※ 写真は本文と関係ありません。
明日は成人の日だ。
きっと、振袖を着た若い女性で、街中が華やぐことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a0/27c8de2bacc86144e5a708adf5ace4d8.jpg)
昔は1月15日が成人の日だった。男子はほとんどスーツを選んだが、女子は振袖にするかスーツにするか、迷う者が多かった。これは、今も変わらないと思う。
私には姉と妹がいたから、両親は迷わず振袖を買った。ピンクの地に花や扇が描かれており、なかなかきれいな柄だった。姉の成人式でデビューしたあとは、私の成人式、結婚式のお呼ばれ、妹の成人式と、大活躍することになる。
しかし、着物を着るのは簡単ではない。母が着付けを習ってきたが、いつも上手に出来るとは限らず、失敗するときもあった。
私の成人式では、残念ながらイマイチの仕上がりだったようだ。
「ちょっと、やり直しするから脱いでくれる?」と言われ、その通りにしたのだが、裾の長さとおはしょりが思うようにいかなかったらしい。そのうち母は、「いいや、これで」と妥協してしまった。
私は、「おいおい」と焦ったけれども、待ち合わせ時間が迫っていたから我慢した。
その代わり、帯は会心の出来だったようだ。
市民体育館には、昔の同級生がたくさん集まっていた。「久しぶり」「本当ね」という会話とともに、さりげなくお互いの衣装をチェックする。これは女性ならではの習性だろう。茶色の地味な振袖には「勝った」と胸を張り、黒の艶っぽい振袖には「うっ」とたじろぐ。
髪のチェックも怠らない。キレイにアップにすればいいものを、中途半端なショートで来ている子を見ると、「伸ばせばよかったのに」と言いたくなる。生花を編みこんだアップは素敵だった。どんなかんざしも、髪飾りも、カスミソウには負けるのだ。「おみそれしやした」と、もろ手を上げて全面降伏しそうになった。
式のあとは、久々に再開した友達と、おしゃべりをしながらブラブラ歩いていた。私は「そろそろ帰ろう」と思い、道を横断しようとした。反対側に渡るには、縁石をまたがなくてはならない。しかし、着物なので歩幅が足りない。そこで、いったん縁石の上に乗ろうとしたときだ。長ーい袖が草履の下敷きになっていることに、私は全然気づかなかった。
ビリビリビリッ……
縁石に乗ったとたん、禍々しい音が轟いた。振袖の付け根、腋の下あたりの糸がほつれた音だった。袖を踏んだまま体を伸ばしたせいで、着物が悲鳴を上げたのだった。
「キャーッ!!」
私は顔面蒼白になった。正確な値段は知らないが、高価なものであることは間違いない。大急ぎで家に帰り、母に見てもらった。
「何で、大事に着ないのよッ!」とこっぴどく叱られたが、幸いなことに、無事修繕できたようだ。
その数年後には、妹も着付けができるようになる。着付けのできない私には、たいそう心強いことだった。
友達の結婚式に招かれたとき、振袖の着付けを母と妹に頼んだことがある。1人より、2人のほうが早く着せてもらえるだろうと思ったからだ。
しかし、微妙にやり方が違うようで、「そうじゃないでしょ」「何いってんのよ、これでいいのよ」と言い争いが始まった。私は何もわからないから、2人の口論を聞いているしかない。「何でもいいから、早くしてくれ~」と、心の中でひたすら祈っていた……。
3人姉妹は、とうの昔に、振袖を着られない年齢になっている。
しかし、十分すぎるほどに元が取れたことだろう。
いや、タンスで隠居するにはまだ早い。
この先も、活躍する場があるかもしれない。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/18/b2b19eb2db2595e3407c99e2498c999f.png)
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
明日は成人の日だ。
きっと、振袖を着た若い女性で、街中が華やぐことだろう。
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昔は1月15日が成人の日だった。男子はほとんどスーツを選んだが、女子は振袖にするかスーツにするか、迷う者が多かった。これは、今も変わらないと思う。
私には姉と妹がいたから、両親は迷わず振袖を買った。ピンクの地に花や扇が描かれており、なかなかきれいな柄だった。姉の成人式でデビューしたあとは、私の成人式、結婚式のお呼ばれ、妹の成人式と、大活躍することになる。
しかし、着物を着るのは簡単ではない。母が着付けを習ってきたが、いつも上手に出来るとは限らず、失敗するときもあった。
私の成人式では、残念ながらイマイチの仕上がりだったようだ。
「ちょっと、やり直しするから脱いでくれる?」と言われ、その通りにしたのだが、裾の長さとおはしょりが思うようにいかなかったらしい。そのうち母は、「いいや、これで」と妥協してしまった。
私は、「おいおい」と焦ったけれども、待ち合わせ時間が迫っていたから我慢した。
その代わり、帯は会心の出来だったようだ。
市民体育館には、昔の同級生がたくさん集まっていた。「久しぶり」「本当ね」という会話とともに、さりげなくお互いの衣装をチェックする。これは女性ならではの習性だろう。茶色の地味な振袖には「勝った」と胸を張り、黒の艶っぽい振袖には「うっ」とたじろぐ。
髪のチェックも怠らない。キレイにアップにすればいいものを、中途半端なショートで来ている子を見ると、「伸ばせばよかったのに」と言いたくなる。生花を編みこんだアップは素敵だった。どんなかんざしも、髪飾りも、カスミソウには負けるのだ。「おみそれしやした」と、もろ手を上げて全面降伏しそうになった。
式のあとは、久々に再開した友達と、おしゃべりをしながらブラブラ歩いていた。私は「そろそろ帰ろう」と思い、道を横断しようとした。反対側に渡るには、縁石をまたがなくてはならない。しかし、着物なので歩幅が足りない。そこで、いったん縁石の上に乗ろうとしたときだ。長ーい袖が草履の下敷きになっていることに、私は全然気づかなかった。
ビリビリビリッ……
縁石に乗ったとたん、禍々しい音が轟いた。振袖の付け根、腋の下あたりの糸がほつれた音だった。袖を踏んだまま体を伸ばしたせいで、着物が悲鳴を上げたのだった。
「キャーッ!!」
私は顔面蒼白になった。正確な値段は知らないが、高価なものであることは間違いない。大急ぎで家に帰り、母に見てもらった。
「何で、大事に着ないのよッ!」とこっぴどく叱られたが、幸いなことに、無事修繕できたようだ。
その数年後には、妹も着付けができるようになる。着付けのできない私には、たいそう心強いことだった。
友達の結婚式に招かれたとき、振袖の着付けを母と妹に頼んだことがある。1人より、2人のほうが早く着せてもらえるだろうと思ったからだ。
しかし、微妙にやり方が違うようで、「そうじゃないでしょ」「何いってんのよ、これでいいのよ」と言い争いが始まった。私は何もわからないから、2人の口論を聞いているしかない。「何でもいいから、早くしてくれ~」と、心の中でひたすら祈っていた……。
3人姉妹は、とうの昔に、振袖を着られない年齢になっている。
しかし、十分すぎるほどに元が取れたことだろう。
いや、タンスで隠居するにはまだ早い。
この先も、活躍する場があるかもしれない。
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