黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

南勢多郡の廃寺・飯土井寮

2021-09-18 13:51:35 | 南勢多郡の廃寺

こぬか雨の中、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北の方を歩いてきました

堀之内の西、東柴の田んぼ道を帰ります。

後ろ姿で失礼します

ここにも、もう刈り取り適期の連絡票です。

9月29日ごろですって。

その頃は晴れるといいね

 

ビッショリにならないうちに帰りましょう。

 

昨日は、ここら辺に、シラサギさんがいました

赤い彼岸花と、品良くコラボしていました

雨の今朝は、何処にもその姿はありません。

 

 

 

『南勢多郡の廃寺』(内田憲治 群馬県勢多中部仏教会 平成23)に、前橋市飯土井町の飯土井寮(いどいりょう)があります。

飯土井寮

飯土井町805番地に存在する。裄を支える舟肘木には唐草模様の彫刻が施され寺院建築の造作が見られる。飯土井村は西大室村観昌寺の檀家であり飯土井寮はその境外施設であった。~(中略)~寮の敷地には鼻毛石村赤城寺7世の石仏があり、赤堀の石山観音や玉村の観音寺とも関係があったようで、また二之宮村の慈照院48世見詔も安政5年(1858)隠居している。飯土井寮は僧侶が隠居し籠もる隠寮として存在していたようである。幕末の嘉永から安政にかけ貞専という尼僧が寮におり指定の教育を行っていた。明治初年には寺院の施設ではなくなったようで、隠寮は現在の飯土井町公民館として提供されている。

 

お使いついでに、ちょっと足を延ばしてみます。

迷うことなく到着できました

 

史跡のポールがあります。

設置者は、荒砥史談会です。

旧荒砥村になるのでしょうか?

 

 

ポールの側には、不思議な形の石造物があります。

開山さんかな?

合掌

 

不動明王に護られているのです。

もっといろいろあったような雰囲気です

 

 

ここは、(前橋市)飯土井町公民館です。

「南勢多郡の廃寺」が調査された頃とは異なり、新築された公民館になってます。

 

 

飯土井寮の石仏群は、公民館の建物の西側に、ひっそりとありました。

むむ、お首が変だぞ

ちょっと違うお首が付いてるみたい

 

 

和尚さんたちの墓石は無事のようです。

 

 

目立つ石造物です

裏を見ると、これが小次郎パパのふるさと・鼻毛石村の赤城寺(せきじょうじ)7世の墓石でした

 

 

石仏のみなさんけっこうお首がありません

 

 

六地蔵幢(ろくじぞうどう)の六地蔵さんは無事ですけど、どんな形の石造物だったのかな?

 

 

奥の方に、端正なお顔のお地蔵様です

でも、よくよく見ると、違う石仏のお顔かも

ここは、明治初年、すさまじい廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れたようです

 

 

北面の馬頭観音は、ご無事です

頭上のお馬さんのお顔も、はっきり見えます

ほっとなごむ光景です

 

 

石仏のみなさんに、合掌

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摩崖仏と曼珠沙華

2021-09-16 17:19:25 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

向こうに見えるポプラの辺りが、以前のお散歩コースです。

ひめちゃんは何かを踏んで足に怪我をしてから、あの道は歩いていません。

この道の左には、作業小屋に1人でいつもお留守番の赤柴・プーちゃんがいます。

あれ、今朝はいません

 

 

みんなの気持ちがそろって、サルビアの道を岩神沼の方に回り込みます。

 

 

あれ、沼には誰もいません。

赤城山もその姿を見せてません。

岩神様(高縄の摩崖仏)にも寄って行きましょう

そろそろ彼岸花、満開かな?

 

沼の脇の田んぼ、CDが雀除けに利用されています

あれ、もう刈り取り連絡票が張ってあります。

「9月17日ごろ」ですって。

明日です

 

 

ほどなく高縄の摩崖仏(たかなわのまがいぶつ)です。

何となく、彼岸花ではなく、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と呼びたい雰囲気です

 

高い岩の上に馬頭観音かな?

おや、下の岩の空洞にも、摩崖仏がありそう

空洞があるって、何か意味があるよね

 

今朝は、馬頭観音さんが目立ちました

 

大きな岩の隅っこにも、何かあったかな?

 

阿弥陀三尊の摩崖仏さんに合掌

 

ひめちゃんの耳が立ってます

小学生の声でも聞こえるかな?

