黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 6(陸奥国分寺・尼寺ガイダンス施設)

2020-03-25 21:38:51 | 奥州紀行

昨夜はとっても寒かったです。

ハイシニアの七海ママと小次郎パパは、昨夜から服を着ていました。

今朝は、ペアルックでお散歩です

この冬は、何度かこんな様子が見られました。

ひめちゃんと獅子丸は、第 2 陣で堀之内を北に出ます。

 

やはり赤城山は白かった

不思議な形の雲が浮かんでます

 

 

2018年6月20日、郡山遺跡に行った後、仙台駅に戻り、「るーぷる」(市内観光バス)と地下鉄の共通乗車券を買いました。

朝の「るーぷる」は込んでいるので、まず地下鉄で陸奥国分寺に行きます。

薬師堂駅で降りると、大きなきれいな案内板があります。

国分寺目指していくと、赤い目立つ建物が見えます。

途中にも、案内板です。

わー、心字池(しんじいけ)があるんだ

 

直進して、陸奥国分寺・尼寺ガイダンス施設をめざします。

 

天平回廊がきれいにできあがってます

昨年(2017)来た時はまだ工事中で、雑然としていました。

奥にガイダンス施設もオープンしていました。

昨年は開設準備中でした。

「こんにちは

ボランティアガイドさんが待ってました

雨のせいか他に訪問者はなく懇切丁寧に解説してくれました

 

天平13年(741)国分寺・国分尼寺の創設の詔が発せられます。

仏教によって国を治めるために、60余国ごとに七重の塔1基を造り、僧寺と尼寺を設けるようにとの詔です。

 

陸奥国分寺の復元図です。

壮麗な国分寺があったのです

朱をふんだんに使った天平というイメージです。

 

陸奥国分寺と国府多賀城の間は約10km、普通は国府に近い所が選定されるそうです。

多くの国では4km以内だそうです。

 

上野国分寺跡と(推定)上野国府跡もそんなには離れていません

 

解説パネルでは、「陸奥国特有の理由があったと考えられる。」としています。

陸奥国特有の理由、知りたいですね

 

国分寺の河原の供給源について説明があります。

国分寺がここに建立されたのは、この供給源(台原、小田原窯跡群)のⅠも関係しているらしいとのことです。

 

地下鉄工事で掘ったので、色々出てきたのだそうです

奈良のイメージの河原もあります。

 

東北大震災が起こったときに、千年前にもこのような大地震がおこったとして、貞観地震が話題になりました。

貞観地震についても取り上げられています。

貞観11年5月26日、旧暦ですからちょうど今頃の季節です

今回の震災は、群馬でもかなりの揺れと被害が出ました。

ひめちゃんちのおかあさんは、あの日、桐生の織物参考館紫(ゆかり)にいました。

ちょうど、売店でお会計をしているところでした。

店員さんが、「この建物は古いから崩れるかも知れません外に出ましょう。」

売店にいた人みんなが外に出た瞬間、建物は崩れ落ちました

そのまま中にいたら、建物の下敷きになっていたのです

 

その後、衰退した国分寺は、伊達正宗が再興するのですね

 

全国の駅路があります。

あれ、東山道武蔵ルートの分岐点が変だぞ

足利からまっすぐだ

確か群馬県の旧新田町の東山道公園から、武蔵ルートが延びていたはずです。

いろいろ検索してみると、「行きは新田駅から南東に下って、妻沼付近または邑楽あたりで利根川を渡り武蔵国府に行き、帰りは利根川を渡ったら足利駅に出て陸奥を目指す」というルートだったらしいです。

新田の東山道公園は大切な東山道の記憶です

 

ガイドさんの説明によると、現在国分寺(薬師堂)を管理しているのは、国分寺の左にある真言宗のお寺だそうです。

仙台藩の庇護があるうちは、国分寺にもたくさんの坊があったけれど、明治維新でみんななくなり、今は1つだけになってしまったといいます。

来るときに見えた、あの塔のあるモダンなお寺です。

たくさんの坊があったところが連坊(れんぼう)だそうです。

不思議な地名だな思ってました。

 

国分寺で御朱印をいただこうと思っていると話します。

ガイドさんは「さっき行ってきたけど、案内所は閉まってたよ。管理しているお寺に行った方がいいと思うよ

 

コメント
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