ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、岩神沼に着きました。
赤城山がきれいに見えています。
逆さ赤城も、いつもより大きく映っています。
いつのまにか、晩秋の雰囲気です。
さて、沼の脇の道に戻ります。
おや、何かが舞い降りました
鴨(かも)です
ここで鴨の姿を見るのは、久しぶりです。
少し上って、高縄の摩崖仏の裏を廻って帰ります。
途中、おいしそうな草に、獅子丸は夢中です。
緑の畑の下は、大きくくぼんだ断崖の名残のようです。
もしかしたら大昔は川が流れていたかも、という雰囲気です。
もしかしたら、鏑木川(かぶらぎがわ)はここを流れていて、やがて川の流れが変わって、もう少し東を流れるようになったのかな、なんて思ったりしました。
赤城神社の額は、赤城大明神でした。
赤城大明神について確認しておきます
そうしないと、覚満淵で覚満さんが七日七夜の法要をした時に集まった神々の話が、わかりにくいのです。
赤城大明神は、高野辺家成(たかのべのいえなり)の次女赤城姫ということです。
そして、高野辺家成夫人の供養塔という「三ヶ尻の赤城塔」が、粕川村(前橋市粕川町)にあります。
何度か、行ってます。
(2019年1月4日の訪問です。)
あれ、前よりきれいになってる
この前はいつだったか忘れましたけど、すさまじい雑草に覆われていたのです
「高野辺家成夫人の供養塔と伝えられている」とあります。
「現在は相輪が失われて五輪塔で代用している」ともあります。
後ろから、ちょっと失礼。
結構損傷しています
でも大きく立派なものです。
スタンプラリーのボックスがあります
粕川村の時代には、子どもたちで賑わったのでしょう。
もしかしたら、お寺があったのかな?という風景です。
だから、五輪塔のパーツもよそから持ってこなくていいのです。
ゴミ置き場は前からあったけど、お宮なんてあったけ?
祠があり御眷属守護(ごけんぞくしゅご)の文字が見えます。
眷属とは、わかりやすくいうと、ランクの低い神様で高位の神様に仕える神様です。
高野辺家成夫人の娘は、淵名姫&赤城姫&伊香保姫で、姫たちが神になったとき、従者も神になったのでした。
高野辺家成夫妻も、神になってます。
なぜここに高野辺家成夫人の供養塔があるのでしょうか?
それは、ここが粕川村深津だからです
(『神道集』にある)高野辺家成家族の物語、あらすじです。
履中天皇の時代、高野辺家成は無実の罪で上野国勢多郡深津郷に流されました。
夫人との間に若君1人、姫君3人生まれた。若君は成人して都に上がり任官を許される。
3人の姫は両親と暮らしていたが、夫人が38歳で亡くなってしまう。
そこで信濃国更科から後妻を迎える。
やがて、家成はゆるされ都に上ります。
都にいっている間に継子いじめが行われるのでした。
そのころ、長女淵名姫は、淵名治郎家兼を後見として淵名(旧佐波郡境町淵名)に住み、次女赤城姫は大室太郎兼保を後見とし大室(前橋市大室)に住んでいた。
三女伊香保姫は伊香保大夫伊保を後見として有馬(渋川市有馬)に住んでいた。
義母の弟更科治郎は淵名次郎と大室太郎を殺し、淵名の館に押し寄せ、淵名姫を利根川の倍屋淵に沈めて殺した。
大室にも押し寄せたが、赤城姫は赤城山に逃れ、赤城沼の竜神に導かれて湖に消える。
そして、龍神の後を継いで赤城大明神となるのです。
伊香保の守りは堅固で、伊香保姫は無事であった。
都から帰る途中、この話を知った高野辺家成は、倍屋淵に実を投げる。
都で出世した若君が帰ってきて復讐が成功する。
高野辺家成の次女・赤城姫は、赤城大明神になったのです
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