黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ひめちゃんと獅子丸の初めての山上多重の塔訪問記

2021-10-26 20:37:27 | 群馬県・旧勢多郡

朝のお散歩前に雨が上がりました

今朝も、3名様でお散歩です

そうだ、昨日行き損なった山上多重の塔に行ってみよう

人間は念のため、けっこう着込んでいきました。

 

諏訪神社の向こうの高台を、突き当たりまで歩きます。

明け方まで雨が降っていたせいか、みんな動きがいつもより穏やかです

 

 

多重の塔の表示を矢印の方に曲がります。

(この場所の写真が今日はありません。昨日の撮影です。)

 

 

まもなく、窪地になります。

この辺りは、相ヶ窪(そうがくぼ)です。

もともとは、僧ヶ窪だったようです。

今朝の赤城山は、雲が沸き立っているという感じです。

 

 

まもなく左手に、多重の塔の覆屋が見えてきました。

 

 

矢印を曲がります。

ススキの向こうに、多重の塔が見えます。

 

 

赤城山を背景に、山上多重塔、到着です

 

 

最近、左側にある説明板が新しくなりました。

内容は、以前のままのようです。

塔婆(石造三重塔)は、通称、山上の多重塔といわれ、付近で産出する赤城火山起源の輝石安山岩を使用する。~(中略)~刻字の内容は、「朝廷や衆生などのため小師の道輪が法華経を安置する塔を建てた。これで、無間(むげん=八大地獄のうちの阿鼻地獄)の苦難より救われ、安楽を得て彼岸(悟りの境地)へ行ける」というものである。延暦二十年(801)七月十七日に建てられたこの供養塔は、平安時代初期の地方に置ける仏教文化史上重要な石造物である。

 

大和朝廷の蝦夷討伐との関わり合いが、気になります。

東山道が少し南を走ります。

このあたりからも、兵士として徴用されたり、住民として移住させられたりした可能性も大いにあります。

住民にとっては、無間地獄の苦難だったのです。

僧・道輪は、「衆生などのため」という視点をもったすばらしい人だったのです

 

 

ひめちゃんは、落ち着きません

どうしたの

誰かお散歩の来たのかな?

タバサねーちゃんは、車に乗って来た事があります。

なので、今日は落ち着いています

 

 

さて、多重の塔にご挨拶です。

文字がある様ですけど、汚れたガラス越しでよく見えません

合掌

 

 

覆屋の後ろは、ススキ野です。

ちょっと寂しい景色かな

紫陽花とか桜とか紅葉とかあっても良さそうですけど。

 

 

この辺りには、寺院があったようです。

地下に遺構あるとか。

僧ヶ窪ですものね

そちらの方の説明も欲しいですね

 

 

覆屋の東には、地元の人が歯仏様(はぼとけさま)と呼んでいる石造物があります。

 

もとは、形のある石仏だったようです。

歯の痛みを治してくれる仏様だったのかな?

合掌

 

 

さて帰りましょう

あれ、若いもんはご褒美の催促です。

ふと西の空を見ると、有明の月です。

今日は旧暦の9月21日です。

 

 

帰り道は、獅子くんの先導で、また道ばたにサツマイモのツルが捨てられているサツマイモの道になりました。

1本だけにしておいてね。

ひめちゃんもタバサねーちゃんも、もちろん食い付きません。

 

 

獅子丸は、「ああ、おいしかった

朝陽の中を帰ります

大分気温が上がってきました。

 

人間2人と犬3名、かれこれ約1時間で、歩いて山上多重の塔まで往復できました

 

 

みんなに朝ご飯を配って、ガーデンパトロールです。

 

晩秋のクレマチスです

向こうの銀モクセイ、今年は全く花を付けません。

 

上を見ると、あれ、桜の花です

七海ママのお地蔵様の上で咲いています

返り咲きは、初めてだと思います。

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