2週間ほど前になりますが、三田市主催の「ぼうさい市民フォーラムin三田」に参加しました。市民の関心も高く約150名が参加していました。
当日は2名の講師の方から貴重なお話をお伺いすることができましたが、特に2部で講演された群馬大学大学院の片田敏孝教授の話には、地域の防災力のあり方を原点から考えらされた内容でした。
確か1月に実施された三田市の総合防災訓練でも書きましたが、私は、地域の防災力の低下が気になっていましたので、今回の片田先生のお話は、胸にしみるものでした。
その概要ですが、
①行政は、これまでの災害(水害が中心です)を教訓にして、河川の氾濫を100年程度の確立で降る大雨に対応できるよう土木の技術力を高めてきた。
②その結果、河川の氾濫は抑えられ、床下や床上浸水の被害頻度が少なくなった。
③これと並行して、災害の発生頻度の低下とともに住民の防災意識が低下、住民は自らの判断ではなく、行政側が発する避難勧告でしか動きがとれない体質となっている。
というものです。
事例としては、床上まで水が上がってきているのにある地域の住民は、行政が逃げよ!と指示しないから家にいた。という極端な事象を紹介されていましたが、これは、「災害から守ってくれるのは行政」という考えが当然のようになっている事例の一つです。
私たちの考えの中には、「川から遠いから安心」だとか、「何かあったら直ぐ行政が助けてくれる」という考えがはびこっていないでしょうか?
先生は、最後に住民自信の自助力、共助力、そして公助力を身につけ、行政に委ね過ぎずに、災害に立ち向かう社会の構築を目指す必要がある。と締めくくりました。
私の住む地域で憂うことは、まさにこの自助力や共助力なのです。
阪神淡路大震災を経験してきた住民の方が多い地域であると思うのですが、万が一の際、自分自身が何処に避難すればいいのかさえ理解出来ていない住民が多いと思います。
また、独居老人など人の手助けなしでは、避難が遅れてしまう方が、高齢化が進むこれから先に多く出てくるのではないかと思います。
三田市は要援護者支援制度をスタートさせていますが、やはり地域の共助力が低下している現在では、あまり期待できそうにありません。
地域の防災意識の高まりとともに、要援護者支援制度がなくても地域の誰かが助けに来てくれる安心して生活のできる社会(地域)にしたいものです。
(写真:上内神の感神社境内)
当日は2名の講師の方から貴重なお話をお伺いすることができましたが、特に2部で講演された群馬大学大学院の片田敏孝教授の話には、地域の防災力のあり方を原点から考えらされた内容でした。
確か1月に実施された三田市の総合防災訓練でも書きましたが、私は、地域の防災力の低下が気になっていましたので、今回の片田先生のお話は、胸にしみるものでした。
その概要ですが、
①行政は、これまでの災害(水害が中心です)を教訓にして、河川の氾濫を100年程度の確立で降る大雨に対応できるよう土木の技術力を高めてきた。
②その結果、河川の氾濫は抑えられ、床下や床上浸水の被害頻度が少なくなった。
③これと並行して、災害の発生頻度の低下とともに住民の防災意識が低下、住民は自らの判断ではなく、行政側が発する避難勧告でしか動きがとれない体質となっている。
というものです。
事例としては、床上まで水が上がってきているのにある地域の住民は、行政が逃げよ!と指示しないから家にいた。という極端な事象を紹介されていましたが、これは、「災害から守ってくれるのは行政」という考えが当然のようになっている事例の一つです。
私たちの考えの中には、「川から遠いから安心」だとか、「何かあったら直ぐ行政が助けてくれる」という考えがはびこっていないでしょうか?
先生は、最後に住民自信の自助力、共助力、そして公助力を身につけ、行政に委ね過ぎずに、災害に立ち向かう社会の構築を目指す必要がある。と締めくくりました。
私の住む地域で憂うことは、まさにこの自助力や共助力なのです。
阪神淡路大震災を経験してきた住民の方が多い地域であると思うのですが、万が一の際、自分自身が何処に避難すればいいのかさえ理解出来ていない住民が多いと思います。
また、独居老人など人の手助けなしでは、避難が遅れてしまう方が、高齢化が進むこれから先に多く出てくるのではないかと思います。
三田市は要援護者支援制度をスタートさせていますが、やはり地域の共助力が低下している現在では、あまり期待できそうにありません。
地域の防災意識の高まりとともに、要援護者支援制度がなくても地域の誰かが助けに来てくれる安心して生活のできる社会(地域)にしたいものです。
(写真:上内神の感神社境内)