黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

竜眼寺の和尚のあつかい(膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事・その 7)

2024-10-18 21:07:33 | 桐生老談記の世界

お昼頃から雨予報でした

でも、おかあさんが通院の日なので、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、テラスのお部屋(サークル)過ごしました。

お天気もなんとか夕方までもって、早めのお散歩をして、夜はしっかり室内犬です。

 

今日は、これからの場面に活躍したと思われる「龍源寺」(前橋市粕川町膳)の写真を探しました。

探しているうちに見つけた、黒柴家族です

2019年5月、獅子丸は、まだ実家に帰っていません。

小次郎パパ、まだ若い

ジャーマンアイリスもいっぱい咲いてました

七海ママも元気でした

笑顔がいっぱいだったね

 

 

 

 

膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事・その 7(竜眼寺の和尚のあつかい)

去る程に勝ちほこったる桐生勢旗の手を押し直し、落ち行く敵の跡をしたうて、

其の日の暮れに及んで膳の城まで追い詰め、前後より取り囲み矢・鉄砲を撃って短兵急に攻め掛け、落城と見えるる所に、

其の時、竜眼寺の和尚、里見が旗下に来てさまざま扱い給うにより、尊慮黙し難きにより和睦して、城を巻きほぐし、時に人質として因幡が舎弟大学、家老鶴谷玄蕃主従を受け取り、後日の遺恨あるべからずと、因幡自筆の証文に血判を添えて、里見上総に渡しける。

兵を引きあげ帰陣いたしける。

重ねて和尚のあつかいを以て、因幡守、大炊之介妹婿に縁を結び、同年極月婚礼これあり。

右人質を返されけり。

自然時は互いに加勢致すべきと契約なり。


難解語句です。

短兵急(たんぺいきゅう)・・・・・・刀剣などで急に攻めること。
扱う・・・・・・この場合は、紛争・訴訟などの仲裁をすること。
恨・・・・・・忘れがたい恨み
極月(ごくげつ)・・・・・・12月


あらすじです。

勝ち誇った桐生勢は、落ちていく膳方の跡を追って、その日の夕方には膳の城にまで追い詰めた。
城を取り囲んで、矢とか鉄砲を撃って急に攻め、あわや落城寸前になった。
その時、竜眼寺の和尚が桐生方の大将里見の所に来て、さまざまな調停を行った。
里見は、竜眼寺の和尚の調停を拒否するわけにもいかず和睦した。
城の囲みを解き、人質として因幡の弟・大学と家老の鶴谷玄蕃主従を受け取った。
さらに、「後日に恨みはのこしません。」という、因幡守自筆の血判状をも受け取った。
桐生勢は引き上げた。
重ねて竜眼寺の和尚の調停により、因幡守は桐生大炊之介の妹婿になって、その年の12月に婚礼をあげた。
そのことによって、人質は返された。
これからは、戦闘時には互いに加勢するという約束であった。



真夏の真っ昼間の戦いでした
みなさんよく熱中症になりませんでした
最初に両軍が激突したのは、現在の桐生大橋の南の辺りです。
その後は、南に逃げた膳方を追って、広沢や笠懸辺りを転戦したようです
夕方、膳に逃げ帰ってきたのです。

あわや落城というときに、竜眼寺の和尚が仲裁に乗り出します
膳城の北にあるのは、龍源寺です
誤記なのか、創作なのかは分かりません



龍源寺は、今では普通の曹洞宗のお寺です。


けれども、かつてはたくさんの末寺を持つ格式の高いお寺だったそうです。
曹洞宗のトップになった和尚さんもいたそうです
その人が、江戸を往復したという御駕籠が残されています

また、今でも栃木の大中寺(だいちゅうじ)の末寺でもあります。
大中寺は、上杉謙信の叔父が住職をしていたとかいいますね。
龍源寺の和尚は、仲裁役としては、もってこいです

桐生家と膳家の縁談まで、まとめてしまったのです
因幡守は独身だったのかな?

 

それと里見兄弟の父、里見上総が指揮官として行動しています

 

 

初稿  2019.10.24  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.10.18

 

 

(つづく)

 

 

コメント
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