一両日の寒さから、少し暖かくなった。
これで、春本番が来るのかな?
いや、まだ一度くらい寒の戻りがあるような気がする。
こうした疑心暗鬼の裡にも、春は確実に近づいている。
写真は、所謂、「満足飯」。
裏千家ご用達の先代辻嘉一翁が、『懐石傳書』のなかで紹介しているもの。
白身魚の刺身を、黒摺り胡麻と醤油、味醂で和えて、生卵を落としたもの。
このブログでも過去に何回かご紹介している。
オカブも老いたりとはいえ、こんな食事をする食欲は、まだ残っている。
雲盛る峰の三月空を突く 素閑
田のふちに三月のさませせらぎて 素閑
おひはてて三月までを生きにけり 素閑
三月や富士に薄衣まとひたり 素閑
手火鉢の三月にても離さざる 素閑
金だらひ三月の水たたへたり 素閑
靴音も高く三月の舗道かな 素閑
三月に雨はこごりを流しけり 素閑
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昨日から急に寒くなった。
もう、完全に春だと思ったが油断ならない。
あわてて、仕舞った冬物を着る。
しかし、真冬の厳しい寒さとは違う。
しらじらほんのりとした寒さである。
春は確実に満ちてきている。
たらの芽やとまれ昼後の一休み 素閑
枝打ちを終えてたらの芽摘みにけり 素閑
茫洋の友たらの芽のあるじなり 素閑
葉なき枝草の庵のたらの芽や 素閑
たらの芽や草の茂るを待つ身にぞ 素閑
雨降るや濡れてたらの芽原のぬし 素閑
四歳の祝いにたらの芽添えにけり 素閑
大原女の土にまみゆるたらの芽や 素閑
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春山の季節である。
本格的な厳冬期の冬山を目指すためのトレーニングの山行。
しかし、トレーニングと言っても春山ならではの苦労と危険がある。
湿雪と底雪崩である。
春の雪山は、踏み跡がついていれば歩きやすいが、踏み跡のない、湿った重い雪をかき分けながら登るのは、厳冬期の雪山登山以上に難儀するものだ。
高山の谷沿いで雪崩の音を聞いているのは心地よい。
しかし、自分がまきこまれてはひとたまりもない。
春山が過ぎると、楽しい、ゴールデンウィークの太陽と残雪の山が待っている。
峪なべて雪崩のつくす立山や 素閑
大城の底から返す地のなだれ 素閑
やまびとも雪崩をしかとあかすなり 素閑
谷底も明るき月のなだれかな 素閑
里の朝子らのつどふに遠なだれ 素閑
底雪崩とどろき広がる空と雲 素閑
山小屋や高嶺の峠の雪崩かな 素閑
いずまひを正すに乱る遠なだれ 素閑
昨日、昼過ぎまで寝ていたので、今日は夜半過ぎに目が覚めた。
そこで、夜中から朝までに大方のことはやり尽くした。
効率が良いように見えるが、不規則な、不健康な生活である。
死病えてひととせめぐる如月や 素閑
あかつきの如月やふやふあけにけり 素閑
如月の滴にいのち宿りたる 素閑
如月の汁の熱きを佳とする 素閑
如月の針触るるもつめたかり 素閑
鉄瓶も如月のをと沸き立たせ 素閑
花もはや衣を替えむ如月や 素閑
奥入瀬の水そろりとぞ如月や 素閑
この前の雪が解けかかったと思ったら、また雪だ。
気分が憂鬱である。
今日は、左岸に行ってみようと思う。
サン・ミシェルへバスで。
ムフタール通りの辺りをうろうろする。
サン・セヴラン教会の境内にもうっすらと雪が積もっていた。
余りにも寒いので、カフェで、ヴァンショーを飲んで暖まる。
身体が溶けて行くようで心地よい。
さて、次は、早速、飯。
カルチェ・ラタンの奥のインドシナ料理『オ・コワン・デ・グルメ』は、パリに行くと必ず顔を出す店なのだが、惜しむらく閉店したと思った。
しかし、新装して看板が掛かっていたので、躊躇なく入る。
チンタオ・ビールに海老春巻き、カニの詰め物に、白飯、デセールにタピオカ。
美味かったが、この店は、屋号と業態は変わっていないものの、経営者は、以前のカンボジア人のマダムから、中国人に替わったようだ。
その辺は微妙なところである。
カルチェラタンの辺りをぶらぶらして、さて右岸に戻ろうとしたら、バスがシステム・トラブルでストップしていた。
メトロで行くかと思ったが、ガイドブックを持ってきていないので、乗り換えなどが分からない。
仕方なく、歩いて帰ろうと覚悟して、見当をつけて歩き出す。
シテを通って、あとは右左右左と行けば良いんだな、と思ったが、これが大失敗。
モントルグゥイユ通りに出て、グランプールヴァールに出て、大きく遠回りになってしまった。
凍えるように、ホテルにご帰館。
さて、翌日は、久方ぶりの晴れ!
