新年明けましておめでとうございます。
昨年は、議員としての活動をはじめ、相変わらずの音楽活動、防災活動を行ってきました。
そして健康維持のために地域でソフトボールとテニスに汗を流しました。
しかし、5月末、突然の発熱に見舞われ肺炎のために2週間の入院を余儀なくされ、お陰で6月議会の3分の2を休んでしまうと言う自分でも「健康」には、何の問題もないと思って活動していただけに入院した時は、いささかショックを覚えました。
今は、体重も念願だった70kgを切ったところで維持し、筋力アップに努めています。
さて、年末の28日には、長女の結婚式があり、静岡へ親戚縁者の大移動。無事に挙式を済ませました。
(静岡市内で・・・新郎赤星貴文・新婦依寿美)
新郎・新婦と言いましても二人は、2年半前に入籍、今は一女のパパとママでもあります。
海外生活をしており、挙式が今となりましたが、私としましても「けじめ」を二人につけていただいたのかなと思っています。友人、知人、そしてたくさんの親戚の皆様に囲まれた素敵な挙式だったと思います。
翌日の29日には、せっかく静岡へ来たのだからと日本平、家康ゆかりの久能山東照宮、三保の松原へ足早の観光を沖縄からきた親戚の皆様といたしました。
(久能山東照寺は、家康が眠っている場所としても有名です。本殿の色遣いが何とも言えません)
また、30日には、日帰りの旅へ。行き先は鹿児島県指宿市。84歳になる父が兼ねてより墓参りしていないことが気になっており、本来であれば父と2・3日かけての墓参りをするつもりでしたが、娘の挙式などもあって、急遽妻と二人での墓参となりました。
当日は、新神戸駅8時06分発の「みずほ」に乗り込み、現地指宿市内での活動は、約3時間半ほど、その間島津藩と深い関係にあり、指宿で海運業などを手掛けていた名士濱崎太平次のお墓、肥後家の墓参りを済ませ、少しの余裕時間で温泉につかりました。新神戸駅に着いたのは、21時30分過ぎ。
移動時間が、11時間以上と疲れる旅でしたが、お墓参りを済ませた充実感もあります。これも新幹線のお陰ですかね。
(私が、数年間過ごした指宿市、駅舎も変わり、そして町並みも変化していました)
(私が、遊んでいた指宿の浜辺。後方は、指宿温泉砂蒸し小屋)
そして、いよいよ大晦日となりました。お昼は、妻と正月準備。ガラス窓の掃除などを行いました。
ご近所の知人から「除夜の鐘を突きに行きませんか?」とのお誘いを受け、お隣の市にある永天寺へ。
23時45分にご住職がまず鐘を一突き。その後ご近所にお住まいの方々が108回になるまで代わる代わる鐘を突きました。ご住職からの有難い言葉も聞くことができ、今年は縁起の良いスタートが切れたと思います。
就寝したのが、1時30分ごろ。4時過ぎに目覚ましで起床。5時から始まる実践倫理宏正会の元朝式に出席させていただき、上廣会長先生の「常に挑戦する気持ち」「初志貫徹の心を持つ」の訓示をいただきました。
今年の元日の朝は、大寒波の襲来で初日の出を見るのが難しいと思っていましたが、ゆりのき台で開催している「初日の出を見る会」に参加し見事な日の出を拝むことができました。
今年は、健康を最優先、そして三田市の未来をみつめた発言。提案に常に心がけたいと思います。
元日の夜には、雪が降り始め犬の散歩中の景色も一変。
「明日が分からないから不安になる」とは、永天寺の住職宮崎氏の元日のメセージ。元日の天気のように世の中もめまぐるしく変化しています。
その中にあって政治が果たす役割は本当に大きいと実感。市民の不安がなくなるように国だけではなく、三田でも明日の三田づくりのために挑戦し続けて行かなければなりません。
いつまでも住んでいたいまちづくりをこれからもキャッチフレーズに頑張り続けようと思います。
昨年は、議員としての活動をはじめ、相変わらずの音楽活動、防災活動を行ってきました。
そして健康維持のために地域でソフトボールとテニスに汗を流しました。
しかし、5月末、突然の発熱に見舞われ肺炎のために2週間の入院を余儀なくされ、お陰で6月議会の3分の2を休んでしまうと言う自分でも「健康」には、何の問題もないと思って活動していただけに入院した時は、いささかショックを覚えました。
今は、体重も念願だった70kgを切ったところで維持し、筋力アップに努めています。
さて、年末の28日には、長女の結婚式があり、静岡へ親戚縁者の大移動。無事に挙式を済ませました。
(静岡市内で・・・新郎赤星貴文・新婦依寿美)
新郎・新婦と言いましても二人は、2年半前に入籍、今は一女のパパとママでもあります。
海外生活をしており、挙式が今となりましたが、私としましても「けじめ」を二人につけていただいたのかなと思っています。友人、知人、そしてたくさんの親戚の皆様に囲まれた素敵な挙式だったと思います。
翌日の29日には、せっかく静岡へ来たのだからと日本平、家康ゆかりの久能山東照宮、三保の松原へ足早の観光を沖縄からきた親戚の皆様といたしました。
(久能山東照寺は、家康が眠っている場所としても有名です。本殿の色遣いが何とも言えません)
また、30日には、日帰りの旅へ。行き先は鹿児島県指宿市。84歳になる父が兼ねてより墓参りしていないことが気になっており、本来であれば父と2・3日かけての墓参りをするつもりでしたが、娘の挙式などもあって、急遽妻と二人での墓参となりました。
当日は、新神戸駅8時06分発の「みずほ」に乗り込み、現地指宿市内での活動は、約3時間半ほど、その間島津藩と深い関係にあり、指宿で海運業などを手掛けていた名士濱崎太平次のお墓、肥後家の墓参りを済ませ、少しの余裕時間で温泉につかりました。新神戸駅に着いたのは、21時30分過ぎ。
移動時間が、11時間以上と疲れる旅でしたが、お墓参りを済ませた充実感もあります。これも新幹線のお陰ですかね。
(私が、数年間過ごした指宿市、駅舎も変わり、そして町並みも変化していました)
(私が、遊んでいた指宿の浜辺。後方は、指宿温泉砂蒸し小屋)
そして、いよいよ大晦日となりました。お昼は、妻と正月準備。ガラス窓の掃除などを行いました。
ご近所の知人から「除夜の鐘を突きに行きませんか?」とのお誘いを受け、お隣の市にある永天寺へ。
23時45分にご住職がまず鐘を一突き。その後ご近所にお住まいの方々が108回になるまで代わる代わる鐘を突きました。ご住職からの有難い言葉も聞くことができ、今年は縁起の良いスタートが切れたと思います。
就寝したのが、1時30分ごろ。4時過ぎに目覚ましで起床。5時から始まる実践倫理宏正会の元朝式に出席させていただき、上廣会長先生の「常に挑戦する気持ち」「初志貫徹の心を持つ」の訓示をいただきました。
今年の元日の朝は、大寒波の襲来で初日の出を見るのが難しいと思っていましたが、ゆりのき台で開催している「初日の出を見る会」に参加し見事な日の出を拝むことができました。
今年は、健康を最優先、そして三田市の未来をみつめた発言。提案に常に心がけたいと思います。
元日の夜には、雪が降り始め犬の散歩中の景色も一変。
「明日が分からないから不安になる」とは、永天寺の住職宮崎氏の元日のメセージ。元日の天気のように世の中もめまぐるしく変化しています。
その中にあって政治が果たす役割は本当に大きいと実感。市民の不安がなくなるように国だけではなく、三田でも明日の三田づくりのために挑戦し続けて行かなければなりません。
いつまでも住んでいたいまちづくりをこれからもキャッチフレーズに頑張り続けようと思います。