これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

今度は愛犬家

2010年01月24日 21時01分37秒 | エッセイ
 話題の映画『今度は愛妻家』を観に行った。
 世話焼き女房を薬師丸ひろ子さんが、自堕落なダメ夫を豊川悦司さんが好演し、なかなかの評判である。
 あらすじはさておき、残念ながら私には、この夫婦がまったく理解できなかった。

 何で妻は、あんな男の面倒をみるのかしら。

 たとえば、妻のさくらが夫の健康を気遣い、バランスのよい食事を用意するのに、ヤツはわがままを言って肝心の野菜を食べない場面がある。さくらは何とか食べさせようと頑張るのだが、結局残されてしまう。それなのに、彼女はそのあと夫に、「お茶飲む?」とやさしく尋ねるのだ。「はぁ?」と聞き返したくなるような、信じがたいセリフであった。
 そう感じるのは、私が専業主婦ではないからかもしれない。しかし、おそらく私には、成人の面倒をみるという機能がついていないのだ。もちろん、体が不自由になったお年寄りは別だが、一人前として扱われる社会人である以上、自分の面倒は自分でみるべきだと思う。男女を問わず、必要以上に頼られたり、よりかかられたりしたら迷惑だし、何よりもうっとうしい。
 もし、私がさくらだったら、次の食事から夫の野菜を用意しないだろう。夫を変える努力よりも、夫の行動に見合った対応をするほうが合理的だ。

 だが、世の中には、わざわざ好きこのんで夫の世話をする妻もいる。
 結婚式を挙げたとき、友人代表で祝辞を引き受けてくれた弓子は、おそらくそのタイプであろう。高校を卒業した翌年、一番に結婚した弓子は、マイクの前でこう言った。
「先輩ぶって言わせてもらえば、砂希さんは、ご主人となる龍一さんに、少しは自分の身の回りのことをしてもらったほうがいいと思います。好きな相手には、あれもこれもしてあげたいものですが、その気持ちを抑えて……」
 そんな発想はまったくなかったので、私はギョッとした。隣を見ると、夫も納得のいかない顔をしている。そういえば、彼も人に干渉されることを嫌うタイプだ。自分のことは、自分の好きなようにやりたいと思うから、私の出る幕はない。今から思うと、ちょうどいい組み合わせだったのかもしれない。

 でも、たまにだったら、人に何かをしてあげたり、してもらったりするのはいいと思う。
 私はビュッフェスタイルの食事が好きではない。お料理は、誰かに取り分けてもらったほうが美味しい。料金は高くてもいいから、お店の人に、すぐ食べられる状態になっているものを持ってきてほしい。
 鍋料理も中華の大皿料理も、自分でよそうのではなく、仲間がよそってくれると嬉しいものだ。いつもではないからこそ、ありがたみがわかる。
 だから私も、ときどきは人様の役に立ちたいと思う。その繰り返しだ。
 車間距離のように、他人と適正な距離を空けておかないと、私は気疲れしてしまう性質らしい。

 車間距離なしのベッタリした関係が必要な相手もいる。
 それは子供やペットである。損得計算や利害関係なしに、純粋な愛情を受けたり与えたりできる相手はそうそういない。
 私は子供の頃、犬を飼ってみたかった。心を許した相手に尻尾を振り、飛びついてきて、全身で喜びを表すところが可愛いと思った。しかし、死んだときがイヤだと母に反対され、それは叶わなかった。
 退職したら、自由な時間ができるから、犬を飼うチャンスがあるかもしれない。ひそかにそんな計画を練っている。

 隣の家のコーギーが、救急車のサイレンに反応して遠吠えを始めた。うるさいけれど、微笑ましい。
 すると、私の計画を知らないはずの夫も、真似をして同じように「バオ~~」と鳴き出した。そういえば、夫は戌年生まれである。
 でも、人間の犬はいらないな……。




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コメント (22)
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