ひめちゃんは、いくつになっても子どもが苦手です

 

ここは石造物がたくさんあるのに、墓石はありません

祈りの場なのです

パワースポットです

 

鎌倉時代、上野国山上(こうずけのくにやまがみ)の窪井(くぼい)には、行仙上人(ぎょうせんしょうにん)という、高名な念仏行者がいました

行仙上人の著『念仏往生伝』には、山上周辺にいたと思われる念仏往生者の話があります

死期を悟った彼は、行仙上人を訪れ、往生に立ち会ってほしいと伝えます。

その往生の様子が、記されています。

山上周辺の念仏往生者がいたのはどこか?

阿弥陀三尊の摩崖仏のある祈りの場、高縄の摩崖仏周辺も十分考えられます

何か関係ありそうです

 

 

摩崖仏の裏を通って帰ります。

裏には、古墳の葺き石です。

 

 

坂道で転ばないように気を付けます。

でも、振り返るといい雰囲気です

葛塚村の曼珠沙華を、どアップで

きれいです

 

ここは、葛塚城の堀切の続きになります。

葛塚城の堀切は、自然の地形を利用した(応用した)ものだったのです。

 

 

さて、堀之内に戻ります。

あれ、何やつじゃ

獅子くん・ひめちゃん、戦闘モードです

獅子くんはひめちゃんに、「ボクが戦うんだから引っ込んでろ」と威嚇します。

その昔、三四郎がサマンサを威嚇したのと同じ場面です

仲間を先に威嚇するのです

他人のはずだけど、柴犬・雄の習性かな

 

もしかしたら、プーちゃんかな?

行きも帰りも、プーちゃんおうちにいなかったものね。

 

 

2人は無事におうちに帰りました

 

おまけで、ひめちゃんちに咲いたクリーム色の曼珠沙華です。

白いのは、花が早くてもう散っています。

増えるといいね

 

 

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岩井の背高地蔵

2021-09-15 19:18:27 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩き、山上城三の丸の南に出ます。

紫陽花の城址は、草に埋もれそうです。

クンクン、誰が通ったのかな?

 

蕨沢川に架かる元町橋を渡って帰ります。

あれ、注連縄が付いてる

大きな石造物3体に注連縄です。

幣束も上がっています。

地域で祀っているのかな?

初めて遭遇した光景です。

 

馬頭観音だったんだ

こちらは道祖神です。

 

北側には、元町橋の供養塔です。

元禄14年(1701)、近くの愛宕塚古墳の石室の石を使って、石の橋になったいきさつが書かれています。

今ではもちろんコンクリートの橋です。

 

暑くなってきたよ、早く帰ろう

あちゃあ、小学生がやってくる

もうとっくに、通学時間は過ぎているのに

分散登校になったのかな?

子供達は明るく「おはようございます

「おはよう、行ってらっしゃい

ひめちゃんは、及び腰でやり過ごします

 

 

 

 

真田伊賀守苛政の跡・池の薬師水牢跡から、再び長徳寺前に戻ります。

県道35号線に出て、もう少し西に行ってみましょう

しばらく行くと、コンビニがあります。

ちょっと一休みしましょう

 

あれ、道の向こうに大きなお地蔵様です

行ってみましょう。

岩井の背高地蔵です。

大きい

帽子とオガケの交換、危険が伴いそうです。

合掌

説明板があります。

岩井の背高地蔵は、正徳5年(1715)岩井村山根の田中八兵衞・田中十兵衛が中心となり、岩井村中の後援で建立された。ここは元岩井村から中之条町へ通ずる渡船場道と金井川方面へと渋川方面に通ずる三本辻にあり、その後東端開通によって十字路となり要衝となる。現在は東吾妻町の重要な道路となって信号も出来、往来する多くの人々の安全と住民の安泰を願って高いところから見守っている。

地蔵尊の傍らに自然石で「右江戸 左ぜんこうじ」と刻まれている。

 

これかな?

文字がありそうで、なさそうで

「右江戸、左ぜんこうじ」ですか

この道は信州善光寺に通じているのですね。

 

そういえば、少し先に大戸(おおど)の関所跡があります。

国定忠治は、この道を信州に行こうとして大戸の関所破りをしてしまったのですね。

大戸まで行ってくると、帰りが遅くなりそう

 

コンビニでアイスコーヒーとサンドイッチを調達して、家路に就きます。

ひめちゃんたちが待ってるから、続きは又の機会にしましょう

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驚異のジャンプ力(家族の再生 2 )

2021-09-14 15:57:38 | 獅子丸な日々

獅子丸とひめちゃんは、久しぶりに東の牧場に向かいました

あぜ道が草刈りされて、遠回りしなくても行けそうです。

 

ヤギさん、いるかな?

