黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

当家の運命はや今日に限りたり(膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事・その 3)

2024-10-11 15:34:40 | 桐生老談記の世界

このブログは、画像の残り容量がとても少なくなっています

画像いっぱいの記事は、「続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ」になります

でも、画像を探す必要が生じたりして、画像ホルダーを丹念に見ると、大分同じ画像がダブって登録されています。

立ち止まって見返すことで、画像容量を少し復活できるかな

 

今日は久しぶりに新着画像です。

ひめちゃんは、堀之内を西に出て天神田を歩いてきました。

ここ数日、シラサギの姿がありません

どうしたんだろう

ちょっと寂しいね

 

 

 

 

膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事・その 3(当家の運命はや今日に限りたり)

互いに下知して東西に開き、南北に併せ、おいつまくりつ数刻相戦うといえども、城は大勢にて新手を入れ替え、寄せ手は少数、加勢もなかりし。

ややともすれば備えを乱し、其の時、因幡諸勢いに下知して、「味方少数なれども敵の大勢に当たる事、危うきとて驚くべからず。惣て軍は勢の多少に寄らず只天命に任すべし。当家の運命は今日に限りたり。勇めや勧めや」と百五十騎を二手になし、息を引き込みて懸かり、十文字に破り巴の如く追い廻し、相戦うというとも万卒(ばんそつ)に渡り合うというとも、

大将の勇猛に責め立てられ終に備えを崩され、因幡の乗りたる馬はつかれはて、徒立ち(かちだち)になりて引く所に、大谷解ヶ由は大将と見懸けて、手勢十四人笠野まで追いかけし所、

斉藤右近踏み止まり、大将を落とさん為防ぎやを打ち掛け扣(ひか)えしが、大谷が乗りたる馬のひざをのぶかに討たれて、かつはと伏せ、大谷馬より飛びおり、馬を引き立てんとせし所に


あらすじです。

相の原で、あちら戦ったり、こちらで戦ったり、数時間戦った。
桐生勢は大勢で、新手を入れ替えて戦い、寄せ手の膳方は少数で、加勢もなかった。
追い詰められた膳因幡守は、「我らは少数であるけれども、軍(いくさ)の勝ち負けは兵の多少に寄るのではない。天命に任せよう。当家(膳家)の運命は今日限りだ。頑張って進め。」と、150騎を二手に分けて奮戦する。
けれども、終に膳軍は総崩れとなり、因幡守の乗った馬は疲れ果て、彼は馬から下りて徒歩で馬を引いているところに、大谷解ヶ由は大将と見て、手勢十四人を連れ笠野まで追いかけた。
斉藤右近は踏み止まり、因幡守を落ち延びさせようと、防ぎ矢を打ち懸けた。
その矢は、大谷が乗った馬のひざ深くに刺さり、馬はガバッとと倒れた。
大谷は馬から飛びおり、馬を引き立てようとした所に、



膳方は少数と描かれていますけど、確か諏訪の森を出たときは500騎いたはずです。
新田義貞が生品神社(いくしなじんじゃ)で旗揚げしたときの、3倍強いたはずです
「軍は天命に任せるべきだ。当家の運命は今日限りだ。」とは、戦国の世の指揮官としてちょっとどうでしょう
そもそも復讐のために、攻め寄せたのでした。
戦国の世に復讐のために大勢の家中を引き連れて出撃するとは、ありえそうもない話です

結局、指揮官・膳因幡守は馬が疲れ果て、徒歩になっていくいて落ち延びていくのです

大谷解由が大将と眼をかけて追いかけますけど、主人を落ち延びさせようとした斉藤右近に、馬の足を射られてしまうのです。
「のぶか」は、矢が深くささることです。

「大谷は馬から下りて起こそうとしたときに・・・・・・」重くて難儀したことでしょう

原文はダラダラと続いて、切れ目がなかなかありません

「大谷は馬から下りて起こそうとしたときに」、何かが起こります


膳氏が桐生に攻め寄せ、相の原で戦ったのは、天文13年7月13日朝という事です。
事実とすれば8月の後半、猛暑の中です
真夏に復讐戦とは

 

 

現在、膳因幡守の居城・膳城の一角は、遊具もある膳城址公園になっていいます

かつては、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、朝散歩でここまで足を伸ばすことがありました

獅子丸がいた頃は、3名で歩いて行きました

膳城は、山上城から見える極めて近い城だったのです

 

 

初稿  2019.10.07   FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.10.11

 

コメント
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