今日は、夕方のお散歩がちょっと遅くなってしまいました。
ひめちゃんは、小次郎パパと堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。
向こうの森は、山上城です。
空には、三日月が出ていたはずですけど、どうしてこう映るのかな?
まるで、UHOのようです
大胡城の西に位置する浄土宗の養林寺は、大胡氏館跡と言われます。
(『群馬県の中世城館跡』群馬県教育委員会1988)
先に訪問した長善寺の、ちょっと東になります。
山門から、参拝です。
大胡城→の表示があります。
山門脇に、説明板と石造物です。
この青面金剛がひときわ目立ちます
三面六臂ですね。
ちょっと古風かな?
この辺りが、大胡氏館跡の堀の名残とか
説明板を確認です。
「大胡太郎実秀が法然上人に帰依し、草庵を立て念仏修行をした。」とあります。
「天正18年、大胡太郎の旧跡であることを聞いた牧野康成が鷹林寺を創建した。」ともあります。
赤い目立つ山門です。
でも、もしかしたらかやぶきの屋根をトタンで保護してるのかな?
かやぶき屋根が似合う山門です。
さて、山門をくぐって本堂に向かいます。
ゴテゴテしていない、素朴ないい雰囲気です
ガラス戸の前で合掌
庫裏を尋ねて、御朱印をお願いします。
ご住職がお留守と言うことで、御朱印は又の機会にお預けになりました。
駐車場に向かう途中、大きな楠木です。
樹齢の記載はありませんけど、人々の興亡を見てきたのでしょう。
お疲れ様
ウィキペディア「大胡氏」によると、
大胡氏は浄土宗を篤く信仰した。『法然上人行状絵図』によると、大胡小四郎隆義は京都滞在中に法然と知り合い、大胡に帰った後も浄土宗に深く帰依し、また子の太郎実秀も浄土宗に帰依したという。隆義・実秀親子は手紙で法然への質問を行っており、法然からの返答が「大胡消息」として存在する。これは浄土宗の基本文献でもある。また、金沢文庫所蔵の「念仏往生伝」第46によると、大胡小四郎秀村な念仏修行を篤く行い、正元元年(1259年)死去の5年前に仏が夢に現れたと伝えている。
最初に法然に帰依したのは大胡小四郎隆義で、子の太郎実秀も帰依し、隆義・実秀親子は手紙で法然への質問を行っていたんですか
法然からの返答が「大胡消息」として存在するんですか
そうすると、『念仏往生伝」』出てくる大胡小四郎秀村は、孫と思われます
そして、彼は法然からの返事を亀鏡として大切にしていたのです
大胡氏は、小四郎隆義、太郎実秀、小四郎秀村と三代にわたり、深く浄土宗に帰依していたのです