GW中に函館・五稜郭に行ってきた。
土方歳三ファンとして、日野市の「新選組のふるさと歴史館」や「土方歳三資料館」を訪れたことはあるが、五稜郭は東京から遠いこともあり後回しになっていた。コロナが明けたことを機に、花見も兼ねて羽田空港からひとっとびに目的地を目指したのだが……。
「あれ、桜がもう散ってる」
残念ながら、ソメイヨシノはわずかに残った花があるのみで、すでに葉桜と化していた。土地の人は明るく笑い飛ばして「いつもGWぐらいなんだけど、今年は早かったからねぇ」と言う。
ちぇっ。
未練がましく、生き残りの桜を撮ってみた。
ちなみに、函館駅前にはヤマザクラが、もりもり生クリームのように美しく枝にデコレーションされていたので、花見としての目的は一応果たせたことになる。
函館空港に到着したあとは、元町にも湯の川にも寄らず、真っ先に五稜郭を目指した。地震や火事などの災害に見舞われると、観光どころではなくなることもあり、確実に見なくてはと気合を入れたからだ。
「うわ、すごい人」
まずは五稜郭タワーに向かう。
中に入ると、すでに長い行列ができていた。この先には、羽田空港の保安検査があるのではと思うくらい、たくさんの親子連れがひしめき合っている。若いカップルも目立ち、弾んだ声で会話を交わし、並ぶこと自体を楽しんでいるようだった。
状況がよく飲み込めなかったのだが、どうやら名探偵コナンのスタンプラリーとして並んでいたようだ。
エントランスには「五稜郭に立つ 土方歳三」なるブロンズ像があるというのに、ほとんどの人が眼中にないらしい。カメラではなく、背中やお尻を立像に向けているのが不満だった。
「なんてこと! きいい~!!」
コナンに負けてしまったことを嘆きつつ、誰にも邪魔されず、ゆっくり撮れるメリットは享受した。
もうひとつ、展望台に上がるエレベーター待ちの行列もできていた。こちらの最後尾について、展望2階を目指す。
エレベーターを下りると、ガラス張りの大きな窓から眼下の景色が飛び込んでくる。目の前に広がる五稜郭公園の、星形に整えられた造形美を堪能した。
ヨーロッパの城郭都市をモデルとしたこの要塞は、蘭学者の武田斐三郎が考案し、7年の歳月を費やして誕生したという。端正な見た目に加えて、政治や外交・防衛の拠点としての役割を果たす実用性を兼ね備え、実に素晴らしい。
この要塞がたどった足跡は、「五稜郭歴史回廊」として精密なジオラマで見ることができる。
1854年に箱館(当時の表記)開港が決定したことを機に、1857年から五稜郭の建設工事に着工する。1867年に大政奉還が行われ、1868年に新政府が五稜郭に箱館府を設置するのだが、同年10月には旧幕府脱走軍に占領されてしまった。土方は、この旧幕府脱走軍に属し、行動をともにしている。
旧幕府脱走軍が松前藩を攻撃した際、軍艦「開陽」も出撃した。しかし、冬の日本海の嵐により座礁し、江差港に沈むことになる。このときの落胆した様子がジオラマに表現されていた。
旗艦「開陽」を失いながらも、旧幕府脱走軍は松前藩を打ち破り、全蝦夷地を手にする。同年12月には仮の政権を樹立し、記念撮影に臨む。
しかし、翌1869年には新政府軍が反撃を開始し、箱館・五稜郭を目指して進撃を始めた。江差山道では、土方率いる部隊が新政府軍の大部隊を迎え撃ち、見事に撃退している。
5月11日には、新政府軍による箱館総攻撃が開始され、土方歳三は35歳という若さでこの世を去るのであった。
このジオラマが一番の力作らしく、リーフレットにも別途掲載されている。別の角度から見ても、鬼神のような表情で懸命に馬を駆る躍動感が伝わってくる。よくできていると感心し、しばらく見入ってしまった。
昨日5月11日は土方の155回目の命日だったそうだ。彼の人生はここで終わってしまったが、「誠」を掲げて一途に戦う姿が人の心を惹きつけ、死後もなお愛されている。
