黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

『念仏往生伝』大胡小四郎秀村の記憶を尋ねて・大胡太郎の墓石

2020-11-18 22:03:14 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんは小次郎パパと、堀之内を西に出ました。

諏訪神社の向こうに行こうとしましたけど、ひめちゃんは用心しています

黄色い帽子の集団の通過時間より、少し早いはずですけど。

南に下り、字天神(あざてんじん)の田んぼを廻ります。

パパも14歳半です。

ちょっと背中が曲がったかな?

 

庚申塚古墳を通って帰ります。

ここの双体道祖神が、地図上には塚越の道祖神として表示される事があります。

あれ、ひめちゃんのシッポの向こうのちっちゃい方は、馬頭観音でしょうか?

 

振り返ると、古墳の麓にも頂上にも、石造物があります。

これらの石は、どこから持ってきたのでしょう?

もしかして、ここにあった?

古墳の石の再利用の疑惑を感じます

そうすると、この古墳はもっと大きかったはずですね

 

 

 

上野国山上に住んでいた行仙上人の編集したという『念仏往生伝』に、大胡小四郎秀村があります。

大胡は、時にはお買い物に行きます。

大胡太郎の墓石と言われるものが、長善寺にあります。

大胡小四郎秀村は、大胡太郎の子孫と書かれています。

大胡小四郎秀村のご先祖様の墓石ということになりそうです。

これは、是非確認しなくては

 

長善寺の北側に駐車場がありました。

墓地を抜けて歩くと、まもなく見つかりました

大きいですね

む、おじさん邪魔

でも、大胡太郎の墓石といわれるものは、おじさんとたけくらべです。

 

斜め後ろからも、やわらかい曲線美です。

 

説明板を確認しましょう。

塔身の中央に梵字が2つ刻まれている。向かって右が阿弥陀如来、左に地蔵菩薩の種子があり、その左側から「貞和三年三月廿二日」と銘文が刻まれている。

貞和三年(1347)は、南北朝時代です。

もう鎌倉時代は終わってます。

大胡太郎の墓石としては、時代がちょっとあわないようです。

別の資料によれば、長善寺は「大胡太郎が開基。中世赤城南麓の滝窪町白草の地に創建された。弘治・永禄の頃(1555~1569)現在地に移されたという」とあります。

赤城南麓の国道353号線の辺りでしょうか?

少し離れています。

説明板だと、その移転の時に運んだとあります。

でも、こんなに大きく重いものを運ぶのは大変です。

移転の時期は戦国時代まっただ中。

移転してきたのはお寺だけで、もともとここにあったと考える方が自然な気がします。

 

大胡小四郎秀村は、正元元年(1259)年に42歳で往生しています。

彼は、大胡太郎の子孫と書かれてあります。

 

中世大胡で活躍した大胡氏の墓石であるようですけど、大胡太郎の墓石というにはちょっとどうかな?

でも、どっしりとした優しいラインの石造物で、大胡太郎の墓石という言葉が似合います

 

さて、山門から入りなおして、参拝です

どっしりシンプルな門です。

 

本堂もシンプルな感じです。

 

右側に、鐘楼堂があります。

かわいいお地蔵さまたちです。

どこかで、会ったことがあるような気もしますけど

 

左手には、水子地蔵の隣が気になります。

何様かな?

 

線香立て付きの石殿です

どこかで会ったことがある羅漢さんもいます。

 

本堂の左に、観音堂です。

向拝の柱に龍のおじさんがいます。

おじさんという感じです。

現代的な龍です

 

十一面観音はこちらかな?

こんにちは

合掌

 

本堂をちょっと覗いたあと、庫裏に寄って御朱印をいただきます。

 

本堂前の手水舎、凝ってます

カエルがいっぱいいます。

無事カエル

 

これから、大胡氏館跡といわれる養林寺を尋ねます

 

 

 

 

 

 

コメント
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