ひめちゃんと獅子丸は、おとうさんと朝散歩に出ようとしました。
獅子丸が変です
ひめちゃんの後ろに回って、クンクン
ひめちゃんは、恋の季節に突入したようです
急遽、獅子丸はタバサねーちゃんと組んでお散歩にでます。
ひめちゃんは、おかあさんと後を追います。
諏訪神社の前を、南に下ります。
振り返って、諏訪の森です。
田んぼに設置された危険な電気柵は、まだそのままです
突き当たりを左折、山上城の方に下ります。
今日は山上城趾公園ではなく、山上城南郭の蚕影山神社に寄ります。
元町集会所→を入ります。
ここは、かつては山上城の南郭だったといいます。
集会所の隣に、小高い空間があります。
この上に蚕影山神社があります。
先にひめちゃんとおかあさんが、急な狭い階段を登ります
登り切ると、遠くまで見渡せます
登ってきたよ
タバサねーちゃんと獅子丸も、やって来ました。
ひっそりと蚕影山神社です。
『新里村誌』によると、2間四方の茅葺きの御堂があったけれど、終戦後老朽化が進み取り壊されたといいます。
村誌には、山上の絹市について、何の記述もありません。
でも、大間々歴史博物館(コノドント館)には、大間々の絹市発展のパネルの1枚に、「元禄15年 大間々市(おおままいち)に山上市(やまがみいち)を合併する」とあります。
元禄15年(1702)まで、山上で絹市が開かれていたのです
山上の養蚕の神様・蚕影山神社の境内に、絹市が立って人々が行き交い、多くの産業も栄えた時代があったのです
山上に通じる道があったのです
山上は、産業のない寒村ではなく、豊かな元気な村だった時代があったのです
上りより、十分気を付けて降ります。
ああ、大変だったね
ご褒美をもらいましょう。
集会所の周りには、市を開くのに十分な空間があります
山上の絹市は、ここだったのです
さて、東の方から降りられそうです。
階段ではなく、スロープになってます
手すりもあります
ちょっと急坂ですけど。
なんとか、平地まで降りてきました
あれ、道の端に鬼瓦?
でも、神社のではありませんね。
確か、左のお宅は瓦屋さんでした。
あれ、ここは幟が立ちます
まだ現役かも
この坂道は、蚕影山神社の参道だったのです
この前の道は、何度も通っていますけど、初めて気づきました。
ひめちゃんたちと降りてきて、初めて気づきました
参道は急坂なので、荷物は脇の道から出し入れしたかも知れません。
ここは字元町(もとまち)、城下町の萌芽が見られるという人もいますけど、絹市で栄えた町です
絹関連のいろいろな職種の人々が集まったことでしょう。
蕨沢川にかかる助衛門橋(すけえもんはし)を渡って、帰ります。
助衛門さん、絹市で活躍した人かな?
天神田(字天神の田んぼ)を通って帰ります。
大分気温が上がってきました。
小次郎パパが待ってるから、急いで帰りましょう
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