雨の一日です
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、一日中おうち犬で過ごしました
ひめちゃんは完全室内犬を目指して、いろいろ考えているようです
明日は晴れ間がありそうだから、お外犬になろうね
おうち犬が居ると、掃除機がかけられないのです
怪獣に見えるようです。
4年前、2020年の10月の黒柴家族の画像を探すと、小次郎パパが結構あります。
ひめちゃんは、小次郎パパとも、よくお散歩していたようです
2006年生まれのパパは14歳でした。
群れのリーダは姉さん女房の七海ママで、穏やかなパパでした。
桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 5(内膳殿の内室は上州膳の城主因幡守の妹なり)
桐生より度々所望致されしに、細川おしんで渡し給わず。
是を野心に思し召し、津布久常陸之介を大将として、天文十三年甲辰三月二日、細川を追い散らし名馬をうばいとり、新領家老有坂右京、一色修理というもの心変り、依って内膳殿夫婦自害におよび、修理は行方なく出奔す。
扨て内膳殿の内室は上州膳の城主因幡守の妹なり。
扨て右京は家の宝をうばいとり、上州竜舞村のしゅうとの里に退いて、土民となり、扨て、細川跡に津布久常陸之介差し置けり。
誠に応永十九年より天文十三年(1412~1544)迄五代の間、百三十三年にして亡びにけり。
あらすじです。
小雀がほしいと何度も桐生親綱から言われたけれど、細川内膳は惜しんで渡しませんでした。
親綱は、細川家には不相応だと、津布久常陸之介を大将にして、天文13年3月2日に攻撃し名馬小雀を奪いとりました
細川家臣の有坂右京、一色修理という者が裏切り、内膳夫妻は自害しました
修理の行方はわかりません。
内膳の妻は上州膳の城主因幡守の妹でした。
有坂右京は主家の宝を奪い取り、竜舞村で、帰農しました。
細川家領地・菱には、津布久常陸之介を置きました。
細川家は、応永19年より天文13年(1412~1544)迄五代の間、百三十三年で亡んだのです
八条殿からもらった馬・小雀が原因で、菱領主細川家は滅びました。
どうして、親綱はそんなに小雀をほしがったのでしょう?
それは、小雀がまさしく名馬だったからです
八条殿は、実は大変な有名人であるようです。
扇谷上杉朝顕(おおぎがやつうえすぎともあき)は、現在の埼玉県八潮市八条に館を構え、八条上杉氏を称したといいます
その曾孫が、八条近江守房繁(はちじょうおうみのかみふさしげ)です。
彼は馬術の達人として、独自の八条流をなしたそうです
八条殿は、永正5年(1508)に『糠部九ヶの部焼き印図』を著したといわれます。
青森から岩手にわたる南部地方に、かつて糠部(ぬかべ)郡がありました。
あまりの大郡であるため、9つの戸(へ)に分けたのだそうです
この地方は名馬の産地として有名で、どこの戸の産であるかを示すため、馬に焼き印を押したとそうです
残念ながら、『糠部九ヶの部焼き印図』の原本は失われたようですけど、『七戸町史』第2巻第六篇中世に、馬焼き印想像図があります。
名馬小雀には、雀の焼印があったのです
八条殿から小雀を拝領した細川内膳も、馬術の達人だったのでしょう
初稿 2019.09.20 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.10.04
(つづく)