五稜郭は1871年に解体され、公園として開放されることになるが、当時の姿も模型として見ることができる。
この階には、土方の座っているブロンズ像がある。さすがに、ここには並ぶ人がいた。人気を奪還したことに安心し、私も順番を待って写真を撮った。
1階に戻ると、スタンプラリーの列が短くなっていた。一体何があったのだろうと覗いてみると、怪盗キッドが絡んでいたらしい。
うーむ、コナン・キッドの連合軍にやられたってことか。
参考までにお伝えすると、函館駅から東に向かうと「土方歳三最期の地碑」なるものが見られる。
ここにもファンと思しき男性2組が訪れ、手を合わせていた。
どうぞ安らかにお眠りください。
『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』の興行成績が好調らしい。
何だかんだで、私も見たくなっちゃった……。
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
土方歳三ファンとして、日野市の「新選組のふるさと歴史館」や「土方歳三資料館」を訪れたことはあるが、五稜郭は東京から遠いこともあり後回しになっていた。コロナが明けたことを機に、花見も兼ねて羽田空港からひとっとびに目的地を目指したのだが……。
「あれ、桜がもう散ってる」
残念ながら、ソメイヨシノはわずかに残った花があるのみで、すでに葉桜と化していた。土地の人は明るく笑い飛ばして「いつもGWぐらいなんだけど、今年は早かったからねぇ」と言う。
ちぇっ。
未練がましく、生き残りの桜を撮ってみた。
ちなみに、函館駅前にはヤマザクラが、もりもり生クリームのように美しく枝にデコレーションされていたので、花見としての目的は一応果たせたことになる。
函館空港に到着したあとは、元町にも湯の川にも寄らず、真っ先に五稜郭を目指した。地震や火事などの災害に見舞われると、観光どころではなくなることもあり、確実に見なくてはと気合を入れたからだ。
「うわ、すごい人」
まずは五稜郭タワーに向かう。
中に入ると、すでに長い行列ができていた。この先には、羽田空港の保安検査があるのではと思うくらい、たくさんの親子連れがひしめき合っている。若いカップルも目立ち、弾んだ声で会話を交わし、並ぶこと自体を楽しんでいるようだった。
状況がよく飲み込めなかったのだが、どうやら名探偵コナンのスタンプラリーとして並んでいたようだ。
エントランスには「五稜郭に立つ 土方歳三」なるブロンズ像があるというのに、ほとんどの人が眼中にないらしい。カメラではなく、背中やお尻を立像に向けているのが不満だった。
「なんてこと! きいい~!!」
コナンに負けてしまったことを嘆きつつ、誰にも邪魔されず、ゆっくり撮れるメリットは享受した。
もうひとつ、展望台に上がるエレベーター待ちの行列もできていた。こちらの最後尾について、展望2階を目指す。
エレベーターを下りると、ガラス張りの大きな窓から眼下の景色が飛び込んでくる。目の前に広がる五稜郭公園の、星形に整えられた造形美を堪能した。
ヨーロッパの城郭都市をモデルとしたこの要塞は、蘭学者の武田斐三郎が考案し、7年の歳月を費やして誕生したという。端正な見た目に加えて、政治や外交・防衛の拠点としての役割を果たす実用性を兼ね備え、実に素晴らしい。
この要塞がたどった足跡は、「五稜郭歴史回廊」として精密なジオラマで見ることができる。
1854年に箱館(当時の表記)開港が決定したことを機に、1857年から五稜郭の建設工事に着工する。1867年に大政奉還が行われ、1868年に新政府が五稜郭に箱館府を設置するのだが、同年10月には旧幕府脱走軍に占領されてしまった。土方は、この旧幕府脱走軍に属し、行動をともにしている。
