ひめちゃんは、痛みを訴えることはなくなりました。
今朝は獅子丸と、控えめ散歩です。
珍しく、朝から南に出ます。
ここは、以前は沼でした。
葛塚城の堀切の南端だったと思われます。
埋め立てられても、耕作放棄地のような感じで、何も作物が作られていません。
ひめちゃんも獅子丸も、一生懸命草を食べています。
よくよくみると、名もないなんの変哲もない草です
彼らは、よくこの草を食べます
ちょうど西には、双体道祖神のある庚申塚古墳(こうしんづかこふん)です。
画面中央の石造物がある所が、庚申塚古墳です。
古い地図では、この古墳の真東には、沼があります。
お天気がよいので、今野家住宅(こんのけじゅうたく)にも、足を運びます
横目には何度も見ていますけど、訪れるのは初めてです。
村の責任者の住宅なのですね
明和6年(1769)春の建築ですか、250年前ですね
門をくぐります。
その奥は、中門です。
中門を通り抜けて、やっと母屋です。
母屋は大きすぎて、2枚の写真でアップです。
こんにちは、お邪魔します
管理人さんが、囲炉裏でいぶしていました。
ひめちゃんちの近くに、群馬昆虫の森があって、やはり古民家があります。
「いぶしていなくてはならない」ということで、しばらく前まで老人ボランティアが、いぶしに行っていたといいます。
ここでは、「いぶしていなくてはいけない」ということではないそうです。
懐かしい光景がありました
とにかく広いです。
いただいたパンフレットによれば、安政2年(1855)この家に住んでいたのは、家族5人と他に2家族7人(家を失った村の人たち)が寄食だそうです。
獅子丸家(獅子丸が養子に行っていた家)が、思い浮かびます。
広大な土地を持ち、頼られれば嫌と言わず人々の世話を焼き、ついには軒先貸して母屋を取られる如く没落し、誇りと伝承のみ残して消え去ろうとしています。
村の実力者は、困った人々の世話もちゃんとしたんですね
母屋からは、中門の向こうに博物館が見えます
中門は、牛や馬を飼っていたそうです。
これから、博物館脇を通って、多賀城廃寺跡を目指します