黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 3 ・多賀城紀行(今野家住宅)

2020-03-22 15:31:57 | 奥州紀行

ひめちゃんは、痛みを訴えることはなくなりました。

今朝は獅子丸と、控えめ散歩です。

珍しく、朝から南に出ます。

ここは、以前は沼でした。

葛塚城の堀切の南端だったと思われます。

埋め立てられても、耕作放棄地のような感じで、何も作物が作られていません。

ひめちゃんも獅子丸も、一生懸命草を食べています。

よくよくみると、名もないなんの変哲もない草です

彼らは、よくこの草を食べます

 

ちょうど西には、双体道祖神のある庚申塚古墳(こうしんづかこふん)です。

画面中央の石造物がある所が、庚申塚古墳です。

古い地図では、この古墳の真東には、沼があります。

 

 

 

お天気がよいので、今野家住宅(こんのけじゅうたく)にも、足を運びます

横目には何度も見ていますけど、訪れるのは初めてです。

村の責任者の住宅なのですね

明和6年(1769)春の建築ですか、250年前ですね

 

門をくぐります。

その奥は、中門です。

 

中門を通り抜けて、やっと母屋です。

母屋は大きすぎて、2枚の写真でアップです。

 

こんにちは、お邪魔します

管理人さんが、囲炉裏でいぶしていました。

 

ひめちゃんちの近くに、群馬昆虫の森があって、やはり古民家があります。

「いぶしていなくてはならない」ということで、しばらく前まで老人ボランティアが、いぶしに行っていたといいます。

ここでは、「いぶしていなくてはいけない」ということではないそうです。

 

懐かしい光景がありました

 

とにかく広いです。

いただいたパンフレットによれば、安政2年(1855)この家に住んでいたのは、家族5人と他に2家族7人(家を失った村の人たち)が寄食だそうです。

 

獅子丸家(獅子丸が養子に行っていた家)が、思い浮かびます。

広大な土地を持ち、頼られれば嫌と言わず人々の世話を焼き、ついには軒先貸して母屋を取られる如く没落し、誇りと伝承のみ残して消え去ろうとしています。

 

村の実力者は、困った人々の世話もちゃんとしたんですね

 

母屋からは、中門の向こうに博物館が見えます

中門は、牛や馬を飼っていたそうです。

 

これから、博物館脇を通って、多賀城廃寺跡を目指します

 

コメント
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