何と、嬉しかったことだろう!
また、左岸に行くことにする。
サン・ミシェルのカフェで、ビールを飲みながら、さあ、どうするか?と計画を思案するが、なかなか、妙案が浮かばない。
取り敢えず、サン・ジェルマン・デ・プレに行ってみることにする。
裏道を通って、サン・ジェルマン・デ・プレ広場に。
カフェ・レ・ドゥー・マゴは外から見ただけ。高いもんねえ。
サン・ジェルマン・デ・プレ教会を参拝して、近辺をうろうろする。
鴨大根で有名なレストラン『アラール』があった。
入りたかったが、今の時期は大根がなくて、鴨オリーブであることと、金がなかったので諦めた。
さて、昼飯に選んだのは『ビストロ・エルンスト』と看板を掲げた、非常に小さな店。
しかし、昼をとおに過ぎているのに、店内は満杯である。
これは、人気のある・・・つまりいい店なんだろうと思いつい入る。
入り口近くの壁際の席に案内される。
この店でもタルタルを食った。
フォアグラにタルタル、デセールにタルト・タタン。葡萄酒はプロヴァンスの赤。
確かに美味かったがちょっと高い。
翌日の日曜日はパリ滞在の最終日。
パリ在住のフルーティスト、近藤さんと会う約束をしてある。
待ち合わせ場所のグラントテル・インターコンチのロビーで会う。
さて、予約しておいた、カフェ・ド・ラ・ペのレストランのブッキングがおかしなことになっていた。
レストランの予約ではなく、日曜のブランチと言う特殊なメニューのコースの予約に入れられていた。
そんなのは嫌だと、断って、外へすたすたと歩きだす。
明らかに、観光客向けと分かる価格のレストラン・カフェに入り、まぁ場所代だから、と自分を納得させる。
食事をしながら、近藤さんと、フルートのこと(演奏方法、曲の解釈、演奏家のことなど)や、パリ在住生活のことなどについて、話が弾む。
実に音楽に真摯で、楽しい方だった。
3時頃、近藤さんとオペラで別れ、オカブはグラン・マガザンで、買い物の残り。
今日は、帰りの荷物のパッキングなどもあるので、早めにホテルに帰ろうと思う。
さてさて、晩飯
クリシー通りのビストロで、またまた、フォアグラとタルタル、アイスクリームを食った。
葡萄酒はブルゴーニュの赤。
最後の晩餐である。
美味かった。
塩辛くもなく酸っぱくもない食事だった。
さて、これでパリの12日間の旅行もフィナーレだ。
明日は、東京へ。
なんとなく、寂しい。
朝、6時に起きて、ホテルをチェック・アウトして、オペラのロワッシー・ビュスの乗り場に徒歩で向かう。
まだ真っ暗だが、襲われることはないだろう。
ロワッシー・ビュスで、エル・フラのカウンターのある2Eで降りて、自動チェックイン。
どうもこいつは初めてなので、慣れなくて、色々トラブルがあり、係員の世話になる。
そもそも、この自動チェックイン・システムと言うものが、あまり洗練されたものではないような気がする。
搭乗ターミナルにモノレールで移動し、ショップで、ゴディバのチョコや貴腐ワインをお土産に買う。
後は、搭乗時間になり、成田までビューン。
機内ではほとんど寝てきた。
成田に着き、通関し、成田エキスプレスで渋谷、バスで代沢十字路、懐かしい我が家に着き、かーたんの顔を見て、寛いだ次第である。
変わり映えのしない食い物ネタばかりの旅行記にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
【終わり】
今日もまた雪だ。
外は薄っすら積もっている。
またしても外に出たくないのだが、NETYEE(部屋の掃除)があるから、出ない訳にはいかない。
