昨日はひさしぶりに少し暖かい一日でした
ひめちゃんとタバサねーちゃんも一緒に、膳城跡公園と近戸神社までお出かけしました
タバサねーちゃんは16歳半、よちよちながらも自力歩行できます。
おむつもまだ使用してません。
目は見えないけれど、たくましく生きています
2020年3月の黒柴家族です。
小次郎パパも、まだ尻尾が上がってます
みんな笑顔がありました
『桐生老談記』 新しい章です。
タイトルには長すぎる題名なので、タイトルは省略形になってます
未の上刻より雨風しきりにして止まらず(新田より小俣へ加勢の事、付けたり、小俣より小田原へ早打ち、義勝帰国の事・その1)
去る程に、由良成重公、病気以ての外なれば、萩野養意を召して御養生の内談最中なる所、小俣合戦の由、午中刻(午後1時)に告げ来り。
上下大いに驚き、則、加勢の為、増田伊勢守、堀口彦五郎を差し添え、都合百七十騎、小俣城に隨わされける。
未の上刻より雨風しきりにして止まらず。
これにより鹿の裏の川原に日を暮らす。
小俣より来る早打ち、小俣勝利の由、聞かしかば、加勢は新田へ帰陣す。
其の日巳刻(午前10時)に新田より小林虎之助を以て使者に立てらる。
あらすじです。
由良成重は病気で、その療養を、萩野養意を呼んで相談していました。
そこへ、午中刻(正午頃)に、小俣合戦の報がもたらされました。
由良家中は驚いて、すぐに加勢のために、増田伊勢守を大将に堀口彦五郎を補佐に付けて、170騎で小俣城に派遣しました。
未の上刻(午後1時から午後1時40分)に雨風しきり降り出し、いっこうにやみません。
渡良瀬川は渡ることができないで、鹿の裏の川原で日が暮れました。
そのうち小俣から、小俣勝利の報がもたらされたのです。
それで、加勢の軍は、新田へ引き上げました。
そして、巳刻(午前10時)に新田から小俣に、小林虎之助を使者にして送りました。
時間の記述がはっきりしません
この部分は2日間にわたる出来事です。
お昼頃、合戦の報がもたらされて、1時間かそこらで170騎で出陣はかなり難しいと思われます
新田(金山城)から、渡良瀬川をどこから渡って小俣に行くか
やはり松原の渡し、現在の松原橋付近でしょう
鹿の裏の川原がどこかわかりませんけど、松原橋付近でしょう。
豪雨で増水して、渡れなかったのです
松原の渡しは、新田(太田)側が松原、桐生側が三ツ堀ということです
あれ、三ツ堀には小俣城攻撃から退却した萩田備後守も来ています
鉢合わせしなかったのでしょうか、心配です
初稿 2020.03.28 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.01.22
(つづく)
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