黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

もしかしたら赤城神社の小林石造大日堂

2019-04-05 22:23:48 | 赤城神社

今日は暖かい一日でした。
あちこちで桜が見頃になっているようです。
昨日の葛塚の桜と赤城山のコラボです。



堀之内の西側になります。
ひめちゃんたちは、よくここを通ります




笠懸のカタクリの花を見た後、そのまま西に向かいました。
よいお天気で、誘われるように脇道に入ってしまいました。
あれ、石造物がある
集会所らしき建物もあります。





「小林の石造大日堂」とあります。
この石宮が大日堂なのです
大きくて立派です。
残念ながら邪魔なおじさんが映っていないので大きさは実感できません。

いちおう桐生市の指定文化財にもなっているということで、市のHPに大きさがあります。
堂身は高さ65センチメートルで幅は61センチメートル、奥行き62センチメートルあります。~中略~総高は2.6メートルあり、道内には高さ60センチメートルの大日如来が安置されています。


大日様、ちょっと失礼します。






本来は、ひざまずいて合掌するべきなのでしょうけど、立ったまま合掌です。


周りには石造物がいっぱいです。





大黒天、馬頭観世音、赤城大明神、為朝大明神(ためともだいみょうじん)、庚申塔などです。
赤城大明神の社額もあります
ということは、ここは赤城神社だったかもしれません

桐生市新里町小林は、ひめちゃんちのある堀之内を含んだ山上(やまかみ)の南になります。
当然ながら、赤城山も背景になります。



石造物はあちこちから寄せ集められた感じもします。
為朝大明神は、よそではあまり見ません。
滝沢馬琴の『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の影響でしょうか?
『椿説弓張月』は、とにかく人々に大反響だったらしいですから。
馬琴の歴史小説としては最初の作品で、次に書いたのが『南総里見八犬伝』だそうです。
ここには、為朝伝説はないようです。


南は低地になっていて、工業団地が造成されています。



つい先年まで、田んぼだった様な気がするのですけど。

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