昨日24日(日)は、当日の予定を変更し1週間前に豪雨被害のあった丹波市市島町へ復旧支援のボランティアをしてきました。
三田を出発したのは、午前7時過ぎ、学園にあるコンビニで弁当と飲み物を購入し、舞鶴若狭道春日インターを降りて市島支所へ向かいました。春日インターを降りて間もなくすると道路の復旧工事のためにすぐ迂回させられ、また災害ボランティアセンターのある市島支所から離れた場所に駐車場を設営している関係もあり、ボランティアセンターで受け付けが終わったのが、8時30分ごろとなりました。
(ボランティア受付テントの様子)
受付が終わるとボランティアで来ている方を12名ずつの班に編成。私は4班に入りました。3班の12名の方とバスに乗り込み市島町竹田と言う地域で活動する指示をもらい、現地へ出発しました。
(グループ分け会場)
現地では、区長さんが出迎えてくださり、公民館へ案内されました。
公民館で荷物を降ろしたり、再度体制を立て直してから近くの水害に遭われた家屋へ区長さんの案内で向かいました。
(公民館からいざ出発:3班・4班の方々)
復旧家屋には、約3分で到着。どうやら今日の復旧家屋は、4棟になるようで全て床下浸水被害の家屋とのことのようです。
4班をさらに二つに分けて作業をすることになりました。私の班は、女性4人、男性2人の構成メンバー。
最初に伺った家には、高齢のご婦人一人住まいで、昨日一つの部屋の床下の泥を取ってもらったとのことでしたが、もう一つの部屋が終わっていないとの説明。
そこで、部屋の中の食器棚などを別の部屋に移動し、畳を2畳剥がし、床板を撤去してまだ乾ききっていない泥をスコップなどを用いて撤去しました。泥は、ちょうど少し硬めのクリームのようになっていて、床下にあった地面の土とは明らかに成分が異なっています。
剥がしやすい部分もありましたが、長靴に泥がまとわりつき作業がもたつく場面もありました。
本来は乾くまで床板を上げっぱなしにするのですが、ここの方は、お一人住まいの上にここの部屋が使えなくなると生活に支障が出てくるとのことでした。そこで、支給された石灰をまき、再び現状に戻す作業をしてここの家屋は午前11時に作業が終了しました。
ご婦人は以前尼崎市にお住まいだったようですが、ここに引っ越されてきたそうです。帰り際にソーダ水をいただき労をねぎらっていただきました。
お昼まで時間がありますので、お隣のお家へ・・・。お隣では、昨日、床下の泥が掻き出されたところへ石灰をまいてほしいと言う依頼と別の部屋の泥上げを依頼されました。
私の班を2人と4人に分け、私は、石灰まきと床板の取り付け班に回りました。石灰を撒き終わり床板を取り付ける作業が難航。床板に番号が書かれてあるのですが、最後の1枚が入りません。結局最初からはめ込まれてあった1枚目の板がしっかり奥まで入っていないことが判明、床板を取り付け次は畳を据え付けるのですが、これまた畳を上げたのが前日のボランティアの方々で方向が分かりません。
ちょうど大工さんや市役所の職員が居合わせたため、畳は何とか納まりました。
お昼には、公民館で休憩と昼食を取らせていただきました。
その時の皆さんの姿が次の写真です。この頃には雨が降り出して来ていました。雨を避け、公民館の部屋で休む人、そして私のように軒下のベンチで食事をとり空を見上げる方々の姿。
12時45分にグループ班長の指示で再び現地へ・・・・。
午後からも、泥掻き作業を継続することに・・・・。
泥掻き作業が一段落したところに大雨情報による避難勧告が発令されたためボランティア活動の中止命令が出された様子。わが班は大忙しで床板までをはめ込む作業をして終えようと努力しましたが、床板がどうしても納まりません。(少し心残り・・・)
慌ただしく依頼人の方々にご挨拶して公民館へ急ぎました。
公民館に戻ると直ぐに帰り便のバスが到着。24名のボランティアの方々は14時30分にはボランティアセンターに到着していました。
到着後にこの日一緒になった12名が輪になりお互いの作業をねぎらい別れを告げました。
私の班は、最年少高校3年生で最年長は私、他の班も比較的若い方々がボランティアに参加されている様子です。
昨日市島町には、約1300人のボランティアが活動していたようです。
自治会離れが進んでいる昨今、こうして若者が復旧作業に参加する姿は、「頼もしい」の一言です。
昨日、避難勧告が市島地域各方面に出されています。被災された方々も落ち着く暇がありません。天候の回復と一日でも早い復旧を願うばかりです。
