米沢では、添乗員と化した義兄が、3世代11人を上杉神社に連れて行ってくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/3c/e644b09dc9b85eda31aa0b2e747a096e.jpg)
左には「毘」、右には「龍」の幟がはためいている。
参道を行くと、上杉謙信公に会うことができる。さすがに貫禄たっぷりだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/7c/5680464f5a11ce8a5feba453f1559e81.jpg)
「上杉謙信はな、上越で亡くなったんだよ」
新潟出身の父が、突如として誇らしげに語り出した。
そして、上杉鷹山公も控えめにお出迎えしてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ce/e2b5921fa677494fb86f8dd7a404502a.jpg)
謙信公は、誰もが知っている。だが、恥ずかしながら、私は上杉鷹山なる人物を知らなかった。
何をした人なんだろう。上杉謙信のお父さんかな?
日本史は取っていないし、山形に来るのも初めてだから、見た目で判断する。
もし、このつぶやきを声に出していたら、米沢市民から石をぶつけられたかもしれない。
先に進み、本殿でお参りをした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0a/80d55a965ca636ffd4b36509f7d8c8c8.jpg)
毘沙門天の転生といわれた、謙信公の強さにあやかりたいものである。
「せっかくだから、上杉博物館も見ていくでしょ」
義兄が、併設されたモダンな建物を指さした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ec/50f3213d4b4755437ca803b0131e1133.jpg)
博物館の手前には、こんもりと土が盛られており、山の写真が撮れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/19/d5a3322ad38d9dcde85e2674710610e9.jpg)
私は海派ではなく、山派のようだ。青い空を遮るようにそびえる雄姿を見ると、なぜか落ち着く。
博物館に入ると、度肝を抜かれるような人形が舞っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/97/ff02d43aad9f5a70df48b32fe5939f6e.jpg)
フェイスブックのプロフィール画像にしようかしら……。
ちょうど、「上杉家伝来絵図」という特別展が開催されており、珍しい展示を見ることができた。
「12時から鷹山シアターで上映があるから見ようよ」
姉に誘われ、シートに腰を下ろす。
上映された映像は、借金大国となった米沢藩を立て直すため、上杉鷹山がどのように改革の手を打ったかという内容だった。ドラマ仕立てとなっており、若くして藩主の座に着いた鷹山が、改革を阻む家臣に悩まされたときは、謙信公に祈る場面があった。
なんだ、謙信公のほうが、先に亡くなっていたんだ……。
暗いシアターの中で、己の無知ぶりに赤面する。
その後、迷いを断ち切った鷹山は、まっしぐらに改革を推し進めていく。飢饉とも戦い、見事に米沢藩を再生させたのだから、あっぱれとしかいいようがない。
「のどが渇いた」
「座りたい」
シアターを出たら、娘と夫がカフェに入りたがる。私はもっと見たかったのだが、ひとまずお茶することにした。
カフェで調べてみたら、上杉謙信は1530年生まれ、鷹山は1751年生まれとあった。
だが、亡くなった年齢が違う。謙信は49歳だが、鷹山は70歳なのだ。そこで、肖像画に年齢差がついたようである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/18/308897fea200a4d80f5d11df09b101fa.jpg)
謙信公。(Wikipediaより)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/1a/0b980cfd149a098adea0fc78eaaa3b16.jpg)
鷹山公。(Wikipediaより)
もうちょっと、若いころの顔にすればよかったのに。
私のように、上杉謙信より年上だと勘違いする者が、他にもいるかもしれない。
「飲み終わった? じゃあ、もう一回入ろうか」
「うん」
私は2人を連れて、展示室に戻った。半券があれば、再入場できるのだ。ジオラマは精密で立派だったし、見ごたえのある収蔵物が多かった。
米沢には、食べるほかにも楽しみがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/18/b2b19eb2db2595e3407c99e2498c999f.png)
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
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左には「毘」、右には「龍」の幟がはためいている。
参道を行くと、上杉謙信公に会うことができる。さすがに貫禄たっぷりだ。
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「上杉謙信はな、上越で亡くなったんだよ」
新潟出身の父が、突如として誇らしげに語り出した。
そして、上杉鷹山公も控えめにお出迎えしてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ce/e2b5921fa677494fb86f8dd7a404502a.jpg)
謙信公は、誰もが知っている。だが、恥ずかしながら、私は上杉鷹山なる人物を知らなかった。
何をした人なんだろう。上杉謙信のお父さんかな?
日本史は取っていないし、山形に来るのも初めてだから、見た目で判断する。
もし、このつぶやきを声に出していたら、米沢市民から石をぶつけられたかもしれない。
先に進み、本殿でお参りをした。
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毘沙門天の転生といわれた、謙信公の強さにあやかりたいものである。
「せっかくだから、上杉博物館も見ていくでしょ」
義兄が、併設されたモダンな建物を指さした。
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博物館の手前には、こんもりと土が盛られており、山の写真が撮れる。
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私は海派ではなく、山派のようだ。青い空を遮るようにそびえる雄姿を見ると、なぜか落ち着く。
博物館に入ると、度肝を抜かれるような人形が舞っていた。
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フェイスブックのプロフィール画像にしようかしら……。
ちょうど、「上杉家伝来絵図」という特別展が開催されており、珍しい展示を見ることができた。
「12時から鷹山シアターで上映があるから見ようよ」
姉に誘われ、シートに腰を下ろす。
上映された映像は、借金大国となった米沢藩を立て直すため、上杉鷹山がどのように改革の手を打ったかという内容だった。ドラマ仕立てとなっており、若くして藩主の座に着いた鷹山が、改革を阻む家臣に悩まされたときは、謙信公に祈る場面があった。
なんだ、謙信公のほうが、先に亡くなっていたんだ……。
暗いシアターの中で、己の無知ぶりに赤面する。
その後、迷いを断ち切った鷹山は、まっしぐらに改革を推し進めていく。飢饉とも戦い、見事に米沢藩を再生させたのだから、あっぱれとしかいいようがない。
「のどが渇いた」
「座りたい」
シアターを出たら、娘と夫がカフェに入りたがる。私はもっと見たかったのだが、ひとまずお茶することにした。
カフェで調べてみたら、上杉謙信は1530年生まれ、鷹山は1751年生まれとあった。
だが、亡くなった年齢が違う。謙信は49歳だが、鷹山は70歳なのだ。そこで、肖像画に年齢差がついたようである。
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謙信公。(Wikipediaより)
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鷹山公。(Wikipediaより)
もうちょっと、若いころの顔にすればよかったのに。
私のように、上杉謙信より年上だと勘違いする者が、他にもいるかもしれない。
「飲み終わった? じゃあ、もう一回入ろうか」
「うん」
私は2人を連れて、展示室に戻った。半券があれば、再入場できるのだ。ジオラマは精密で立派だったし、見ごたえのある収蔵物が多かった。
米沢には、食べるほかにも楽しみがある。
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謙信の方が先に亡くなってたんですね。私も知りませんでしたよ。
米沢市の博物館なのですが、ずいぶんお金をかけているなぁと感じました。
人は少なかったのですが、上杉神社のほうはそれなりに参拝者がいました。
駅からバスなので、徒歩圏だったらよかったのかも。
鉄砲のシミュレーションもあり、子どもに人気です。
日本史好きの方にはたまりませんね。