先週末の金曜日(21日)、娘(大学4回生、高校3年生)と宍粟市の被災された民家でボランティア作業に参加しました。
16日に行った佐用町の被害の大きさやまだまだ作業の手が不足していること、そして高校生や大学生も作業に加わっていた話を娘たちに伝えたところ「機会があれば作業に参加したい」と二人から提案がありました。
父親としては、日頃地域でのボランティアの経験があまりない娘二人にとって、被災した現地や被災された方々とふれあうことで何かを感じ取ってくれたら・・・という気持ちもあり参加日程を調整しましたが、あいにく21日以外の日は、いろいろ忙しく、三田市からのボランティアバスの運行がありませんでしたので、事前に宍粟市の災害ボランティアセンターに3名で参加する旨をお伝えし、マイカーで向かいました。
宍粟市の災害ボランティアセンターで受付を済ませた後、当日参加された50名程度を班分けし、それぞれ作業を必要としている民家へ出向きました。
私たちは、12名のグループで、一宮町三方で被災された民家で作業を行いました。
この民家では、既に数日前から何人ものボランティアが入り込んで、作業場や住居の床下の泥出し作業を行っており、スコップや一輪車は既に現地に置いてありました。
従って、私たちのグループの作業は、最後の後始末とも言える家の庭先においてある机類やロッカー類に付着した泥の洗い流しや民家周囲に堆積した泥の除去作業が中心でした。
水での洗い流し作業とはいうものの、未だに水道水が復旧しておらず、近くに流れる川からポンプアップしたあちらこちらの道路が決壊しておりその影響もあるのでしょうか濁った川の水での洗い流し作業です。
この民家は、直ぐ近くに流れている倉床川が氾濫し、民家の地盤レベルから約1.2mまで水に浸かったようです。壁には、水が上がった証拠が至るところに残されていました。
近くの川の氾濫、そして家の中にまで川が流れている状況、停電、それも真夜中です。住民たちの恐怖感は図り知れないものがあります。
佐用町に比べると宍粟市の災害現場は川沿いのあちらこちらに点在しており、報道も佐用町が中心のような気がします。
でも、災害に合われた方の悲壮感は、佐用町も宍粟市の各集落も同じです。
先日、佐用町で被災された高齢者が自殺したとの報道がありました。新居を構えたばかりで、将来を悲観したのでは?との記事だったと記憶しています。
今、佐用町や宍粟市に元気になっていただこうと願いながら、多くの方がボランティアで活動しています。今回の報道は、本当に残念でなりません。
今回の災害は避難のあり方等、多くの教訓を残しています。現在は被災された方々のケアやまちの復興が優先されていますが、落ち着く頃には、この教訓を生かした対策が急がれます。
しかし、ハード面の整備のみに目を奪われがちですが、「人の命を一人でも落とさない」という点に力を注いで欲しいと思います。
今回の災害は、人が想定する雨量を遥かに超えたものです。自然に立ち向かって二度と災害が出ないようにするのではなく、自然災害に遭うことを想定して人の行動はどうあるべきか?が問われているのではないでしょうか?
(写真:付着した泥を流す娘らとボランティア参加者)
16日に行った佐用町の被害の大きさやまだまだ作業の手が不足していること、そして高校生や大学生も作業に加わっていた話を娘たちに伝えたところ「機会があれば作業に参加したい」と二人から提案がありました。
父親としては、日頃地域でのボランティアの経験があまりない娘二人にとって、被災した現地や被災された方々とふれあうことで何かを感じ取ってくれたら・・・という気持ちもあり参加日程を調整しましたが、あいにく21日以外の日は、いろいろ忙しく、三田市からのボランティアバスの運行がありませんでしたので、事前に宍粟市の災害ボランティアセンターに3名で参加する旨をお伝えし、マイカーで向かいました。
宍粟市の災害ボランティアセンターで受付を済ませた後、当日参加された50名程度を班分けし、それぞれ作業を必要としている民家へ出向きました。
私たちは、12名のグループで、一宮町三方で被災された民家で作業を行いました。
この民家では、既に数日前から何人ものボランティアが入り込んで、作業場や住居の床下の泥出し作業を行っており、スコップや一輪車は既に現地に置いてありました。
従って、私たちのグループの作業は、最後の後始末とも言える家の庭先においてある机類やロッカー類に付着した泥の洗い流しや民家周囲に堆積した泥の除去作業が中心でした。
水での洗い流し作業とはいうものの、未だに水道水が復旧しておらず、近くに流れる川からポンプアップしたあちらこちらの道路が決壊しておりその影響もあるのでしょうか濁った川の水での洗い流し作業です。
この民家は、直ぐ近くに流れている倉床川が氾濫し、民家の地盤レベルから約1.2mまで水に浸かったようです。壁には、水が上がった証拠が至るところに残されていました。
近くの川の氾濫、そして家の中にまで川が流れている状況、停電、それも真夜中です。住民たちの恐怖感は図り知れないものがあります。
佐用町に比べると宍粟市の災害現場は川沿いのあちらこちらに点在しており、報道も佐用町が中心のような気がします。
でも、災害に合われた方の悲壮感は、佐用町も宍粟市の各集落も同じです。
先日、佐用町で被災された高齢者が自殺したとの報道がありました。新居を構えたばかりで、将来を悲観したのでは?との記事だったと記憶しています。
今、佐用町や宍粟市に元気になっていただこうと願いながら、多くの方がボランティアで活動しています。今回の報道は、本当に残念でなりません。
今回の災害は避難のあり方等、多くの教訓を残しています。現在は被災された方々のケアやまちの復興が優先されていますが、落ち着く頃には、この教訓を生かした対策が急がれます。
しかし、ハード面の整備のみに目を奪われがちですが、「人の命を一人でも落とさない」という点に力を注いで欲しいと思います。
今回の災害は、人が想定する雨量を遥かに超えたものです。自然に立ち向かって二度と災害が出ないようにするのではなく、自然災害に遭うことを想定して人の行動はどうあるべきか?が問われているのではないでしょうか?
(写真:付着した泥を流す娘らとボランティア参加者)