体罰と教育的指導の区別と連関~
昔、息子が幼かった時、私に「パパって、何でそんなに怖いの?」と聞いてきた事がある。
そこで私は、以下のような事を言った。
「パパが怖いのは、○○にもっともっと、しっかりして欲しいから!」
「例えば、○○が、先生の言う事がきけない・やりたくない時があった時…」
「パパの、その怖い顔を想い出して、自分にやらせる事ができるようになる為…」
そんな事を説いたが…果たして当時の息子にどこがどこまで分ってくれたかは謎である。
ただ…言える事は、それ以後、特に「恐いから嫌だ!」という表情をしていなかった。
そうそう…塾の講師の時、子守りも兼ねて息子を私のクラスに入会させた。
その時も、他の児童が、少々ふざけても叱る事無く、息子には厳しく叱りつけた。
それでも…彼は、ふて腐る事無く、普通に受け止めていた。
ただ…当然に彼には、「○○は息子だから厳しいんだよ」と優しく説いたが…
そんな息子は、私に似ないで~
成績優秀・中学の成績は学年で一番(一番は二人)、
また、運動能力も抜群で、高校のスポーツテストでは「A」評価…
以前、勤務している小学校で「シャトル・ラン」をしていたので…
息子に、スポーツテストでやった…「レベル幾つまでいった?」と聞いたら「レベル72(73?)と答えたので、
「学年の最高は?」と聞いたら、「残ったのが僕ともう一人だけだったので、
「72(73)で終了!」それ以上は測らなかった。
その言葉の感じから、私は、まだまだ走り続けられた、ようだと感じた。
体罰と教育的指導の相違は、
指導者が、自身のその行為を被指導者に、「体罰ではなく、教育的指導」だと納得させられるか…の違いである。
例えば、授業中に、先生の話の際中に、
お喋りしていた児童を「立たせる」事は、直接に授業と直接関係ない行為と言い得る。
その児童が、僕だけ…じゃないのに…と反発されたら…「アウト」
そこで、教師が、その児童の間違いを確り分からせられたら、教育指導。
それを分からせられなくて、そのままなら、単なる教師の自己満レベルの「体罰」。
立たせる理由は、座った状態で「おしゃべり」は出来ても、
立たされての「おしゃべりなら普通はでき難い」。
立ってまで、お喋りされたら、日頃の教師の指導不足であろう。
これは、一時的な緊急的指導であり、私語を無くす為の根本的な解決はなり得ない。
例えば、忘れ物や宿題忘れで、教室の外に立たされる事は、私の時代では普通だった。
その理由は、忘れ物・宿題忘れは、勉強の自覚不足で、精神が弛んでいる…と言われた、ような…
本来、これは、立たせる事が目的ではなく、「忘れ物マズイ!」
「忘れ物」は「立たされる」、そのは「都合が悪い・嫌だ!」を体に教える行為だったのだろう…
しかし、先生によっては、自分が教えたい事が教えられない不満から「立たせる」事もあった。
「殴る・蹴る指導」で、被指導者に教育的指導と納得させるのは無理。
なので、それらは「体罰or教育的指導」以前の問題ですね。
昔、息子が幼かった時、私に「パパって、何でそんなに怖いの?」と聞いてきた事がある。
そこで私は、以下のような事を言った。
「パパが怖いのは、○○にもっともっと、しっかりして欲しいから!」
「例えば、○○が、先生の言う事がきけない・やりたくない時があった時…」
「パパの、その怖い顔を想い出して、自分にやらせる事ができるようになる為…」
そんな事を説いたが…果たして当時の息子にどこがどこまで分ってくれたかは謎である。
ただ…言える事は、それ以後、特に「恐いから嫌だ!」という表情をしていなかった。
そうそう…塾の講師の時、子守りも兼ねて息子を私のクラスに入会させた。
その時も、他の児童が、少々ふざけても叱る事無く、息子には厳しく叱りつけた。
それでも…彼は、ふて腐る事無く、普通に受け止めていた。
ただ…当然に彼には、「○○は息子だから厳しいんだよ」と優しく説いたが…
そんな息子は、私に似ないで~
成績優秀・中学の成績は学年で一番(一番は二人)、
