新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

夢・像について…

2018-01-02 11:10:38 | 想い思い考える


今年の私の初夢はいつ?

大晦日は23時10分に床に就いたので、本来は元日であろう。
しかし、残念な事に、見ただろう夢を全く覚えていない。

それでも、二日の今日の四時ごろから見た夢は鮮明に覚えている。
その理由は、三時ごろにトイレに起きたら眠れなくなったからである。
眠れないのに初夢とは、可笑しいであろう。
そう~これは、
私・本人は眠れていないと思いつつも…実は眠っていたからである。

何故に「眠っていた」と思えるか?

それは、枕元の「ドラえもん」時計を見たら、
あっという間に一時間経っていたからである。

夢の想い出を書くなら~小学生時代が鮮明である。

夜、床について、あっという間に朝、頭の記憶は真っ暗!
~と全く夢の記憶かない時…または、起床して鮮明に夢を記憶している朝…
そんな二通りの朝・夢を想い出している。


さて、今朝みた(初)夢であるが…
トイレの後、なかなか眠れない感じだったので、
床の中で「寝る前に寝床で行う天珠体操」ならぬ、
「起床前に寝床で行う天珠体操」を実施して、
起きようと思いつつ…五分少々やったら、
なんか眠れそうになり、そのまま床の中で「自律訓練法」を始めた。

すると…忘れていたあの感覚が…
それは、頭の中の映像が鮮明になってくる感じ、
今日のは、
大きなスクリーンに何かが映っている。
それは鮮明に見えているのに、何かと言えない分からない。
分かる事は、「鮮明に見えている」事だけ…

そこで、いつものように、心で『自然・山々・緑』と念じたが…
描かれたのは、黒く大きく厚いもくもく雲雲雲であった。
その後は、ネオンの看板、大きなネオン看板の街々…
そんな映像が…そこで何とか~自然!と念じつつ、
起きて時計を見たら、もう一時間近く過ぎていた。


起きて思った事は、私は夢を言葉でコントロールしている。
『自然・山々・緑』と言葉にした時、私の自然・山々・緑が浮かぶ。

「像で考える」とは、
目的意識的に頭の中の像を変化・運動させている状態。

「言葉で考える」とは、
ある・その言葉を像化にして、
その言葉からの像の変化・運動を、
別の言葉を使って像にしてやっている状態。

それは聖書の言葉ではないが…
「初めに言葉ありき」である。

これが科学なら、
「初めに知識ありき」である。

本来的には
「初めに体験ありき」
「次に体験の認識・像化」
「その為の言葉の像化」なのだろう…




例えば、犬を考える時、
実際に子犬から成犬・老犬、そして死犬まで飼っていた人の像は、
その犬の像の展開の全てが、自分が実際に飼っていた犬の成長・衰退・消滅に従っている。

しかし、犬を飼った事のない人なら、写真の犬、見た事関わった事のある人の犬、
触った人の子犬、関わった老犬、噛まれた成犬…道で見た車に引かれた死犬…等のモノである。
そんな中途半端な像で、正しく、生々・生成・発展・衰弱・消滅…の犬象を描ける訳がない。

これは、色々な犬の写真を集めて、並べて犬の一生を見ようとする取り組みと同様である。
例えるなら、犬の一生像が、犬の弁証法像であるなら、犬の写真像は犬の知識像である。
ゴールデン・レトリバー犬の、子犬、成犬、老犬、病犬…状態を知っていて初めて、犬の一生の流れ的に並べられるモノなのだろう。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初夢の話 | トップ | 観念的と唯物論的について… »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

想い思い考える」カテゴリの最新記事