今朝ひめちゃんは、タバサねーちゃんとお散歩に出ました。
後ろから小次郎パパとののこねーちゃんが、おとうさんを連れてやってきます。
ひめちゃんは、「遊ぼ」の姿勢で待ってます。
パパはひめちゃんとちょっと絡んで、追い越していきます。
抜きつ抜かれつ、帰り道です。
なにげなく、タバサねーちゃんの方が先に出ています。
やはり順位はタバサねーちゃんの方が上です
先日、旧勢多郡粕川村の村主(すぐろ)神社を訪れました。
村主神社に行きたいという人がいたので、翌日また訪れました。
赤い鳥居に満開の桜、いいですねえ
鳥居の前に、いわゆるシニアカーにのった老人がいました。
境内の散策は前日にすんでいるので、同行者を待つ時間があります。
「こんにちは」
「こんにちは」
「立派な神社ですね!すごい御神木があったんですね」
今は御神木の大きな根が祀られています。
実は、このおじいちゃんは、その御神木を掘り出した一人なんだそうです。
どんなに大きかったか、いろいろ聞きました。
いろいろ話が弾んで、このあたりは昔獅子丸家開基・常広寺の檀家だったという話も出ました。
大正15年1月1日未明の常広寺火災の時には、みんなで駆けつけたのだそうです。
その後何があったのでしょうか?
みんなで離檀(りだん)したんだそうです。
「では、どちらのお寺に入ったんですか?」
「神葬祭だよ。どこにも入らないよ。」
ということは、仏教に絶望したという事でしょうか?
「あのう、自音寺沼(じおんじぬま)ご存じですか?大間々の高津戸にある自音寺は、もと粕川の田面(たなぼ)にあったという話があるんですけど。」
「ああ、知ってるよ。」
道を丁寧に教わりました。
実は昨日、そこを通って帰ったのです
「あのう、沼が2つ有りますけど両方そうですか?」
「いや、北側だけだよ。南側は戦後水不足で掘ったんだ。」
「大間々町誌には、自音寺跡のポールも立ってるという事ですけど。」
「いや、ポールはもう立ってないと思うよ。」
でもまあ、とにかくありがとうございます
『大間々町誌基礎資料・大間々の社寺』の記述
「自音寺伝記」によれば、自音寺はもと勢多郡粕川村田面にあった寺院で、建長二年(1520)に創建された。その後、永禄十年(1567)に上杉・武田が度々合戦に及んだとき、上杉方の武将安田左馬之助が渋川義将に敗北し、厩橋城に戻る途中自音寺に宿陣した。そのことを知った渋川は自音寺に放火し~(中略)~粕川村の旧自音寺跡地には「自音寺跡」の標識が立っており、近くには自音寺沼がある。
が気になっていたのです。
指示された道を辿ります。
あれです
網がかかってます。
フナだか鯉だか養殖中と聞きました。
南の沼も養殖中のようです。
南の沼の脇に降りられる道があります。
振り返ると、当然のことですけど、赤城山が見えます
その先は墓地になっていました。
隣に神社が見えますけど、戻らないと行けません
戻って、なんとか神社裏にたどり着きます。
神明宮(しんめいぐう)とあります。
なかなかきちんとした作りです
境内の大木の陰に、たくさんの石宮の末社もたくさんあります。
狛犬は居ないけれども、手水舎の蛇口は竜です
自音寺跡の標識は見つかりませんでしたけど、自音寺沼にたどりつきました
ここは前橋(厩橋)と桐生を結ぶ上毛電鉄の膳駅のすぐ近くです
そして、前橋から桐生に向かう県道3号線も通ります
敗走して厩橋城(うまやばしじょう)に戻る途中になります
大間々町誌で紹介されている話は、「さもありなん」という感じも受けます
後ろから小次郎パパとののこねーちゃんが、おとうさんを連れてやってきます。
ひめちゃんは、「遊ぼ」の姿勢で待ってます。
パパはひめちゃんとちょっと絡んで、追い越していきます。
抜きつ抜かれつ、帰り道です。
なにげなく、タバサねーちゃんの方が先に出ています。
やはり順位はタバサねーちゃんの方が上です
先日、旧勢多郡粕川村の村主(すぐろ)神社を訪れました。
村主神社に行きたいという人がいたので、翌日また訪れました。
赤い鳥居に満開の桜、いいですねえ
鳥居の前に、いわゆるシニアカーにのった老人がいました。
境内の散策は前日にすんでいるので、同行者を待つ時間があります。
「こんにちは」
「こんにちは」
「立派な神社ですね!すごい御神木があったんですね」
今は御神木の大きな根が祀られています。
実は、このおじいちゃんは、その御神木を掘り出した一人なんだそうです。
どんなに大きかったか、いろいろ聞きました。
いろいろ話が弾んで、このあたりは昔獅子丸家開基・常広寺の檀家だったという話も出ました。
大正15年1月1日未明の常広寺火災の時には、みんなで駆けつけたのだそうです。
その後何があったのでしょうか?
みんなで離檀(りだん)したんだそうです。
「では、どちらのお寺に入ったんですか?」
「神葬祭だよ。どこにも入らないよ。」
ということは、仏教に絶望したという事でしょうか?
「あのう、自音寺沼(じおんじぬま)ご存じですか?大間々の高津戸にある自音寺は、もと粕川の田面(たなぼ)にあったという話があるんですけど。」
「ああ、知ってるよ。」
道を丁寧に教わりました。
実は昨日、そこを通って帰ったのです
「あのう、沼が2つ有りますけど両方そうですか?」
「いや、北側だけだよ。南側は戦後水不足で掘ったんだ。」
「大間々町誌には、自音寺跡のポールも立ってるという事ですけど。」
「いや、ポールはもう立ってないと思うよ。」
でもまあ、とにかくありがとうございます
『大間々町誌基礎資料・大間々の社寺』の記述
「自音寺伝記」によれば、自音寺はもと勢多郡粕川村田面にあった寺院で、建長二年(1520)に創建された。その後、永禄十年(1567)に上杉・武田が度々合戦に及んだとき、上杉方の武将安田左馬之助が渋川義将に敗北し、厩橋城に戻る途中自音寺に宿陣した。そのことを知った渋川は自音寺に放火し~(中略)~粕川村の旧自音寺跡地には「自音寺跡」の標識が立っており、近くには自音寺沼がある。
が気になっていたのです。
指示された道を辿ります。
あれです
網がかかってます。
フナだか鯉だか養殖中と聞きました。
南の沼も養殖中のようです。
南の沼の脇に降りられる道があります。
振り返ると、当然のことですけど、赤城山が見えます
その先は墓地になっていました。
隣に神社が見えますけど、戻らないと行けません
戻って、なんとか神社裏にたどり着きます。
神明宮(しんめいぐう)とあります。
なかなかきちんとした作りです
境内の大木の陰に、たくさんの石宮の末社もたくさんあります。
狛犬は居ないけれども、手水舎の蛇口は竜です
自音寺跡の標識は見つかりませんでしたけど、自音寺沼にたどりつきました
ここは前橋(厩橋)と桐生を結ぶ上毛電鉄の膳駅のすぐ近くです
そして、前橋から桐生に向かう県道3号線も通ります
敗走して厩橋城(うまやばしじょう)に戻る途中になります
大間々町誌で紹介されている話は、「さもありなん」という感じも受けます