黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

覚満法師七日七夜の大法会・晩秋の覚満淵

2019-11-05 21:13:25 | 赤城神社

ひめちゃんは、夕方は基本的に小次郎パパとお散歩です。

朝とは反対に、南の方に行くことが多いです。

堀之内の南・塚越にある庚申塚古墳もよく通ります。

双体道祖神があります。

庚申塔もいくつもあります。

今では細い道ですけど、かつては多くの人が行き交った交通の要衝かもしれません。

ひめちゃんは、ちょっと不機嫌です

パパと一緒だと、大好きなケンくんちに寄れないのです。

せっかく近くに来たのに

 

 

旧赤城神社から元の道に戻り、覚満淵を目指します。

覚満淵に到着です。

ジッターセンターの駐車場にはいります。

まずは、ジッターセンターの見学です。

大きな額です

 

ざっと見学して、いざ覚満淵へ

 

「覚満法師が七日七夜の大法会をおこなったので、覚満淵と呼ばれるようになった」とあります。


では、『神道集』の覚満法師の伝説を、あらすじで確認しましょう。

允恭天皇の時代に、比叡山の西坂本に覚円・覚満という二人の兄弟の僧がいた。

時に、天皇と上皇の間に争いが起こり、上皇に味方した兄弟の父は殺され、覚円・覚満二人も処刑されようとした。

しかし、比叡の山から紫雲が内裏をおおい、紫雲の中から落ちた結び文によって助命された。

二人は法華経を読み修行して、母を養った。

母が世を去ったとき、兄弟そろって諸国修行の旅に出た。

兄の覚円は、四国伊予国三嶋郡で世をさってしまう。

覚満は、近江国坂本に戻り、近江国鎮守兵主明神に「弥勒菩薩の出世にお会いできるような御利益をお授けください。」と七日間山籠りをしてお願いした。

七日目の暁に「上野国勢多郡赤城の沼岸で法華経を讀誦すれは、在らず御利益に巡り会えるでしょう。」

覚満は、お告げに従い、赤城の沼岸にやってきました

そして、赤城大沼の竜神の手助けで、七日七夜の大法会を行ったのです。

上野国の神々はもとより、近隣の国の神々も集まって、聴聞した。

五日目に更科の継母も山神の眷属となって、更科の神々についてやってきた。

小沼の竜神は、高野辺家成であったが、継母を追い返した。

覚満は、覚満大菩薩として、赤城山の頂に祀られた。



覚満大菩薩の本地仏は地蔵菩薩ということです。

地蔵菩薩は地蔵岳地蔵堂に祀られていましたけど、廃仏毀釈の嵐の中で焼失したそうです



では、ゲートを開けて、覚満淵へ。

鹿の被害を防ぐため、ゲートが設定されています

案内図です。

けっこう広いんですね

鴨もいるんでしょうか?


初めての覚満淵です

木橋の木は群馬県産の木を使っていると説明板があります。

静かな心洗われるような風景です

ここらへんで引き返しましょう

全部歩ききるには、それなりの準備が必要そうです。

来た道を振り返ります

水が澄んでいてきれいです

鴨は一羽だけやってきました


駐車場に戻ります。

あの山が地蔵岳です。

あの頂に覚満大菩薩の祀られた地蔵堂があったのです。

ハイキングコースもありそうなので、そのうちに機会があったら、登ってみましょう





 

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