旧幕府脱走軍が松前藩を攻撃した際、軍艦「開陽」も出撃した。しかし、冬の日本海の嵐により座礁し、江差港に沈むことになる。このときの落胆した様子がジオラマに表現されていた。
旗艦「開陽」を失いながらも、旧幕府脱走軍は松前藩を打ち破り、全蝦夷地を手にする。同年12月には仮の政権を樹立し、記念撮影に臨む。
しかし、翌1869年には新政府軍が反撃を開始し、箱館・五稜郭を目指して進撃を始めた。江差山道では、土方率いる部隊が新政府軍の大部隊を迎え撃ち、見事に撃退している。
5月11日には、新政府軍による箱館総攻撃が開始され、土方歳三は35歳という若さでこの世を去るのであった。
このジオラマが一番の力作らしく、リーフレットにも別途掲載されている。別の角度から見ても、鬼神のような表情で懸命に馬を駆る躍動感が伝わってくる。よくできていると感心し、しばらく見入ってしまった。
昨日5月11日は土方の155回目の命日だったそうだ。彼の人生はここで終わってしまったが、「誠」を掲げて一途に戦う姿が人の心を惹きつけ、死後もなお愛されている。
五稜郭は1871年に解体され、公園として開放されることになるが、当時の姿も模型として見ることができる。
この階には、土方の座っているブロンズ像がある。さすがに、ここには並ぶ人がいた。人気を奪還したことに安心し、私も順番を待って写真を撮った。
1階に戻ると、スタンプラリーの列が短くなっていた。一体何があったのだろうと覗いてみると、怪盗キッドが絡んでいたらしい。
うーむ、コナン・キッドの連合軍にやられたってことか。
参考までにお伝えすると、函館駅から東に向かうと「土方歳三最期の地碑」なるものが見られる。
ここにもファンと思しき男性2組が訪れ、手を合わせていた。
どうぞ安らかにお眠りください。
『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』の興行成績が好調らしい。
何だかんだで、私も見たくなっちゃった……。
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
気になって「阪本奨悟 土方」で検索しました。
鬼滅の刃の役ももらっている人なんですかね。
山本耕史よりは近いけれど……重量感が足りないかな。
動画で役柄の魅力を語っていたので、ご本人にとってはウレシイのかも。
であれば応援します(笑)
五稜郭は窓からの景色が一番美しいです。
現在、手塚治虫先生の『新選組』を原作としたドラマ『君とゆきて咲く~新選組青春録~』が放送中で、土方歳三役は阪本奨悟さんというシンガーソングライターの俳優さんが演じてます。土方歳三ファンにはどう見えるのかな?
はい、まさにその通りです。
土方は34歳で亡くなったとも書かれているのですが、数え年かそうでないかの違いですかね。
函館を知る人にとって、コナンの映画は身近で楽しいのだとか。
でも映画館に行くのが面倒くさい。
コナンの映画、次回の舞台はどこかしら、なんて調べもしませんでした。
日本は広いというのに、函館しかも五稜郭とはピンポイントすぎでしょ。
優雅にお茶しようと思ったのに、混雑が激しくて、ジェラート屋さんの端っこの席で何とか喉を潤しましたよ。
早々に退散したため、五稜郭のみで売られているおみやげを買い損ねました。
同じ場所に行っても、見ているところが違うんでしょうね。
このあと土手や奉行所に向かいましたが、ドラマがないので書きません(笑)
星形の敷地内で、斬り合いが行われていた時代を思ってもいいのですが。
松前には行きたかったんですよ。
遠すぎて函館からは無理~。
土方歳三は若くして亡くなったんですね。
でも結局コナン見たくなっちゃったんですね。
かなりの強敵、仕方ないかしら。
精巧なジオラマと愛溢れた文で、
読んでいても臨場感ありました。
自分が行った時のことを思い出そうとしていますが、全く思い出せない...
続き楽しみにしています