ひめちゃんと獅子丸は、北の方にお散歩です。
今朝の赤城山は吹雪いているかな?
獅子丸がどうしても岩神沼の方に行くと進路を譲りません。
実はミーナちゃんが派恋の季節まっただ中で、ミーナちゃんの足跡を辿りたいのです。
沼の方に向かいます。
あれえ、小学生の黄色い帽子の集団だ
急いで沼の方に待避です。
行っちゃって良かったけど、まだ油断大敵だよね。
ひめちゃんは、まだ用心しています。
かかっていた雲が風に流されて、赤城山はその姿を現しました。
今朝はカモさんの姿はありません。
ひめちゃんは、何か見付けたようです。
獅子丸は、ちょっと不満のようです。
ミーナちゃんは、今朝はここを通らなかったようです。
11月5日やっとたどり着いた右赤城のそばの道標から、道なりにある、俳諧師・栗庵似鳩(りつあんじきゅう)の墓を訪ねます
駐車スペースがないので、路上駐車です。
道の端の小さな墓地の一角にあります。
墓と説明板があります。
今でも生花が上がっているのですね
「雪仏 生まれた時の 顔に似よ」の文字は確認できませんでした
隣に栗庵似鳩翁碑があります。
栗庵の上州俳壇に登場の感動的な話は、書いてなさそうです。
彼の上州俳壇への、登場の話は、実に感動的なものでした
みやま文庫『佐波伊勢崎史帖』(しの木弘明、平成3年)によると、
栗庵似鳩は上州に正風を唱えた最後の俳諧宗匠であった。それほどに栗庵の力量はすぐれており、大きな指導力を持っていたのである。
明和九年十二月二十三日は雪空であった。大阪を食い詰めて江戸に来たが、江戸も食い詰めて行き場のなくなった似鳩は、とぼとぼと中仙道をたどった。戸田の渡しを越す比には小雪がちらついてきた。熊谷で道を折れると境町向かったが、もう一面の雪景色で、中瀬の渡しに利根川を越すときには足は雪に埋まり、夜の雪道である。境町から例幣使街道に出たが、それは長沼村の観音寺の俳人松谷を訪ねようとしたからである。ところが長沼の手前、上蓮沼にきたときあまりの寒さと空腹のために、雪の中に倒れてしまった。
もう雪の真夜中に人通りはなかった。倒れた乞食坊主の背中には雪が降り積もったのである。夜中にこれを見付けたのはこの村の高柳勘太夫で、乞食坊主を助け出すと、自分の家に連れて帰ったのである。
(中略)
似鳩は大阪の人、玉置氏、酒を愛して瓢堂と号した。小林一茶は同じ乞食坊主で、生涯を流浪のうちにあり、死ぬ年の正月には、丸焼けになって、放り出され、悲嘆の内に一生を終わったが、乞食坊主似鳩は高柳勘太夫という理解者があったために、俳諧冥利の生涯をおくったのである。
このくだりが、ズーッと記憶にありました
また、彼の最後も印象深いものでした
寛政九年十二月二十三日は雪の降る寒い日であった。この日隣村の弟子多賀谷思水の文木館に連句の興行があった。諸俳とともにあった似鳩は、好きな酒杯をかたわらに、終日呑んでは付け句していた。終わって夜中の雪道を帰ったが、途中足をすべらせて雪の中に倒れてしまった。その背中に雪が降り積もった。やがて村人に助け出されたが、その雪の上には似鳩の面があったのである。
雪佛生まれしときの顔に似よ
この一句を辞世に栗庵三十年の幕を閉じたが、それは俳諧冥利に満ちた生涯であった。
雪の日に登場した栗庵似鳩は、また同じ雪の日に退場して行ったのです
忘れられない逸話でした
道の反対側からの地点からの栗庵似鳩の墓です。
不思議な事に、グーグルの地図でも車のナビでも、この反対側の地点を指します