三田を出発したのは、午前7時過ぎ、学園にあるコンビニで弁当と飲み物を購入し、舞鶴若狭道春日インターを降りて市島支所へ向かいました。春日インターを降りて間もなくすると道路の復旧工事のためにすぐ迂回させられ、また災害ボランティアセンターのある市島支所から離れた場所に駐車場を設営している関係もあり、ボランティアセンターで受け付けが終わったのが、8時30分ごろとなりました。
(ボランティア受付テントの様子)
受付が終わるとボランティアで来ている方を12名ずつの班に編成。私は4班に入りました。3班の12名の方とバスに乗り込み市島町竹田と言う地域で活動する指示をもらい、現地へ出発しました。
(グループ分け会場)
現地では、区長さんが出迎えてくださり、公民館へ案内されました。
公民館で荷物を降ろしたり、再度体制を立て直してから近くの水害に遭われた家屋へ区長さんの案内で向かいました。
(公民館からいざ出発:3班・4班の方々)
復旧家屋には、約3分で到着。どうやら今日の復旧家屋は、4棟になるようで全て床下浸水被害の家屋とのことのようです。
4班をさらに二つに分けて作業をすることになりました。私の班は、女性4人、男性2人の構成メンバー。
最初に伺った家には、高齢のご婦人一人住まいで、昨日一つの部屋の床下の泥を取ってもらったとのことでしたが、もう一つの部屋が終わっていないとの説明。
そこで、部屋の中の食器棚などを別の部屋に移動し、畳を2畳剥がし、床板を撤去してまだ乾ききっていない泥をスコップなどを用いて撤去しました。泥は、ちょうど少し硬めのクリームのようになっていて、床下にあった地面の土とは明らかに成分が異なっています。
剥がしやすい部分もありましたが、長靴に泥がまとわりつき作業がもたつく場面もありました。
本来は乾くまで床板を上げっぱなしにするのですが、ここの方は、お一人住まいの上にここの部屋が使えなくなると生活に支障が出てくるとのことでした。そこで、支給された石灰をまき、再び現状に戻す作業をしてここの家屋は午前11時に作業が終了しました。
ご婦人は以前尼崎市にお住まいだったようですが、ここに引っ越されてきたそうです。帰り際にソーダ水をいただき労をねぎらっていただきました。
お昼まで時間がありますので、お隣のお家へ・・・。お隣では、昨日、床下の泥が掻き出されたところへ石灰をまいてほしいと言う依頼と別の部屋の泥上げを依頼されました。
私の班を2人と4人に分け、私は、石灰まきと床板の取り付け班に回りました。石灰を撒き終わり床板を取り付ける作業が難航。床板に番号が書かれてあるのですが、最後の1枚が入りません。結局最初からはめ込まれてあった1枚目の板がしっかり奥まで入っていないことが判明、床板を取り付け次は畳を据え付けるのですが、これまた畳を上げたのが前日のボランティアの方々で方向が分かりません。
ちょうど大工さんや市役所の職員が居合わせたため、畳は何とか納まりました。
お昼には、公民館で休憩と昼食を取らせていただきました。
その時の皆さんの姿が次の写真です。この頃には雨が降り出して来ていました。雨を避け、公民館の部屋で休む人、そして私のように軒下のベンチで食事をとり空を見上げる方々の姿。
12時45分にグループ班長の指示で再び現地へ・・・・。
午後からも、泥掻き作業を継続することに・・・・。
泥掻き作業が一段落したところに大雨情報による避難勧告が発令されたためボランティア活動の中止命令が出された様子。わが班は大忙しで床板までをはめ込む作業をして終えようと努力しましたが、床板がどうしても納まりません。(少し心残り・・・)
慌ただしく依頼人の方々にご挨拶して公民館へ急ぎました。
公民館に戻ると直ぐに帰り便のバスが到着。24名のボランティアの方々は14時30分にはボランティアセンターに到着していました。
到着後にこの日一緒になった12名が輪になりお互いの作業をねぎらい別れを告げました。
私の班は、最年少高校3年生で最年長は私、他の班も比較的若い方々がボランティアに参加されている様子です。
昨日市島町には、約1300人のボランティアが活動していたようです。
自治会離れが進んでいる昨今、こうして若者が復旧作業に参加する姿は、「頼もしい」の一言です。
昨日、避難勧告が市島地域各方面に出されています。被災された方々も落ち着く暇がありません。天候の回復と一日でも早い復旧を願うばかりです。