グダグダしながら支度をして、『CHAI ZELLE』でタルティーヌ(バター付きパン)とカフェ・クレームで朝食。
どこへ行くというアテもないのだが、グラン・マガザンの辺りで、かーたんへのお土産を探す。
プランタン、ギャルリー・ラファイエット、ZARRA、H&Mなど、ぐるぐる回って探すが、適当なものが見当たらない。
2,3目星をつけて、また来ることにする。
そんな、こんなしているうちに昼飯の時間だ。
面倒臭いし、最安値で食えるということが分かったので、また『シャルティエ』へ行く。
入るとすぐ席に案内されたが、入り口近くの一人席。
まあ、いいとしよう。
注文を取りに来たムッスューが、まずはお飲み物は?と聞くから、デュボネを持ってこい、と言う。
間髪を入れずに、今日の料理はこれがお勧めで、フランスの特製料理だから、是非これにしなさい、と言う。
どんな料理だ?と聞くと、牛肉の料理だ、と言う。
これだけでは良く分からない。
とにかく要領を得ないのだが、そんなにお勧めなら・・・とそれで行くことにする。
前菜は、グリーンサラダ。
葡萄酒は、コート・デュ・ローヌの赤である。
出てきた料理を見ると、なんだ。ポトフだ。拍子抜けしたが、凄い分量だ。
葡萄酒で、だましだまし、胃になんとか収めたら、今度はデセールはいかが?と来る。
ただの、クリームを持ってこい、と命ずると、これが良いのでは、とメニューを指す。
なんか分からんが、いいから持って来いと答える。
すると、シューにチョコをかけ、クリームを詰めたデセールを持ってきた。
まあ、いいだろう。
食っていると、キャフェは?とダメを押してくる。
デカフェネを持ってこい、と言って、しばし落ち着く。
まあ、なんだ、かんだで美味かった。
グラン・マガザンに戻り、プランタンで、色々、見て回る。
ブランド店のものはとても手が出ない。
しかたなく、出ようとすると、プランタン・ブランドのバッグが目についた。
店員を呼んで、仔細に見てみるとなかなかいい。
日本円にして25,000円ほど。
うん、これにしよう!と買ってしまう。
デタックスになるのかと店員に聞くと、なにやら計算していて、あと1セント足りないという。
あと、なんか1セント分なにか、お買いになられては?と言われる。
一通り、店内を見渡すが、1セント足らないために、何十ユーロ分の買い物をするのは馬鹿馬鹿しい。
デタックスはいいから、それだけ呉れ、と言ってカードで支払う。
ブツは下の写真。
かーたんにとっては、なかなか実用的だろう。
さて、雪は夜にかけて激しさを増し、大分、積もった。
ホテルの窓から見ていると、明日の行動に不安を覚えるくらいだ。
夜が明けて、また行動。
今日は、アムステルダム通りのカフェで、アメリカン・ブレクファストを食い、トリニテ広場から、ギュスターブ・モロー美術館に行ってみる。
ギュスターヴ・モロー美術館は、こじんまりした施設で、モローの代表作を一堂に集めたという感じではない。
オカブが知っている作品では『パルクと死の天使』『二人の天使』『出現』『一角獣』『』『オイデュポスとスフィンクス』くらいだった。
しかも『出現』はレプリカ、『オイデュポスとスフィンクス』は下絵と言うことだった。
ただ、ここへ来られたのは、大きな美術的収穫であった。
さて、昼飯。
トリニテ・広場に近いカフェでタルタルを食った。
久し振りのタルタルは美味かった。
しかし、これから三食ほどタルタルのお世話になることになるのだが。
腹ごなしに、右岸をうろうろして、古きパリの街並みを、眺めた。