また、運動能力も抜群で、高校のスポーツテストでは「A」評価…
以前、勤務している小学校で「シャトル・ラン」をしていたので…
息子に、スポーツテストでやった…「レベル幾つまでいった?」と聞いたら「レベル72(73?)と答えたので、
「学年の最高は?」と聞いたら、「残ったのが僕ともう一人だけだったので、
「72(73)で終了!」それ以上は測らなかった。
その言葉の感じから、私は、まだまだ走り続けられた、ようだと感じた。
体罰と教育的指導の相違は、
指導者が、自身のその行為を被指導者に、「体罰ではなく、教育的指導」だと納得させられるか…の違いである。
例えば、授業中に、先生の話の際中に、
お喋りしていた児童を「立たせる」事は、直接に授業と直接関係ない行為と言い得る。
その児童が、僕だけ…じゃないのに…と反発されたら…「アウト」
そこで、教師が、その児童の間違いを確り分からせられたら、教育指導。
それを分からせられなくて、そのままなら、単なる教師の自己満レベルの「体罰」。
立たせる理由は、座った状態で「おしゃべり」は出来ても、
立たされての「おしゃべりなら普通はでき難い」。
立ってまで、お喋りされたら、日頃の教師の指導不足であろう。
これは、一時的な緊急的指導であり、私語を無くす為の根本的な解決はなり得ない。
例えば、忘れ物や宿題忘れで、教室の外に立たされる事は、私の時代では普通だった。
その理由は、忘れ物・宿題忘れは、勉強の自覚不足で、精神が弛んでいる…と言われた、ような…
本来、これは、立たせる事が目的ではなく、「忘れ物マズイ!」
「忘れ物」は「立たされる」、そのは「都合が悪い・嫌だ!」を体に教える行為だったのだろう…
しかし、先生によっては、自分が教えたい事が教えられない不満から「立たせる」事もあった。
「殴る・蹴る指導」で、被指導者に教育的指導と納得させるのは無理。
なので、それらは「体罰or教育的指導」以前の問題ですね。
それでもネットで体罰に関することを述べている場所を覗くと私にも理解できるし共感できることが書かれているので端的には自由びとが説明が下手だからだと判断します。
おそらく自由びとは教育学者ではなく現場の実務者なのだと思います、学校教育という世界の。そのことが、実際に教室で児童教育の実務は行えるが、自分がやっていることを保護者や一般人に理解できるものとして説明することが出来ないということに繋がっているのだと考えますね。
私も学校教育の世界に住んでいませんから、学校教育で禁止されている体罰に「廊下に立たせる」というのも入っているというのは自由びとのコメントを見てから知りました。私も小学校のときは廊下に立たされたことがありますから。
様々なことが歴史的に行われていきますから、学校教育法で体罰禁止なんてことが定められたのは戦後の昭和22年からだということも歴史を辿れば理解されるものです。それは当然に、それ以前の戦中や戦前の学校では「鉄拳制裁」が行われていたからです。それが当然だと行われていた時代には、それを正当化する理由づけがありました。
自由びとは一介の、それも低レベルの教育実務者でしょうから、校長や教頭のように「学校で指導されている中身の説明」など出来なくても構わないのでしょう。
私は、私の書いたものを読んで密かに過去の記載に手を加えて書き足している自由びとの内側から出てくる欲求に、ただ呆れて苦笑するばかりですよ。
ですので「教育」について調べることは、ある意味で「時間の無駄」でもあり「教養」の範囲に留まるのも否めません。
ですが、良い機会ですから少し調べてみると、一口に「子供の教育」といわれるものが大きく「家庭教育」と「学校教育」とに区別されていて、「家庭教育」に関わる関係法規が「民法」だとかであるのに対して「学校教育」に関わる関係法規が「学校教育法」だという図式のようですね。
その本来は「家庭教育」に入る「しつけ、生活指導」がヨーロッパなんかと違って学校教育に求められる傾向があることが、学校がブラック企業=安い給料でどこまでの労働をさせるのか?という教員の不満に繋がっている面があるとか。
