夕方、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩です。
ひめちゃんが、どうしてもケンくんちに行くんだと譲りません
パパは、そこらにつながれてもらいます。
いい子で待っててね
ケンくん、いるかな?
ケンくんは、エアコンのお部屋です
ひめちゃん、お久しぶり
でも、ハイタッチ出来ないね。
ひめちゃん、もう行っちゃうのかい
バイバイ、またね
今度は、お外で会いたいわ
あぜ道を、南に下ります。
草むしりをしているおばさんがいます。
「こんにちは」
「こんにちは、その子は足が悪そうだね。」
「はい、もう15才なので」
「そうかい、うちのは去年19才で死んだよ。大往生さね」
「そうだったんですか ダイナちゃん、そんなに長生き出来たんですか 大往生ですね」
ダイナちゃんは、大間々のダイナムに捨てられていたんだそうです。
我が家の黒柴第一世代、三四郎&サマンサとよく遊びました。
いい家族に巡り会って、長生き出来たんだね。
コジ君もガンバだよ
7月19日、邑楽町にある細谷右馬助の史跡を確認した後、もう一ヶ所寄りましょう。
近くに、黄檗宗のお寺があります。
宝林寺(邑楽郡千代田町)です。
ここらへんの自治体は平成の大合併の時に、無理な合併などしなかったようです。
ほどなく、宝林寺に到着です
広い駐車場です。
山門前に、目立つ石造物です。
一番左は、大きな大きなお地蔵様です
邑楽郡新福寺村の文字が見えます。
真福山宝林寺の文字も見えます。
なんともいかつい青面金剛です
踏みつけている邪鬼が大きくリアル
2鶏もかなりリアル
邪鬼のお尻&鶏の大きな尾、目立ちます
さて、山門をくぐって参拝です。
山号は真福山です。
新福寺村の真福山宝林寺です。
山門をくぐると、左手には水子地蔵です。
かわいいお地蔵様もいっぱいです。
合掌
右手には、鐘楼堂です。
この鐘は、国の重要美術品とされた名鐘で、館林城主徳川綱吉が、当時、宝林寺に来住の潮音禅師を迎えて創建した廣済寺に、寛文十年(1670)家老の黒田信濃守が寄進したもので、潮音の師木菴によって銘が刻まれている。
綱吉が五代将軍となった後の天和三年(1683)館林は廃城、廣済寺も取りこわしとなり、本尊、什宝等この寺に移された。
あの黒瀧山不動寺を中興開山した、潮音禅師ゆかりのお寺だったのです
潮音禅師は、廣済寺の取りこわしの後、南牧の黒滝山に隠棲、黒瀧山不動寺を開いたのです
本堂に参拝です。
合掌
残念ながらご本尊の姿は拝めません
葵のご紋が目立ちます。
さて、庫裏で御朱印を頂きましょう。
残念ながら、お留守のようです
もう一度、あの梵鐘にご挨拶です。
潮音禅師と共に、上州に黄檗宗の鐘のならしたのです。
お疲れ様でした
折を見て、宝林寺のHPと冊子「黒滝開山・潮音道海禅師」を参考に、現存する群馬県内の黄檗宗の寺院や施設を訪ねてみましょう