さて、さて、またまた、晩飯~。
遠出、したくなかったので、ホテル近くの、また『CHAI ZELLE』で、チキンの前妻とイタリアン・パスタを。
ちょっと塩辛い。
というか、普通の店で食うフランス料理は塩辛いか、酸っぱいかなので、この味に慣れるには、大分時間がかかる。
では、今日はこの辺で・・・
続く・・・
日曜の夜、ちょっとしたことで徹夜した。
月曜も夕近くまで起きていた。
そこで、今日は昼過ぎまで寝ていた。
朝の仕事も、かーたんに替わってもらった。
まことに申し訳のないことである。
里の梅東風に吹かれて花の散る 素閑
東風吹きて野の草ぐさも新たなり 素閑
湖の面東風吹きて映す比叡山 素閑
草の家も東風に目覚めて光りけり 素閑
東風のこへよじりてきこゆ武蔵野に 素閑
夕暮れて東風を聞くなり六十歳 素閑
朝ぼらけ東風の香りの粥を炊き 素閑
丈夫また東風に想ひぬ郷のこと 素閑
「苦あれば楽あり」と言う。
まことに、その通りだと思う。
楽があれば、苦がある。
失うもの、今よりも辛きこと、楽だからこそ味わう苦などは、誰しも経験することだ。
逆に、苦だから味わえる楽もある。
楽ばかりでは「楽」の有難味は分からない。
人生の辛酸を舐めてこそ、幸福の真底を尽くせるというものだ。
苦と楽は物事の裏表で、切り離すことができない。
どちらか一方だけだとしたら、世の中、実に空虚なものになってしまう。
苦もまた楽しの心境というものもあるのではないか?
裸足にてやふやふ絵踏むめふとかな 素閑
風すがし日差しまぶしき絵踏みかな 素閑
暮れつつもまだ日残れる絵踏みかな 素閑
はじきにて無心に遊ぶ絵踏みかな 素閑
藍に染めし糸の束なり絵踏みかな 素閑
教条もいまは長閑か絵踏みかな 素閑
けふ撒きてあす耕せり絵踏みかな 素閑
仮寝せばあけのからすや絵踏みかな 素閑
『2001年宇宙の旅』という映画があった。
オカブも数十年前に映画館で観た。
2001年から、もうすでに30年近く過ぎようとしている。
映画では、2001年に太陽系外への宇宙旅行に出た宇宙船が描かれている。
現実には今、宇宙開発は、映画ができたころ想像されたほどには進んでいない。
その代わり人間はその当時思いもよらなかったようなものを、現代手に入れた。
映画では宇宙船に積載されたコンピュータ「HAL」が人間に叛旗を翻すことが描かれている。
しかし、今になってみると文明はそれほどまでに邪悪ではない。
ただ人間の智慧もなかなかそうまでは進歩しないといったところではないか?
人間への過度な信頼は禁物である。
雛の宵破れ衣もはなやぎて 素閑
忘れじと我が子に託す古き雛 素閑
世を捨てて雛を見たれば世の惜しき 素閑
雛の顔薄紙はがす白さかな 素閑
茫洋と広がる野辺や雛の家 素閑
お暗き間灯もおぼろげに雛飾る 素閑
酔漢となりし我かなひな祭り 素閑
風邪というか、気管支を痛めたのが、今日になって、大分よくなってきた。
普段の生活をしている。
折から、今日は、仲春を思わすうららかな晴れた日。
思わず、どこか野原のようなところに出かけたくなる。
都会の真ん中に暮らしていると、無性に自然が恋しくなる時があるものだ。
白魚の夕月留める肌目かな 素閑
一寸の白魚群れて水たちぬ 素閑
白魚や暮れゆく川瀬里おもひ 素閑
日にさして月の恋しやしらうをふね 素閑
河べりの月の出待ちてしらうをや 素閑
風運ぶ菜の葉のかたへ白魚や 素閑
一言を生徒に訓じてしらうをとる 素閑
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