ひめちゃんの恋の季節は、過ぎたようです。
みんなで諏訪神社のむこうの高台・山上の薬師の道を歩いてきました。
獅子丸との若いもんのコンビも復活です。
獅子丸は、捨てられたブロッコリーの葉っぱに夢中です。
タバサねーちゃんも、若いもんに負けずに元気に歩きます。
最近ここらへんは、ブロッコリー畑が多くなりました。
一昨日、みんなで諏訪神社の向こうの高台を突き当たりまで行きました。
舗装された道は終ですけど、あぜ道があって、むこうの窪地に降りられるようです
好奇心旺盛のおじさんと獅子丸&タバサねーちゃんは、さっさと進んで行きます。
この先は、山上字相窪(そうがくぼ)です。
相窪は、もともとは、僧ヶ窪だったと思われます
上野第四の碑・山上多重塔は、山上の相窪にあるのです
窪地の北の風景です。
先日、みんなで歩きましたけど、なかなか山上に戻る道が見つかりませんでした
今回は南に行きます。
右上に、電柱の陰に山上多重塔が少しだけ見えます
電柱の前の道を、南に歩きます。
何処に行くのかな?
ここから、山上に帰れそうだよ。
左に行く道があります。
見たことある山上の新興住宅群です。
でも、進みます
振り返ると、はるかに足尾の山が見えます。
あのお昼山です
新田の古老の話では、画面中央の奥、二つのとがった山の間に、お昼になると陰が出て、畑に居てもお昼が分かったと言います。
ここは案外見晴らしのいいところだったかもしれません
水田の何かの給付対象の札があります。
ここの住所は、「字丙相窪」です
突き当たりまで下りました。
向こうに見える森は、膳城です。
今回は右折してみます。
さらに、また川沿いに右折して北に進みます。
何処に出るかな?
おや、石造物です
馬頭観音です。
大正七年四月三日 馬頭観世音 馬名𠮷花號鈴木氏之建
愛馬の墓標であると同時に、道行く人々を見守った馬頭観世音だったのでしょう。
大正時代にも、馬頭観音が建立されていたのです
道の右側には、白いガードレールも顔を覗かせています
かつては、そこそこの人通りだったのでしょう。
何故か、獅子丸とタバサねーちゃんは、飛んでます
あたちも、飛びたいなあ
行く先に、山上多重塔が見えてきました
この道は、多重の塔からまっすぐ南に下る道だったのです
西を見ると、(前橋市粕川町)近戸神社が見えます。
上野第四の碑・山上多重塔です。
桐生市のHpによれば、
平安時代初期の延暦20年(801年)7月17日に、僧道輪によって建てられた供養塔です。塔には安楽と平和を願う45の文字が刻まれ、当時の仏教文化を知る上で大変貴重な遺産となってます。
着いたね
この下には、古代の寺院の遺構があると言います。
「そうがくぼ」という地名からしても、かつては僧房が建ち並んでいたことがうかがわれます。
かなりのパワースポットだったようです。
もう少し古代の姿を解明して欲しいところですね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます