴史博物館・脇を通って、多賀城廃寺跡を目指します。
坂がきつい
特別史跡多賀城廃寺跡です。
国府多賀城にあったのに、国分寺ではありません
けれども、ここに壮麗な国府付属の寺院があったのです。
堂宇の跡が復元されています。
史跡巡りのおじさんおばさんが、何人もいました。
黒柴を連れたおばさんもいました
地元の人々の、散歩ルートでもあるようです。
子どもたちもいます
緑いっぱいの史跡で、市民も訪れる所のようです
出口がわからなかったので、入り口に戻り、北にある多賀神社をめざします。
上り坂の脇に、紫陽花(あじさい)が咲いていました
悠久の時が流れる空間には、最新品種ではなく、普通の紫陽花が似合います
道なりに登って行くと、多賀神社がありました。
説明板由緒によると、
この地は、かつて陸奥国多賀郡の中心地で陸奥国府鎮護寺の境内にあり、当時赴任に赴いた国司、開拓移民が崇敬していた江州多賀神社(現滋賀県多賀神社)を遷祀したとされている。~中略~しかし、朝廷が陸奥征服を果たし、軍事拠点であった多賀城の繁栄も途絶えるに伴い、当社の所在も不明になるほど一時衰退した。
そして、明治時代に復活して、多賀城廃寺の東基壇上に鎮座し、史跡公園の整備でここに移転したということです。
ここに来て、間もないのですね
でも、山神と刻んだ石造物もあったので、それなりの場所だったのでしょう。
あれ、多賀城廃寺跡の駐車場です
付近の地図があります
入り口(裏口)が小さいけどあります。
説明板もこちらの方が、劣化がウチバです。
廃寺跡を横断して、博物館のほうに向かいます。
博物館は閉館間近で入館禁止でした。
素通りして駅に行けません
何度もきていますけど、始めて南側に出ました。
今野家住宅も見えます
モダンとレトロが溶け合った風景です
博物館の西を通って、国府多賀城の駅に向かいました