25日、午後1時30分より、三田市内で震度6強の地震の発生を想定した、三田市総合防災訓練がありました。平成7年の阪神淡路大震災では、私も尼崎市内で罹災しました。当時の朝の状況は、今でも忘れられない経験として焼きついています。
遠くからの地鳴りの音で目が覚め、揺れ動く前に「地震だ!」と直感した私ですが、妻と子どもの上に覆いかぶさる以外の行動しかできませんでした。
幸い、家族には怪我もなく、当時尼崎市の下水道施設の維持管理に携わっていたこともあって、地震直後に家の内部を確認することもなく、直ぐ家を飛び出したものでした。
訓練会場である、城山公園、陸上競技場には、雪の舞う中地元自治会、関係企業、ボランティアの皆さんがたくさん集まり、訓練に取り組まれました。
私の地域では、地域の皆さん全員の避難訓練など過去取り組んだ形跡が残念ながらありません。災害はいつ起こるか分かりませんし、一人暮らしの高齢者など「災害時に援護を必要とする方」への近隣の方の確認支援のあり方など、まだまだ課題が残されています。(写真は、仮設トイレ設営訓練の様子です)
遠くからの地鳴りの音で目が覚め、揺れ動く前に「地震だ!」と直感した私ですが、妻と子どもの上に覆いかぶさる以外の行動しかできませんでした。
幸い、家族には怪我もなく、当時尼崎市の下水道施設の維持管理に携わっていたこともあって、地震直後に家の内部を確認することもなく、直ぐ家を飛び出したものでした。
訓練会場である、城山公園、陸上競技場には、雪の舞う中地元自治会、関係企業、ボランティアの皆さんがたくさん集まり、訓練に取り組まれました。
私の地域では、地域の皆さん全員の避難訓練など過去取り組んだ形跡が残念ながらありません。災害はいつ起こるか分かりませんし、一人暮らしの高齢者など「災害時に援護を必要とする方」への近隣の方の確認支援のあり方など、まだまだ課題が残されています。(写真は、仮設トイレ設営訓練の様子です)