新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

構造の構造

2023-03-11 09:03:30 | …弁証法…
<構造の構造>

>コメント ────

>・コメントが届いた記事
>投球が止まって見える」とは?

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>・コメントを書いた人
>雲海

>・コメント
私は以前からお宅の「その構造は?」という問いに違和感を持っていたが、今回はっきりと、それは南郷さんの著書における「現象論、構造論、本質論」というのを暗記している、そこから阿呆丸出しの己れが見えない口から突いて出るのが「構造」という脊髄反射的な言葉なのだろうと判断できた。



全く「構造」の概念を理解できていないね♪
この雲海お宅!

例えば、上記の>「阿保丸出し」という認識が、発生している「構造」は?
それは、このお宅自身が>「南郷さんの著書における「現象論、構造論、本質論」というのを暗記している」から…である。

残念な事に、私は暗記が嫌いである。
暗記も必死にやれば出来るが…忘れるのは早い。

そもそも…「構造の構造」を問うから、それにもレベルが考えられる。
全体の構造、部分としての全体の部分・部分の構造。

これが「過程の構造・構造の過程」という師範の弁証法用語だろう。

構造とは、全体を、その全体までへの変化・運動の過程の一つ一つを、順番に並べた…ようなモノ。



>私のように己れの実力で対象の中や他者の文言の中に深く深く分け入ることが出来る人間ならば、その分け入っていることが直ちに「構造」なんてところに結びつかないことは自明のことでしかないが、南郷さんの本から「現象、構造、本質」という言葉だけ暗記している阿呆は、なんらかの事実を相手が述べたと判断したら、そこから直ちに構造へ行くものだと錯覚しているのだ。



山登り途中では、山全体は観られない。
山の頂上に登っても、山全体は観られない。
ヘリコプター・飛行機…遠くから眺められた時に初めて全体像が見える。

遠くから観ただけの「山」…
自力で頂上まで登った「山」…
登った後に観た「山」…

それぞれ…その山の認識・像が異なっている。
それば、どのように異なっているかは「認識の構造」の相違であろう。


>だから、何の必然性があって如何なる話へ展開するか?ということを地道に冷静に追っていくことが出来ずに「構造」などという陳腐な(自由びとが言うから陳腐になるのだ!)、この阿呆は「構造」という意味さえ解らないに違いない。

馬鹿だね!
雲海お宅は「自分が大将!」認識ですね。

>(自由びとが言うから陳腐になるのだ!)<ではなく、
<「雲海お宅が理解していない!から陳腐に思えてしまう」>のに…







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2 コメント

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Unknown (雲海)
2023-03-11 11:43:04
私は断言するが玄◯会という団体が世の中に受け入れられることはない。なぜなら自由びと、お宅がやっていることが世の中に受け入れられざることだからだ。

そして間違いなく玄◯会は世間的には弱小団体であり、やっていることも偏狭な小物の集まりだからだ。

確かに私は昔、玄◯会の本部道場に在籍していたが、その後は田島翔鷹に破門され今では玄◯会とは全くの無関係な人間だ。
 
無関係なばかりでなく、私には別に所属している組織や団体があり、私が発言した知的な財産を勝手に我がものとしたり、私を自分の組織である玄◯会の会員の如くに扱うことは私ばかりでなく私の所属している組織にとっても迷惑な話しだ。

南郷さんも齢90に達し、己れの人生で到達できた高さというものは最終的な結論が出ているであろうか、「これから更に高みを目指すのだ」などと阿呆なことも言うまいし、お宅も自分が年寄りであるからもう一流など目指してはいないと述べただろう。

しかし、まだ人生の半ばを残した私が登山の結果の一部を披露したのを見て、中身が枯渇している「我が玄◯会」を顧みもせずに、これを自分の組織に取り込めばなどと甘い夢想を抱くものではない。

書けば書くほどボロが出るとは自由びと、お宅そのものだ。「足し算引き算も出来ぬうちに」と言ったそばから「構造の構造」だなどと(失笑)お宅は数学とは高等数学から小学生の算数に降りていくものだとでも言うのかな?(笑)

私は世界に広がった見事な武道団体や格闘技団体にも所属していたことがあるが、見事な団体は構成している人間たちが見事なので、玄◯のチンピラなどとはワケが違う。
返信する
雲海vs自由びと (自由びと)
2023-03-14 11:14:14
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>雲海

>・コメント
>私は断言するが玄◯会という団体が世の中に受け入れられることはない。なぜなら自由びと、お宅がやっていることが世の中に受け入れられざることだからだ。

「世の中に受け入れられ」とは?
大衆の支持を売れる事?
大衆を喜ばせる事?
大衆の賛同を受ける事?

「世の中とは」?
南郷師範・玄〇会の求めるモノは、歴史・哲学の歩みを進める事。
そんな望み・欲望のない大衆に「受け入れられ」事はないでしょうね。

南郷学派関連の著書には、医療・看護・介護…等のモノを多く感じますが…
それは、現代医学・医療を先へ進める事で、多くの病気・苦しんでいる大衆救済なのでは…と私は考えていますが…

>「自由びと、お宅のやっていることが…」
え?
「自由びとのやっていること」って、このブログ記述だけだよ!
こんな個人ブログを「世の中が受け入れる」って…どんな事?意味不明ですよ!

社会的な著名人なら兎も角…
一般人が一般的な組織が「世の中に受け入れられない」…とは、どんな状態なの?
社会で生きている・生活している普通の人々、
活動継続している普通の組織とは、
「世の中に存在している」モノ。


個々の普通のモノが存在している事自体が
「世の中に受け入れられている」事だと、私は考えられます。

「世の中」とは、あって・ないようなモノ。



>そして間違いなく玄◯会は世間的には弱小団体であり、やっていることも偏狭な小物の集まりだからだ。


有名になりたい!政治家になりたい!大組織になりたい!なら「世の中」の大衆の支持を求めますが…
そんなモノを求めないなら、「世の中の大衆の支持・賛同は無用」なのです。

この雲海お宅は、お宅自身が、そんな、大それた欲望・望みを抱いているなら「世の中に受け入れない」!のかもね…
しかも「お宅がよ世の中に受け入れられの事皆無」だから,他人も一緒だと思い込んでいる・ようです。






>確かに私は昔、玄◯会の本部道場に在籍していたが、その後は田島翔鷹に破門され今では玄◯会とは全くの無関係な人間だ。
>無関係なばかりでなく、私には別に所属している組織や団体があり、私が発言した知的な財産を勝手に我がものとしたり、私を自分の組織である玄◯会の会員の如くに扱うことは私ばかりでなく私の所属している組織にとっても迷惑な話しだ。
>南郷さんも齢90に達し、己れの人生で到達できた高さというものは最終的な結論が出ているであろうか、「これから更に高みを目指すのだ」などと阿呆なことも言うまいし、お宅も自分が年寄りであるからもう一流など目指してはいないと述べただろう。
>しかし、まだ人生の半ばを残した私が登山の結果の一部を披露したのを見て、中身が枯渇している「我が玄◯会」を顧みもせずに、これを自分の組織に取り込めばなどと甘い夢想を抱くものではない。

>書けば書くほどボロが出る

同感です!
お宅って、書けば書く程、何を言っているの?!てな、感じですかね♪♪♪

この自由びとブログ記事・内容とは無関係な、お宅妄想の羅列…
お宅の覆っていた知識膜が剥げて・ネタ切れで…
ついに、お宅の強烈な悪意にボロボロな妄想・幻想…露見していますよ!
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