黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

下野国庁と同じ円面硯(日本最大の郡庁・新田郡家はなぜ造られたか?)

2021-06-01 15:28:45 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんは、ちょっと不安です

ボクは平気だよ

やっぱ、来たよ

天神田のあぜ道に避難して、黄色い帽子の集団の通過を待ちます。

いくつになっても、ひめちゃんは子どもが苦手です。

 

 

 

沼田歴史資料館に行ったとき、目立たなく金山城ガイダンス施設の企画展ポスターがありました。

「日本最大の郡庁 新田郡家はなぜ造られたか?」

新田郡生まれのひめちゃんちのおかあさんは、これは絶対に行かなくてはなりません

 

久しぶりの、金山城ガイダンス施設です。

まず受付で、金山城の御城印を求めます。

「御城印を下さい。」

「はい、何枚ですか?」

「1枚です。」

きっと、枚も求める人がいるのでしょう。

山が象形文字の山ですね。

ふと、県道4号線の大鳥居(前橋市富士見町小暮)にかかる赤城山の額が思い浮かびます。

 

 

階段を上がって、企画展「日本最大の郡庁 新田郡家はなぜ造られたか?」会場です。

ここは、カメラOKです。

あれ、企画展のイメージキャラクターは、円形の硯(円面硯・えんめんすずり)です

これは見たことあります

下野国庁跡の資料館で見ました。

「たくさんの方向から筆が入って、事務効率アップに役立った優れものです。」と説明を受けました。

下野国庁と同じ硯だ

もしかしたら、国庁と同じほどの事務を執る人が働いてのかな?

新田郡家が、日本最大の郡庁だったシンボルです

 

新田郡家の模式図です。

新田郡家跡にも、久しぶりに寄ってみましょう。

 

郡庁の模式図です。

下野国府跡の様子と、似ています

 

入田は、新田郡を示す文字ですか

墨書は残るのですね

 

「新田郡家はなぜ造られたか?」の諸説です。

円面硯から見ると、3の「新田郡家が当初の上野国府であった」に、心惹かれます

 

 

国指定史跡・上野国新田郡庁跡も訪問です。

何年ぶりかな?

あれ、柱の跡がある

何もない草原だったのが、柱の位置がわかります

東山道との係わりも、大切ですね。

新田暁高校の裏にある、東山道公園にも寄りましょう


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