夕方、ほとんど雪が上がりました
積もっていた雪もだいぶ溶けました
ひめちゃんは小次郎パパと、諏訪神社の方にお散歩です。
右上の桜の木が見えるところが、諏訪神社です。
諏訪神社、三の鳥居からの風景です。
花散らしの雪にはならなかったようです
誰か通ったのかな?
ひめちゃん、赤い椿似合うよ
新着記事です
『桐生老談記』では、天正11年(1583)、上野国膳の城主・膳備中守は、小俣城攻撃の中で大手を担当し、笛吹坂で討ち死にしたことになってます
一般的には、元亀3年(1572)搦手の暗闇沢(くらみざわ)で討ち死したといいます。
小俣の笛吹坂って、何処だろう?
いろいろ検索すると、鶏足寺の南の方に、笛吹山恵性院(ふえふきざんえしょういん)があります。
鶏足寺に行くときに通ってます
お使いついでに、ちょっと確認して来ましょう
3月22日、渡良瀬川を渡り桐生川を渡り、恵性院の駐車場に到着です。
ちょうどお彼岸の最中で、お墓参りの人がたくさんいます。
広大な墓地を有する、大きなお寺のようです。
鐘楼堂の隣に、水子地蔵尊です。
霊場ご本尊のはずです。
本堂です。
笛吹山の山号があります。
さて、御朱印をいただきましょう。
庫裏を尋ねると、「御朱印はやめちゃったんですよ。」
「ええ」
「あの、では有名な石造の碑は、何処ですか?」
「ああ、稚児の碑(ちごのひ)ですね。坂を登っていくと、道が2つに分かれます。左に行くと、覆屋の中にあります。」
「ありがとうございます。それから、三つ葉ツツジは、咲いていますか?」
「さあ、確認していません。」
「今年は早そうなので、車を置かせて頂いて、確認にいってみますけど。」
とりあえず、本堂の東の坂を登ります。
かなり広大な墓地です。
分かれ道に来ました。
左に行けと言われましたけど、右に赤い大きな覆屋のようなのがあります。
ちょっと行ってみました。
やっぱり違いました。
中には、二十二夜塔でした。
それにしても、たくさんの五輪塔です
来た道を引き返すしか、分かれ道には行けません。
汗を掻きつつやっと戻り、左の道を辿ります。
ありました
確かに文字がありますけど、写真では判読不能です。
いろいろ検索した結果のお話です。
昔、足利の鶏足寺の末寺明月院に「信光」という修行僧がいました。京都から明月院に預けられていた彼は、毎晩故郷の家族を思い出して笛を吹いていました。彼の美しい笛の音は、明月院の近くに住む豪族の娘「菊江姫」の心を捕らえ、彼女も笛の音に合わせて琴をひくようになりました。やがて二人は逢瀬を重ねるようになりましたけど、許されることではありませんでした。二人は強引に引き離され、信光は重病にかかり死んでしまいました。その後、二人が逢瀬を重ねた坂を笛吹坂と呼ぶようになりました。
近くに、笛吹童子供養塔とあり、御詠歌もあります。
稚児の碑には、たぶんそのようなお話が刻んであるのでしょう。
稚児の碑の隣は、法印尊光の墓です。
仏手山の末寺明月院の主で、延文5年(1360)に「稚児の碑」を建てた人です
西の方には、桐生の町が見えます
この辺りが、笛吹坂なのですね