今年の私の初夢はいつ?
大晦日は23時10分に床に就いたので、本来は元日であろう。
しかし、残念な事に、見ただろう夢を全く覚えていない。
それでも、二日の今日の四時ごろから見た夢は鮮明に覚えている。
その理由は、三時ごろにトイレに起きたら眠れなくなったからである。
眠れないのに初夢とは、可笑しいであろう。
そう~これは、
私・本人は眠れていないと思いつつも…実は眠っていたからである。
何故に「眠っていた」と思えるか?
それは、枕元の「ドラえもん」時計を見たら、
あっという間に一時間経っていたからである。
夢の想い出を書くなら~小学生時代が鮮明である。
夜、床について、あっという間に朝、頭の記憶は真っ暗!
~と全く夢の記憶かない時…または、起床して鮮明に夢を記憶している朝…
そんな二通りの朝・夢を想い出している。
さて、今朝みた(初)夢であるが…
トイレの後、なかなか眠れない感じだったので、
床の中で「寝る前に寝床で行う天珠体操」ならぬ、
「起床前に寝床で行う天珠体操」を実施して、
起きようと思いつつ…五分少々やったら、
なんか眠れそうになり、そのまま床の中で「自律訓練法」を始めた。
すると…忘れていたあの感覚が…
それは、頭の中の映像が鮮明になってくる感じ、
今日のは、
大きなスクリーンに何かが映っている。
それは鮮明に見えているのに、何かと言えない分からない。
分かる事は、「鮮明に見えている」事だけ…
そこで、いつものように、心で『自然・山々・緑』と念じたが…
描かれたのは、黒く大きく厚いもくもく雲雲雲であった。
その後は、ネオンの看板、大きなネオン看板の街々…
そんな映像が…そこで何とか~自然!と念じつつ、
起きて時計を見たら、もう一時間近く過ぎていた。
起きて思った事は、私は夢を言葉でコントロールしている。
『自然・山々・緑』と言葉にした時、私の自然・山々・緑が浮かぶ。
「像で考える」とは、
目的意識的に頭の中の像を変化・運動させている状態。
「言葉で考える」とは、
ある・その言葉を像化にして、
その言葉からの像の変化・運動を、
別の言葉を使って像にしてやっている状態。
それは聖書の言葉ではないが…
「初めに言葉ありき」である。
これが科学なら、
「初めに知識ありき」である。
本来的には
「初めに体験ありき」
「次に体験の認識・像化」
「その為の言葉の像化」なのだろう…
例えば、犬を考える時、
実際に子犬から成犬・老犬、そして死犬まで飼っていた人の像は、
その犬の像の展開の全てが、自分が実際に飼っていた犬の成長・衰退・消滅に従っている。
しかし、犬を飼った事のない人なら、写真の犬、見た事関わった事のある人の犬、
触った人の子犬、関わった老犬、噛まれた成犬…道で見た車に引かれた死犬…等のモノである。
そんな中途半端な像で、正しく、生々・生成・発展・衰弱・消滅…の犬象を描ける訳がない。
これは、色々な犬の写真を集めて、並べて犬の一生を見ようとする取り組みと同様である。
例えるなら、犬の一生像が、犬の弁証法像であるなら、犬の写真像は犬の知識像である。
ゴールデン・レトリバー犬の、子犬、成犬、老犬、病犬…状態を知っていて初めて、犬の一生の流れ的に並べられるモノなのだろう。
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