黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

くも膜下出血からの生還

2023-02-08 19:29:23 | 黒柴三四郎の独り言

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、ずっと七海ママと暮らしていました。

7年間養子に行っていた獅子丸は、実家のことを、ママやきょうだいのことを覚えていました。

実のママがいることによって、実家の新しい生活にすぐに溶け込めたのです。

犬家族の絆・記憶は、人間が思うよりもっともっと深いかも知れません

2人きりになってしまった、ムーハウスの犬家族、仲良く長生きしてね

 

 

 

 

2000年7月生まれの初代黒柴犬・三四郎が語ります

くも膜下出血からの生還

 

04.12.8(水)

 頭もリハビリしています

おかあたんは、朝からおでかけで、僕はミニドッグランに出してもらえなかった。

昼すぎに帰宅したおかあたんは、ランに連れて行ってくれようとしたけど、僕は居間にあがりこんだ。

サマンサやナナちゃんも入れろと大騒ぎ

流血事件をさけるため、とりあえずナナちゃんだけ入れてもらえた。

サマンサは「お散歩の前にね」ということで。

夜、おまけに一人でしばらく入れてもらうことになるのだけど。

 

僕たちの夕方のお散歩が済んで、おかあたんは病院に出かけた。

師走の夕やみはあっという間にやってきて、もうこの時間には車のライトも点灯する。

 

病院に着くと、きれいなバスケットの花があった。

職場の方々が、お見舞いに来てくれたのだそうだ。

 

今日は、おとうたんの脳みその働きはまあまあで、だいぶ普通に話が出来た

運動機能のリハビリに加えて、頭のリハビリもしているのだそうだ。

絵をいくつか見せられて問題を出されても、ほとんど出来るけど、数学になると全くといっていいほどダメだという。

おかあたんは「数学がにがてなのは、もともとじゃないの」と言った。

排泄の方は、相変わらず苦戦しているらしい。

体の動きは、スムーズになって来た

 

おかあたんが持っていったカレンダーに、何やら書きこみをしていた。

けっこう小さい字で。

字はちゃんと書けるらしい 

 

 

04.12.9(木)

 退院の話

朝から、隣のばーちゃんは十数回来た。

いずれも落花生の話だった。

「カラスがおおくつついて困るから、取って来てウチの縁側に干してあるから。」

どうして同じことをこう何度も繰り返せるのかな。

 

おかあたんは、今日も、夕方のお散歩のあと病院に出かけた。

おとうたんは、「今月中に退院することになりそうだ」と、伝えた。

お医者さんが、本当に言ったのかな?

希望かな?

さもありなんという状況だし、おかあたんも前にお医者さんに聞かされたことはあった。

復職のことも考えているみたいだし。

「なんとかもとの状態に戻ろうと、頭のリハビリに必死だよ」とも言った。

今日は、かなりまともに頭が働いているみたいだ

 

 

04.12.10(金)

 はじめての3ショット

天気予報に反して、暖かい良いお天気だった

おかあたんは、僕とナナちゃんをランに入れたあと、サマンサをつれて来た。

流血の惨事や、首なし事件も心配された。

サマンサとナナちゃんはお互いに無関心を装い、適当な距離をとってひなたぼっこの体勢をとった。

ちょうど僕、サマンサ、ナナちゃんはトライアングルに位置をとっていた。

初めての3ショットだった

ナナちゃんが来てから約半年、おかあたんは、「だんだん長い時間、ランでみんなで遊ぼうね」と、言っている。

 

夕方、いつもより道がずっとこんでいて、おかあたんが病院についた時はすっかり暗くなっていた

昨日、帰りにユニクロに寄って買った、黒のカーディガンを届けた。

カーディガンがあったらもってこいと言われても、おとうたんはそんなの着ない人なのでなかった。

おとうたんは時折、無理難題をふっかける

まあ、あったことにして黙っておいた。

 

 

04.12.11(土)

 天寿

今夜も、おかあたんは病院から泣きながら帰って来た

おとうたんのものを、何でも持って帰ってしまう性悪女と、人前でののしられたって

財布とかお金とか下着とかを、持って行ってしまうって

 

