黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 4 (多賀城紀行・多賀城廃寺跡)

2020-03-23 16:02:40 | 奥州紀行

ひめちゃんは、昨夜大脱走しました

ここのところ、ハイシニアの七海ママと小次郎パパが、晩ご飯の後にそこらまでのちい散歩をしています。

いつの間にか、みんなが寝る前のちい散歩をするようになっていたのです。

帰ってきて、ハーネスをはずしてもらった瞬間に、ひめちゃんは大脱走したのです

大脱走と見せかけて、居間の前に出現、「入れて、入れてよ

昨夜は室内犬で過ごしました

朝一で、パパ&ママと軽めのお散歩です

帰ってきて、待っていた獅子丸と、2度目のお散歩です。

獅子くん、今朝はじゃじゃ馬の妹をやさしく見守るお兄ちゃんでした

菜の花の向こうの豚舎のあたりは、葛塚城堀之内の内曲輪です。

 

 

(2018年6月19日)今野家住宅から東北歴史博物館・脇を通って、多賀城廃寺跡を目指します。

 

坂がきつい

特別史跡多賀城廃寺跡です。

国府多賀城にあったのに、国分寺ではありません

けれども、ここに壮麗な国府付属の寺院があったのです。

堂宇の跡が復元されています。

史跡巡りのおじさんおばさんが、何人もいました。

黒柴を連れたおばさんもいました

地元の人々の、散歩ルートでもあるようです。

子どもたちもいます

緑いっぱいの史跡で、市民も訪れる所のようです

 

出口がわからなかったので、入り口に戻り、北にある多賀神社をめざします。

上り坂の脇に、紫陽花(あじさい)が咲いていました

悠久の時が流れる空間には、最新品種ではなく、普通の紫陽花が似合います

 

道なりに登って行くと、多賀神社がありました。

説明板由緒によると、

この地は、かつて陸奥国多賀郡の中心地で陸奥国府鎮護寺の境内にあり、当時赴任に赴いた国司、開拓移民が崇敬していた江州多賀神社(現滋賀県多賀神社)を遷祀したとされている。~中略~しかし、朝廷が陸奥征服を果たし、軍事拠点であった多賀城の繁栄も途絶えるに伴い、当社の所在も不明になるほど一時衰退した。

そして、明治時代に復活して、多賀城廃寺の東基壇上に鎮座し、史跡公園の整備でここに移転したということです。

 

ここに来て、間もないのですね

でも、山神と刻んだ石造物もあったので、それなりの場所だったのでしょう。

 

あれ、多賀城廃寺跡の駐車場です

付近の地図があります

入り口(裏口)が小さいけどあります。

説明板もこちらの方が、劣化がウチバです。

 

廃寺跡を横断して、博物館のほうに向かいます。

博物館は閉館間近で入館禁止でした。

素通りして駅に行けません

何度もきていますけど、始めて南側に出ました。

今野家住宅も見えます

モダンとレトロが溶け合った風景です

 

博物館の西を通って、国府多賀城の駅に向かいました

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする