ひめちゃんは、夕方は基本的に小次郎パパとお散歩です。
朝とは反対に、南の方に行くことが多いです。
堀之内の南・塚越にある庚申塚古墳もよく通ります。
双体道祖神があります。
庚申塔もいくつもあります。
今では細い道ですけど、かつては多くの人が行き交った交通の要衝かもしれません。
ひめちゃんは、ちょっと不機嫌です
パパと一緒だと、大好きなケンくんちに寄れないのです。
せっかく近くに来たのに
旧赤城神社から元の道に戻り、覚満淵を目指します。
覚満淵に到着です。
ジッターセンターの駐車場にはいります。
まずは、ジッターセンターの見学です。
大きな額です
ざっと見学して、いざ覚満淵へ
「覚満法師が七日七夜の大法会をおこなったので、覚満淵と呼ばれるようになった」とあります。
では、『神道集』の覚満法師の伝説を、あらすじで確認しましょう。
允恭天皇の時代に、比叡山の西坂本に覚円・覚満という二人の兄弟の僧がいた。
時に、天皇と上皇の間に争いが起こり、上皇に味方した兄弟の父は殺され、覚円・覚満二人も処刑されようとした。
しかし、比叡の山から紫雲が内裏をおおい、紫雲の中から落ちた結び文によって助命された。
二人は法華経を読み修行して、母を養った。
母が世を去ったとき、兄弟そろって諸国修行の旅に出た。
兄の覚円は、四国伊予国三嶋郡で世をさってしまう。
覚満は、近江国坂本に戻り、近江国鎮守兵主明神に「弥勒菩薩の出世にお会いできるような御利益をお授けください。」と七日間山籠りをしてお願いした。
七日目の暁に「上野国勢多郡赤城の沼岸で法華経を讀誦すれは、在らず御利益に巡り会えるでしょう。」
覚満は、お告げに従い、赤城の沼岸にやってきました
そして、赤城大沼の竜神の手助けで、七日七夜の大法会を行ったのです。
上野国の神々はもとより、近隣の国の神々も集まって、聴聞した。
五日目に更科の継母も山神の眷属となって、更科の神々についてやってきた。
小沼の竜神は、高野辺家成であったが、継母を追い返した。
覚満は、覚満大菩薩として、赤城山の頂に祀られた。
覚満大菩薩の本地仏は地蔵菩薩ということです。
地蔵菩薩は地蔵岳地蔵堂に祀られていましたけど、廃仏毀釈の嵐の中で焼失したそうです
では、ゲートを開けて、覚満淵へ。
鹿の被害を防ぐため、ゲートが設定されています
案内図です。
けっこう広いんですね
鴨もいるんでしょうか?
初めての覚満淵です
木橋の木は群馬県産の木を使っていると説明板があります。
静かな心洗われるような風景です
ここらへんで引き返しましょう
全部歩ききるには、それなりの準備が必要そうです。
来た道を振り返ります
水が澄んでいてきれいです
鴨は一羽だけやってきました
駐車場に戻ります。
あの山が地蔵岳です。
あの頂に覚満大菩薩の祀られた地蔵堂があったのです。
ハイキングコースもありそうなので、そのうちに機会があったら、登ってみましょう
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