4月5日(土)少し肌寒い天気でしたが、市内アカペラ合唱グループの方々と三田駅から旧市街地を通り、天神公園で桜を見ながらお弁当を広げるまで約2時間かけたお話を掲載したいと思います。
三田の観光案内所に10時集合。そこから三田の歴史に詳しいメンバーにガイドをしていただきました。
三輪神社につながる商店街には、間口が狭く、奥行きが長い土地の形状の家屋が並んでいます。
「これは、税金を間口税としたために間口が節税のために狭くなったものです」との説明に参加者は「なるほど!節税する心理は、今も昔も変わりませんね」との感想。
昔から武庫川にかかる橋として唯一の車瀬橋(写真)は、「昔は木造で、この橋の上から子供たちは川へ飛び込んでいた。また、蛍が舞う川だった」との話を伺いました。しかし、現在の武庫川の水深はそんなに深くありませんし、今はこの市街地内で蛍が飛んでいる話は聞きません。
それだけ、昔の武庫川は自然が豊かだったのだろうと思います。今は頑丈な堤防に守られていますが、昔は石積みだったとのことです。

この橋を渡ると日本一短い商店街を通過。そして店先にはのれんが出ていませんのでお店の名前がわからない、おそば屋さん(完全予約制とのこと)を横目に見ながら川本幸民や元良勇次郎の生誕地や英蘭熟などを訪れました。
三田ゆかりの人物は、化学者、学者、政治家など結構著名人が多いのに驚きます。そして、松陰ではないけれど、英蘭熟を開校したあたりも三田と言うか他市にはあまり知られていないように思います。


西方寺、白洲退蔵出生地、カトリック教会などを巡り、三田ふるさと学習館で幻の三田城(段ボールづくり)を見学。隣接する旧九鬼邸(資料館)にも入らせていただき話をきくことができました。
旧九鬼邸には、明治時代の雛人形などが飾られており、見ごたえ抜群でした。

(庭から撮影)

(玄関口から雛人形が飾られている縁側を撮影)
その後、三田城の石垣が多く出た有馬高校、三田小学校を通って、天満神社でお参り。
天神公園で桜を見ながらお弁当を広げさせていただき、帰路は武庫川沿いの桜を見ながら新三田駅まで春を楽しませていただきました。

翌日の6日は、ぐっと気温が下がりましたので、絶好の旧市街地探訪&花見会となったと思います。
三田の観光案内所に10時集合。そこから三田の歴史に詳しいメンバーにガイドをしていただきました。
三輪神社につながる商店街には、間口が狭く、奥行きが長い土地の形状の家屋が並んでいます。
「これは、税金を間口税としたために間口が節税のために狭くなったものです」との説明に参加者は「なるほど!節税する心理は、今も昔も変わりませんね」との感想。
昔から武庫川にかかる橋として唯一の車瀬橋(写真)は、「昔は木造で、この橋の上から子供たちは川へ飛び込んでいた。また、蛍が舞う川だった」との話を伺いました。しかし、現在の武庫川の水深はそんなに深くありませんし、今はこの市街地内で蛍が飛んでいる話は聞きません。
それだけ、昔の武庫川は自然が豊かだったのだろうと思います。今は頑丈な堤防に守られていますが、昔は石積みだったとのことです。

この橋を渡ると日本一短い商店街を通過。そして店先にはのれんが出ていませんのでお店の名前がわからない、おそば屋さん(完全予約制とのこと)を横目に見ながら川本幸民や元良勇次郎の生誕地や英蘭熟などを訪れました。
三田ゆかりの人物は、化学者、学者、政治家など結構著名人が多いのに驚きます。そして、松陰ではないけれど、英蘭熟を開校したあたりも三田と言うか他市にはあまり知られていないように思います。



西方寺、白洲退蔵出生地、カトリック教会などを巡り、三田ふるさと学習館で幻の三田城(段ボールづくり)を見学。隣接する旧九鬼邸(資料館)にも入らせていただき話をきくことができました。
旧九鬼邸には、明治時代の雛人形などが飾られており、見ごたえ抜群でした。

(庭から撮影)

(玄関口から雛人形が飾られている縁側を撮影)
その後、三田城の石垣が多く出た有馬高校、三田小学校を通って、天満神社でお参り。
天神公園で桜を見ながらお弁当を広げさせていただき、帰路は武庫川沿いの桜を見ながら新三田駅まで春を楽しませていただきました。

翌日の6日は、ぐっと気温が下がりましたので、絶好の旧市街地探訪&花見会となったと思います。