「意識と切り替え」・「目的意識の切り替え」の話
以下のような昨日の事件から始める。
朝のゴミ出しの為に、台所の流しの「三角コーナー」のゴミを捨てようと、中のゴミ袋を取って市指定のゴミ袋に入れた。
次に「三角コーナー」に入れる為の新たなゴミ袋を探し取り出して、「三角コーナー」に入れようとしたら…
なんと!「三角コーナー」がない事に気付いた!周囲を探しても見つからない!
可笑しい!「今さっきまであった!何故にない?」息子にラインして尋ねたら「昨日、ゴミ袋の中にはなかった。!」
私の中の思いは、初めにあったと思い込んでいた「三角コーナー」本当はなく、ゴミ袋だけだった。
または、いつものように私が無自覚で「三角コーナー」をどこかに置いた・移動させた(でも周囲にない)。
ただ息子のラインの「ゴミ袋の中」から、私もゴミ袋の中をみたら「三角コーナー」発見。
それを取り出した瞬間、私は理解した!「何故に三角コーナーを私はゴミ袋に入れてしまったか?」
三角コーナーの中の袋のゴミが満杯で、袋の上を方を持って、袋を出そうとしても、「三角コーナー」が一緒に一体的に持ち上がってきた事に気付いた…
初めの私は「流しの三角コーナーの中のゴミ捨て」と言う目的・意識で、
三角コーナーとゴミ袋を見て・感覚した~
その次の私は、ゴミ袋を出す意識でゴミ袋の上をほうを持って取り出した~
この時、私の視覚はゴミ袋だけを感覚して、三角コーナーの感覚なし…
だから、この時の私のゴミ袋捨ては、三角コーナーの一緒・一体的に捨ててしまった。
また、私の日常茶飯事の失敗であるが…
風呂場に入って風呂に上がって、出て服を着て、居間へ行ってテレビを視る。
風呂場に入る時は、電灯をつけるが、出た後は消し忘れ。
出た後、後ろを振り返手初めて「電灯の消し忘れ」に気付く私…
これを「忘れっぽい」と片付けるのは簡単であるが…
でも、別の視点から説くなら「認識の切り替えが早い」…
しかし、考えようによっては、「風呂から出ると」という行為は、
入る時に付けた電灯を、出る時に消して、初めて「行為」完了。
以下は、ネットでからの転写であが…
~~~転写開始~~~
「行為」「行動」「動作」の違いとは?
「行為」、「行動」、「動作」は、意味的には似ていますが、微妙な違いがあります。
行為
「行為」は、ある意図や目的をもって行われた行動全般を指します。たとえば、「善行」という言葉は、善良な目的をもって行われた行為を表します。
行動
一方、「行動」は、何らかの反応や動作をすることを指します。行動には、意図的なものと無意識的なものがあります。たとえば、「彼の行動は奇妙だ」という場合、彼がある特定の目的を持って行動しているとは限りません。
動作
「動作」は、身体的な動きを指します。動作は、何らかの外部的な刺激によって引き起こされることがあります。たとえば、「彼の手の動作が不自然だ」という場合、彼の手の動きが見た目に不自然であることを指します。
まとめ
つまり、「行為」は意図的であり、目的を持って行われた行動全般を指します。「行動」は、何らかの反応や動作をすることを指し、「動作」は身体的な動きを指します。
~~~転写終了~~~
今の日々の私の生活が、「行為レベル」ではなく…
よくて「行動レベル」、下手すると「動作レベル」化している、ようだ!
「行為・行動・動作」違いは、それぞの目的意識の濃さ・薄さなのだろう。
私には、目的・意識の「切り替えの早さ」より、目的意識の濃厚さが、必要なのだろう。
突き・蹴りのスピードではなく、時々の技に込められている意識の強烈さ~こそが求められているモノ。
以下のような昨日の事件から始める。
朝のゴミ出しの為に、台所の流しの「三角コーナー」のゴミを捨てようと、中のゴミ袋を取って市指定のゴミ袋に入れた。
次に「三角コーナー」に入れる為の新たなゴミ袋を探し取り出して、「三角コーナー」に入れようとしたら…
なんと!「三角コーナー」がない事に気付いた!周囲を探しても見つからない!
可笑しい!「今さっきまであった!何故にない?」息子にラインして尋ねたら「昨日、ゴミ袋の中にはなかった。!」
私の中の思いは、初めにあったと思い込んでいた「三角コーナー」本当はなく、ゴミ袋だけだった。
または、いつものように私が無自覚で「三角コーナー」をどこかに置いた・移動させた(でも周囲にない)。
ただ息子のラインの「ゴミ袋の中」から、私もゴミ袋の中をみたら「三角コーナー」発見。
それを取り出した瞬間、私は理解した!「何故に三角コーナーを私はゴミ袋に入れてしまったか?」
三角コーナーの中の袋のゴミが満杯で、袋の上を方を持って、袋を出そうとしても、「三角コーナー」が一緒に一体的に持ち上がってきた事に気付いた…
初めの私は「流しの三角コーナーの中のゴミ捨て」と言う目的・意識で、
三角コーナーとゴミ袋を見て・感覚した~
その次の私は、ゴミ袋を出す意識でゴミ袋の上をほうを持って取り出した~
この時、私の視覚はゴミ袋だけを感覚して、三角コーナーの感覚なし…
だから、この時の私のゴミ袋捨ては、三角コーナーの一緒・一体的に捨ててしまった。
また、私の日常茶飯事の失敗であるが…
風呂場に入って風呂に上がって、出て服を着て、居間へ行ってテレビを視る。
風呂場に入る時は、電灯をつけるが、出た後は消し忘れ。
出た後、後ろを振り返手初めて「電灯の消し忘れ」に気付く私…
これを「忘れっぽい」と片付けるのは簡単であるが…
でも、別の視点から説くなら「認識の切り替えが早い」…
しかし、考えようによっては、「風呂から出ると」という行為は、
入る時に付けた電灯を、出る時に消して、初めて「行為」完了。
以下は、ネットでからの転写であが…
~~~転写開始~~~
「行為」「行動」「動作」の違いとは?
「行為」、「行動」、「動作」は、意味的には似ていますが、微妙な違いがあります。
行為
「行為」は、ある意図や目的をもって行われた行動全般を指します。たとえば、「善行」という言葉は、善良な目的をもって行われた行為を表します。
行動
一方、「行動」は、何らかの反応や動作をすることを指します。行動には、意図的なものと無意識的なものがあります。たとえば、「彼の行動は奇妙だ」という場合、彼がある特定の目的を持って行動しているとは限りません。
動作
「動作」は、身体的な動きを指します。動作は、何らかの外部的な刺激によって引き起こされることがあります。たとえば、「彼の手の動作が不自然だ」という場合、彼の手の動きが見た目に不自然であることを指します。
まとめ
つまり、「行為」は意図的であり、目的を持って行われた行動全般を指します。「行動」は、何らかの反応や動作をすることを指し、「動作」は身体的な動きを指します。
~~~転写終了~~~
今の日々の私の生活が、「行為レベル」ではなく…
よくて「行動レベル」、下手すると「動作レベル」化している、ようだ!
「行為・行動・動作」違いは、それぞの目的意識の濃さ・薄さなのだろう。
私には、目的・意識の「切り替えの早さ」より、目的意識の濃厚さが、必要なのだろう。
突き・蹴りのスピードではなく、時々の技に込められている意識の強烈さ~こそが求められているモノ。