突然、目の前を何かが横切ります

あれ、子ヤギだ

母屋の方から、突然飛び出して来ました

ンスの前で、立ち止まります。

軽々とジャンプして、ヤギハウスの上に飛び乗ります

器用に向きも変えます。

みんなで、おはようです

 

「えさをあげないで!」の文字が、この家族に起こった悲劇を伝えています。

冬のある日、もらったエサで、ヤギパパと先代のヤギパパ以外はみんな死んでしまったのです

 

 

ヤギママも出てきて、家族勢揃いです

夏が過ぎて、しっかり家族の再生がなったようです

ジャンプの子が降りてきました。

あれ、ジャンプの子の方が白い子より小さい

女の子だったんだ

 

ジャンプなら、ボクも負けないよ

アタチだって負けないわよ

バイバイ、また来るよ

 

 

鏑木川の支流・沢田川を渡って、上のタケイ沼目指します。

 

沼下の田んぼには、雀よけのキラキラテープです。

「刈り取りは9月16日頃」の連絡票があります。

もうすぐですね。

素人には、まだ青いような気もするけど。

 

 

沼はミドリ沼です。

でも、カモの皆さん、たくましく泳いでいます

 

ツル草の向こうに赤城山です。

 

 

サマンサ坂を通って帰ります。

 

道ばたの科花コスモスもいいね。

 

 

葛塚城鬼門の八幡様を通ります。

今は、額と小さな石宮があるのみです

 

 

はす向かいには、長安寺跡です。

獅子丸が7年間養子に行っていた家のご先祖様が開基という、天台宗のお寺でした。

 

獅子くん、ジャンプです

石造物の前に、飛び乗ります。

あれ、石宮に模様がある

阿弥陀様か何かがいそう

初めて気づきました

 

さて、石造物の皆さんに合掌して、帰りましょう

獅子くん、上空に何を見付けたのかな?

 

 

 

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真田伊賀守苛政の跡・池の薬師水牢跡

2021-09-13 17:54:50 | 北毛紀行

いいお天気です

ひめちゃんと獅子丸は、上の新沼&童沢貯水池まで行きました。

新沼には誰もいませんでした。

 

隣の童沢貯水池はどうかな?

相変わらず、ミドリ沼だね。

でも、カモのみなさんはたくましく生活しています

奥にシラサギの姿もあります

 

新沼の方にUターンして帰りましょう。

 

新沼は、相変わらず静かです。

あれ、右上の奥にアオサギです

パトロールから帰ったのかな?

 

暑くなってきたよ

早く帰って、ご飯にしましょう

 

 

 

長徳寺前の坂道を登ると、ほどなく達筆で「池廼薬師堂水牢跡」です。

長徳寺の和尚さんの筆かな

隣のさびた「池廼薬師堂水牢の跡」のポール、ちょっと悲しそうです

後ろの赤い橋に救われます

 

まずは薬師堂に参拝です。

無病息災、眼病平癒が御利益なのですね。

薬師様のお姿はうかがえませんけど、合掌

 

隣が真田伊賀守の苛政を物語ると言われる水牢跡です

あれ、そんなに深くなさそうです

 

説明板を確認です。

6間四方を掘り下げ深さ2尺(約60cm)ほど水をため、周囲に塀をめぐらし木戸を建てた牢屋

ですって

当時の沼田藩主の重税は苛烈を極め旧暦12月の年貢上納に際して、刑罰として年貢未納の農家の妻子を4、5人ずつ縛って水牢に投獄し、寒中の水の中に立たせたと伝えられている。投獄された家の者は見るに堪えず、一族から金子を集め、またある者は田畑を処分して年貢を済ませ妻子を救い出したと伝えられている。

旧暦12月って今の1月頃、吾妻の山中は厳しい真冬です。

借金したり、田畑を処分したりしても、次の年はどうしたのだろう

また、払えなかったらどうなったのかな

「はりつけ茂左衛門」の登場の背景がよく分かります

 

池の端の石造物も、何となく悲しそう

見ざる・聞かざる・言わざる、とっても悲しそう

 

 

赤い橋を渡って、坂を登ると、公園です。

付近の木を利用した四阿とイスです。

今日はちょっと散策する気になれず、退却です。

 

 

はりつけ茂左衛門を祀った「茂左衛門地蔵尊」どうしてるかな?

茂左衛門地蔵尊のマグカップ、毎年違うデザインで、売り上げの一部は、東日本大震災の復興支援に回されるということでした

ささやかな支援だけど、毎年行ってその年のマグカップをゲットしようと思ってました。

でも、去年は時節柄控えました。

今年はどうしようかな

 

 

 

 

 

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