救急車で病院に行ったのだから、財布を持っていったはずないし、小銭は置いてあるし(ベストのポッケではなく、しっかり引き出しに隠してあった。)。

お見舞いのお金は持ち帰ってはいるけど、置いておくとかえって病院や同室の人に迷惑をかけるし、持ち帰って当然の物だ。

汚れた下着は、持ち帰って洗濯して届けている。

 

疲れがたまって来ているおかあたんは、精神的に支えてくれる人もなく、崩れそうだと涙を流した

介護とはかくも悲しいものか、報われないものかととめどなく涙がでる

あれから1か月以上だけど、ひとことのねぎらいの言葉もないそうだ

 

やっとの事で、家にたどりついた。

本当は途中で死んでしまおうと思ったりもしたけど、僕やサマンサやナナちゃんを不用犬にするわけにはいかないと思いとどまった。

 

みんなのご飯を用意した。

僕やサマンサやナナちゃんが天寿を全うするまでは生きていなくては、と涙をこらえて

 

 

04.12.12(日)

 冬支度

寒い一日だたった。

おかあたんは、畑のローズマリーとラベンダーが気になっていた。

少し冬支度をしてやり、ラベンダー2株とローズマリー1株持ち帰って、鉢に移した。

薔薇たちの冬支度も、もうすぐ完了。

あとは、果樹や石灰硫黄合剤の散布など。

そえそう鉢植えの薔薇の植え替えも。

 

夕方病院に行くと、おとうたんの脳はいつになく明晰だった

普通に話ができた。排泄もうまくいったみたいで、珍しく汚れ物はなかった。

おかあたんは、久しぶりに泣かないで帰ってきた

 

 

04.12.13(月)

 群れ

昨日とうってかわって、暖かい日だった

みんなで、ミニドッグランに出してもらった。

見かけないガーデン仕事のおかあたんに、ナナちゃんが吠えた

僕もサマンサも番犬の本能を刺激されて、両脇にスッと並んだ

 

おかあたんはシャッターチャンスと思ったけど、手にはカメラではなくジョウロをもっていた

「群れになったんだねぇ」と喜んでくれた。

 

本日のおとうたんは、病室を出て、おかあたんとエレベーターに乗り、八階の売店に行ってみた

 

夕方、おかあたんは実家のおじいちゃんのいとこ・モトヒコさんのお通夜ということで出かけていった。

じいちゃんの死から丸二年、あの日は雪だった。

「寂しくて迎えに来たのかな。」なんて、みんなが話していた。

 

 

04.12.29(水)

 悲劇の母 

最近わかったことだけど、隣のばあちゃんはおとうたんは助からないものと決めつけていたようだ。

そして、さらに周辺にそのことをもらして、息子に先立たれた悲劇の母になるべく準備を進めていた。

それに悪のりして、触れ回った人間もいた。

私欲のための準備をした輩もいた。

 

おかあたんは僕たちのお散歩の時、「旦那どうだい?」と聞いたのは、イイズカのじいさんだけで、救急車が来たとき顔出した人も何も聞かないので、変だと感じていた。

 

だから、一時帰宅でおとうたんが帰ってきても、「何様で?」という反応で、退院して挨拶に行ってもよかったという反応がなかったのだ。

おかあたんは、ばあちゃんを何度も病院のおとうたんの所に連れていったり、毎日連れて行けと責められたりした

「命に別状はないんだよ。」と何度も説明したのに、勝手に悲劇の母になるべく準備を進めていたのだ

一時帰宅や退院の時の、年寄りの不可解な反応は、ばあちゃんの勝手な思いこみから生じていたのだ。

 

退院してすぐ、おとうたんは、ナナちゃんのリードを引いてちょっとそこまでのお散歩をしている

「生きている自分が、犬を連れて歩いていることが、事実の証明である」と。

 

 

 

おとうさんは、年内に退院できました。

でも、おかあさんは、脳外科の担当の先生に呼ばれて、「今の仕事を続けるのは、難しいかも知れません 脳に新しいことを書き込むのが苦手になってます」と宣告されました

確かにそんな一面もありましたけど、何とか定年まで頑張れました

同じ頃、同じ職場で同じ病に倒れた人がいました。

彼も一度は職場復帰したそうですけど、まもなく退職したそうです。

どうなるかは、人智を超えた世界のようです。

 

神仏に感謝、犬たちに感謝

 

 

コメント
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