今日も、夕方から激しい雷雨です
朝、ひめちゃんと獅子丸はハーネスを付けてもらう隙を突いて、ミニドッグランに脱走です
少し遊んで御用となり、獅子丸を待ちます
2人は、諏訪神社の向こうの高台を目指します。
高台の中央、薬師の道を歩いてきました。
久しぶりだね
おはようございます
獅子くんの前の、一番新しそうな薬師様、明治32年ですって
明治32年、何か疫病がはやったかな
新里で有名な「善昌寺縁起」に、善昌寺が戒名を授けた新田義貞とその家臣団に「細谷右馬介勝直」がいます。
いろいろ検索すると、細谷右馬介の墓が邑楽町にあるという事です。
では、行ってみましょう
割とわかり易い場所にありました。
国道354線・篠塚の信号から南に下ります。
しばらく行くと、右側に大きな樫の木があります。
猛烈な暑さの日だったので、木陰の恩恵を受けそうな位置に駐車です。
そんなわけで、全体像の写真がないのです
「五位堂、太平記の里」です。
南朝の忠臣細谷右馬介の墓所です。
あれ、善昌寺縁起とフアーストネームが違います
小さな覗き窓から、堂内を拝見です。
中央は石像の阿弥陀如来です。
左右は、木造のようです。
後ろにたくさんの小さな仏様です。
合掌
「邑楽町の文化財」によれば、
五位堂の中には、阿弥陀如来の石像と男女一対の木造如来、千体仏が安置されています。千体仏は子宝と安産を恵む仏として信仰を集めてきました。現在でも、木造の小さな仏を借り受け、子宝に恵まれたら倍にして返す習わしがあります。
では、五位堂のシラカシを確認です。
大きい
ここは細谷家の墓地です。
シラカシは、墓地全体を覆っています
墓地全体が、シラカシに護られています
合掌
「邑楽町の文化財」によれば、
五位堂のシラカシは、樹齢500年、樹高18.5m、神酒は4本に分かれ、幹周りはそれぞれ2.6m、1.6m、0.6m、0.9m、枝張り東西16.5m、南北18.1m、根張り6.6mです。
樹齢500年ですか
同じ道沿いで少し北にある細谷館跡も確認です
館跡の堀があります。
細谷館は南北朝時代の正平2年(1347)新田氏の一族細谷右馬助秀国が築造、その居館としたので右馬助館ともよばれた。これよりさき秀国は新田義貞に従い各地に転戦し戦功をあげた。しかし延元三年(1338)越前国(福井県)での敗戦ののち上野国に帰り館を営み、九代義長が天正18年(1590)8月帰農するまで243年間在地武士の本拠となった。
細谷右馬助さん、善昌寺で戒名を付けてもらう必要なんてなかったようです