ひめちゃんは、恋の季節真っ盛りを、無事に過ぎたようです
今日の夕方は、小次郎パパと諏訪神社にお散歩してきました。
パパの怪しい行動もなく、草むらに一緒に首を突っ込んでも大丈夫でした。
だだ、鳥居をくぐった途端に雨が降り出し、濡れながら帰りました
ひめちゃんの恋の季節は終わりそうですけど、七海ママの恋の季節は終わりそうもありません。
前回も今回も長く続いています。
パパは、ママにラブラブです
恋するパパの真剣なまなざしを受け止めるには、ママは年を取り過ぎました。
参道に回って、中峰堂の方に行きます
気になる掲示板が後ろ向きです。
参道に降りると、「迦葉山縁起・その他」でした。
「迦葉山縁起」に関する部分だけ、拡大します。
降って康正二年天巽慶順禅師により曹洞宗となる。天巽禅師の隨身に神童中峰あり。神通力を有し広く衆生の抜苦与楽の請願を立て昇天された。その後に天狗面が残され、鎮守中峰大菩薩として祭られ迦葉山信仰の中心となっている。
康正二年は1456年、室町時代・応仁の乱(1467)の少し前ですね。
天巽禅師は、「てんそんぜんじ」でいいのかな?
HPによると、
天巽禅師が二世大盛禅師に譲られるや、「吾、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の化身にて已に権化化業は終わった。よって今後は長くこの山に霊し末世の衆生の抜苦与楽せん。」と請願して案山峰より昇天され、その後に天狗の面が残されていたという。
神童中峰は、迦葉尊者の化身だったのです
迦葉尊者は、ウィキペディアによれば、
釈迦十大弟子の一人。仏教教団における釈迦の後継(仏教第二祖)とされ、釈迦の死後、初めての結集(第1結集、経典の編纂事業)の座長を務めた。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。
参道を入り直します。
なぜか、右が大天狗、左が小天狗です
失礼します。
中峰尊の額は、子爵源長生書とあります。
新田岩松家の源さんではありませんね。
確か岩松家は男爵でしたね。
さらに、失礼します。
わあ、コロナウイルス撲滅感染収束祈願中」です
心を込めて、合掌
さて、もう少し散策です。
鐘楼堂です。
どんな音色かな?
おや、千手面観音です
現代感覚の素敵な千手観音菩薩です。
合掌
こちらは聖観音の坐像のようにみえますけど。
雪の下です。
雪の下は、やっぱい水を好むのですね。
昔、実家の井戸端にありました。
地味だけど、懐かしい花とぱっぱです
今はもうない実家を思いながら、合掌
心と体と命の洗濯ができました
ありがとうございます
また、紅葉の季節にでもお邪魔できればいいなあ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます