先日、知人から三田ゆかりの人物を収めた書籍は要りませんか?とメールが入り、購入しました。三田ふるさと学習館や旧九鬼家住宅資料館を管理しているNPO法人歴史文化財ネットワークさんだの監修となっております。以前発刊した「さんだゆかりの50人」を再編集し100人のゆかりの人物に絞り込んだもの。
書を拝見しますと福沢諭吉、白洲次郎、横山エンタツ、三田市初代市長の西藤五郎など古代の三田から近世に至るまでの人物が掲載されています。
初代市長であった西藤(にしとう)五郎氏については、昭和33年7月1日に市制施行され間もなく就任、第3代までを勤め上げた方です。
昭和39年に北摂ニュータウン計画が芽生え、今の三田市の基礎を造ったとあります。
また、西藤市長は、当時神戸市との合併により三田を発展させる構想を持っていたが、神戸市の膨張を嫌った兵庫県にけん制され、この構想は実現しなかったとも書かれてあります。
神戸市に三田市が編入されていたら、今頃このエリアはどうなっていたのだろうかと思わず空想してしまします。
昨年お亡くなりになられた塔下真次元市長も掲載されています。
ご興味ある方は、ネットワークさんだまでお問い合わせください。1冊300円です。
書を拝見しますと福沢諭吉、白洲次郎、横山エンタツ、三田市初代市長の西藤五郎など古代の三田から近世に至るまでの人物が掲載されています。
初代市長であった西藤(にしとう)五郎氏については、昭和33年7月1日に市制施行され間もなく就任、第3代までを勤め上げた方です。
昭和39年に北摂ニュータウン計画が芽生え、今の三田市の基礎を造ったとあります。
また、西藤市長は、当時神戸市との合併により三田を発展させる構想を持っていたが、神戸市の膨張を嫌った兵庫県にけん制され、この構想は実現しなかったとも書かれてあります。
神戸市に三田市が編入されていたら、今頃このエリアはどうなっていたのだろうかと思わず空想してしまします。
昨年お亡くなりになられた塔下真次元市長も掲載されています。
ご興味ある方は、ネットワークさんだまでお問い合わせください。1冊300円です。
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