タバサねーちゃんは、16歳と3ヶ月になります。
酷暑の夏を、なんとか乗り切りました。
密生する毛質で、暑さとかゆさで、自分で引っ掻いてしまって、あちこちハゲを作ってしまいました
でも秋風が吹いたら、白い毛が生えてきています
まだまだ短いですけど、自己回復能力があったのです。
毛深いタバちゃんが復活するといいね
2020年の10月、ひめちゃんとタバサねーちゃんが一緒の写真を探しますけど、アップされてません。
一緒にお散歩することはあんまりなかったようです。
タバサねーちゃんは、小次郎パパや獅子丸とお散歩していたようです。
タバサねーちゃんが、リーダーシップとってる感じです
桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 4(内膳の時、都八条殿より小雀という名馬を拝領す)
天文十一年(壬寅1542)頃という、爰にまた野州足利郡下菱の領主細川内膳と申すは、元来摂津の細川分流として、京都に籠もり居る細川丹後という者なり。
其の頃野州小俣の郷主渋川の名跡に丹後をけい約して、応永十一年に野州小俣下り、時に家中外腹の隠し子を取り立て、名跡丹後をそしり、違変して知行に入らず。
細川力及ばず、関東公方足利持氏公へ訴え、彼の少地を拝領して、其の秋より下菱に住居す。
其の子修理裕、其の子丹後、其の子主膳、其の子内膳、五代繁栄と云えども、内膳の時、都八条殿より小雀という名馬を拝領す。
あらすじです。
天文十三年(1542)頃のことだといいます。
下野の国足利郷下菱の領主細川内膳の初代は、摂津の細川氏の分流で、京都にいた細川丹後という者です。
小俣領主渋川氏の名跡を継ぐ約束で、応永11年(1404)に下向しました。
ところが、家中は外腹の隠し子を領主に取り立て、約束を破り、彼に名跡を継がせませんでした
細川丹後は力及ばず、関東公方足利持氏に訴え、少しばかりの領地をもらって、その秋から下菱に住んだのです
その子修理裕、その子丹後、その子主膳、その子内膳、五代繁栄しました。
そして5代目内膳の時、都の八条殿より小雀という名馬を拝領したのです。
菱はかつては下野国、今ではなぜか桐生市菱町です
菱(桐生市菱町)の細川氏についての史料は、ほとんどないようです
けれども、細川丹後が登場する菱カルタが2枚あります
菱には、細川内膳の屋敷門があり、小雀観音もあります。
5代目内膳の時に、運命の名馬小雀を拝領したのです。
細川内膳の物語・総集編(『桐生老談記』にみる細川内膳)
小雀については、後ほど詳しく
初稿 2019.09.16 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.10.03
(つづく)