黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

南勢多郡の廃寺・三夜沢赤城神社の神宮寺(前編)

2021-01-31 15:30:52 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、今朝も堀之内を北に出て沼巡りをしてきました。

まず岩神沼(いわがみぬま)に到着です。

薄氷が張ってます。

今朝は寒かったものね

 

更に上の新沼(しんぬま)&童沢貯水池(どうざわちょすいち)を目指します。

昨日は、シラサギさんとアオサギさんに逢えました。

今朝はどうかな?

 

こちらの沼は大きいので、凍っていません

おや、新沼の管理用ボートの上にアオサギさんです

 

1本足です

眠っているのかな?

まさか1本足になっちゃった

 

飛び立ちました。

カモさん達のいるところに着地です。

足は2本有りそうです

水辺を2本足で歩いています。

アオサギさんの先にはシラサギさんがいます。

昨日も微妙に距離を置いていた2人です。

シラサギさんは、飛び立ちました。

 

不思議な関係だね

 

帰り道の赤花ロウバイ、今朝もきれいに咲いていました

 

おうちに帰って、獅子丸がハーネスを先に外してもらいます。

ひめちゃんは、よい子で待っていられます

 

 

 

「南勢多郡の廃寺」(勢多中部仏教会 平成23年)に、三夜沢赤城神社の神宮寺として「龍赤寺」と「神光寺」の記載があります。

龍赤寺(天台宗東叡山寛永寺末)

三夜沢赤城神社東宮の神宮寺として建立された。寺院跡に残る宝塔は14世紀に属するものである。当初は密教僧によって成立したようであり真言宗であったが、善昌寺(新里町)に属し支配を受けていた。後に寛文11年(1671)遺構に寛永寺の末寺に也天台宗に改宗した。その背景には政治的な権力に接近するためと考えられる。本地仏は地蔵菩薩である。龍赤寺の管理は神官がほぼ掌握しており神宮寺の存在は形式的な存在だったようである。赤城神社の年代記の記述は延文元年(1356)が初めてであり、神社と神宮寺の創建はほぼ一致する。慶応4年(1868)「神仏判然令」により明治2年2月廃寺になった。

 

神光寺(赤城山能幅院ー天台宗新光太平山妙殊院善昌寺末)

三夜沢赤城神社西宮の神宮寺として建立された。神仏分離によって神主増田家の墓地に移された宝塔や五輪塔は14世紀に属するものである。神光寺は以前、真言宗であったが後に善昌寺末寺になり支配を請け天台宗に改宗した。江戸時代の初め天海が長楽寺(世良田)を天台宗に改宗した。天海は家康の知遇を受け政務にも参画し延暦寺や日光山の復興や寛永寺を創建した。神光寺の本地仏は千手観音と虚空蔵菩薩である。

 

ともに、新里の善昌寺と関係があったようです

これは、是非行ってみなくては

 

雪の明日、25日にお使いついでに足を延ばしました。

国道353号線を西に行き、三夜沢の信号を右折、県道16号線を上ります。

 

赤城神社の惣門、まだ行った事ありません。

ここで右折してしまいました

 

あれ、鳥居だ

惣門じゃない

でも、赤城神社の鳥居だよね

振り返ると、松並木が続いています。

でも、車が走行できないように、四阿(あずまや)が建ってます

 

こちらが本来の参道なのですね

間違えて良かった

 

さて、県道に戻り、500mばかり行って右折します

ありました

説明板もあります。

近世中葉の遺構として貴重なのですね。

 

松並木を上ってきたおじさんが、惣門に到着です。

門の前で、2礼2拍1礼です。

「こんにちは

「こんにちは さっき松並木を歩いていましたね

「松並木をずーっと歩いてきました。最近はまっすぐの道ができて、だれも通らなくなっちゃったけどね。昔は路線バスがこの松並木の間を通っていたんだよ。」

「ええッ、そうなんですか

「赤城神社の鳥居を3つ廻ってウオーキングだよ 気を付けてお参りしてください。」

「はい、ありがとうございます。」

 

おじさんが行ってしまうと、惣門をためつすがめつ眺めます

確かに、貴重な形なのでしょう。

平地ではもう雪はありませんでしたけど、ここにはまだ雪が残ってました。

 

門の前の古い大木、サワラかな?

この木も物語がありそうな根っこでした。

 

惣門脇を車で上ります。

まもなく、「下馬」の表示です。

いよいよ神域ですね

 

ほどなく、三夜沢赤城神社に到着です

 

 

(つづく)

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