突然ですけど、白柴タバサちゃんの女渕城登城記です。
今朝、おかあさんが、あまりにも汚れた車を洗っていると、タバサねーちゃんは満面の笑顔です。
「ねえ、しばらくぶりにドライブに行くんだよね」
「じゃあ、行こうか」
『桐生老談記』で、膳備中守(ぜんびっちゅのかみ)が戦死した後、敗軍の部隊は女渕城(おなぶちじょう)に引き上げたとあります
ええ、そんなはずはないでしょう。
引き上げたのは膳城(ぜんじょう)のはずです。
まあ、でも桜の女渕城もいいかな
というわけで、桜の女渕城に出掛けてみました。
この時節たぶん誰もいないだろうと思いきや、駐車場には車がいっぱいです
とりあえず、南の方に行ってみます。
はりきりタバサちゃんです
西には、雪をかぶった浅間山がみえます
ちょっとわかりにくいですけど、中央にある家の右奥です。
空に何か舞ってます、何だろう?
トンビだ
かなり長い間旋回して飛んでました。
クンクン、だれが通ったのかな?
中央の説明板の所に出ました。
下の緑の所を歩いてきたのです。
多くの車は、緑の公園でお弁当を広げる人々でした。
あれ、バス停もあります
ひめちゃんちのある、旧新里村には、桐生市に合併してから、バス停は一つもありません
桜の季節の女渕城は、初めてかな?
右奥の本丸跡に進みます。
新しい説明板があります
水の城ですね
城主として、伝説口碑に高野辺家成、南淵秋郷、古文書戦記に足利直義、荒井図書允、沼田平八郎があがってます。
高野辺家成(たかのべのいえなり)は、淵名姫、赤城姫、伊香保姫のおとうさんですね。
南淵秋郷(みなぶちのあきさと)って、だれだ?
ウィキペディア「元慶の乱(がんきょうのらん)」によると、
平安時代に起きた夷俘(蝦夷)の叛乱である。朝廷の苛政に対して出羽の夷俘が蜂起して秋田城を襲った。官軍は苦戦して鎮圧は難航したが、藤原保則が寛政によって鎮撫して収束した。
この時、上野国押領使で、上野国兵600人と腐臭300人で、夷俘に備えたのが南淵秋郷ということです。
何度かこの説明板をみていますけど、今回初めて南淵秋郷が気になりました
さらに奥に行ってみます。
ちょっと日射しがきついかな?
ごめん、タバちゃん用のお水を持ってこなかった
これからのドライブには、タバサちゃん専用のペットボトルとお皿が必要だね。
また豊かな水の淵です。
向こう(北)に、魔住田ヶ淵(まずみだがふち)がみえます。
竹藪のあたりです。
三角の史跡の石碑があります。
裏面に史跡について刻まれています。
これだけでは、よくわかりませんけど、以前に『粕川村史』(昭和47年)確認してあります
一説には、往昔高野辺家成というものが当地に住んでいた。女子在り、継母これを憎み、郎等と謀って、魔住多の淵に沈めたので後の人がその淵を女の淵と呼んだことから地名になったという。
女の淵から女渕ですか?
いまでは、その面影は全くありません。
橋を渡ると、右手に階段があります。
初めて気がつきました
降りてみます
タバサちゃん後ずさりではなく、前向きで降りていきます
降りられました
ごきげんタバサちゃんです
さあ、帰りましょう
みんながお昼を待ってるよ。
出口(?)に、また案内板があります。
こっちのほうが劣化がウチバかな?
本丸橋を渡って、曲輪橋を渡って、今左上のトイレ近くの▲にいます。
こちらからもいい雰囲気です。
そのうちに、逆回りもしてみましょう