正面切って「私どもは、しつけ教育をやります」と謳っている小学校は私立で2万円の入学試験料を取り、20万円の入学金と60万円の年間授業料を取るところだったりしました、調べたなら。
>弥勒
>・コメント
>私の理解力が足りないから?か、自由びとの書いていることは良く分かりません。
>それでもネットで体罰に関することを述べている場所を覗くと私にも理解できるし共感できることが書かれているので端的には自由びとが説明が下手だからだと判断します。
↑
そうでね…
私は、自分の思った事・考えている事を、相手のレベルで、相手も分かるように説く事が苦手のようです。
過去に、友達に゜物理の問題の解き方を教えて」と頼まれて、私の考え・やり方を説明したのですが…分かって貰えなかった経験があります。
先日は、小四の児童に算数の解説をしていたら、「先生、速くて分からない!」と言われました。
私は、性格的に「セッカチ」で、自分が分かっている事を相手にも分かるようにゆっくり順々と解説する事が苦手です。
>おそらく自由びとは教育学者ではなく現場の実務者なのだと思います、学校教育という世界の。そのことが、実際に教室で児童教育の実務は行えるが、自分がやっていることを保護者や一般人に理解できるものとして説明することが出来ないということに繋がっているのだと考えますね。
↑
「実務者」ですか?
「実務」というのは、「理論(理屈)や経営ではなく、目の前にある実際にやるべき具体的な仕事」のことを意味しています。
う~ん…
私は、大学で教職単位を取らずに、教鞭をとった関係で「教育理論・理屈」を、後から学びました。
言うなれば、教育実践が先で、理論・理屈は後付け…ですかね。
それでも、「論理・理論」という事に興味・関心を抱いたのは、大学三年の頃ですかね…
確かに、私の教室での指導を、その場にいる子供達は納得させられても、保護者を納得させるのは至難でした。
確か、小3の運動会の練習指導で、「大玉転がし」の転がし方を間違えて、
ボールと一緒に転がって「前歯を折った」児童がいました。
保健先生から「歯は欠けたけど、怪我はないから大丈夫」と言われ、
そのまま練習して普通に帰宅させた所…
保護者からクレームがきて、後日主任教諭と家庭訪問です。
そこで知ったのは、
父親が日頃から子供に「骨は折っても治る、でも歯を折ったら戻らない」と言っていた事です。
話の中で、「運動会の全体行進は何の為?」・「あんなもの不要!」とか…
また、今回の件は「うちの子が悪いの?」とか…
色々な不満が語られました。
結局、私は反論が出来ずに、ただ彼の前で正座して「すみません!」の反省だけでした。
私の反省とは以下です。
一つ、保健の先生の言葉を鵜呑みにして、「歯が欠ける」事の重大性を当事者・保護者の立場で考えられなかった事。
二つ、転がし方の指導、間違った転がし方の危険性の認識が甘かった。
正しい転がし方は、大玉の下から上に、危険な転がし方は、上から前へ押す。
この児童は上から前に押した結果、大玉と一緒に前に転がり、歯から地面に…折れた。
その後、色々調べて考えて分かった事は以下です。
運動会の「全体行進」の意義は、
自分の手足・呼吸の動きを全体に合わせる事で「集団的行為・行動がとれる訓練」
また、「誰が悪いの?誰の責任?」については~
責任は自己責任です。確かに私の怪我への認識の甘さはありました。
それでも、「お玉の転がし方の説明・解説」をしたのは、私でなく、ベテランの主任・先生でした。
彼女は、競技前に地面の状態・石ころ・邪魔なゴミをスッカリ掃除して、
間違った転がし方の危険性の説明の確りしていました。
なので、怪我の責任は、正しい転がし方をしなかった「その児童」にあります。
責任は児童で、先生の方法を守れなかった行為が結果的に「悪い事・歯の欠損」は事実。
それでも、そんな彼は「先生の注意を無視した」のではなく、
「速く転がしたい・もっと速く転がそう!」という気持ち・強い感情が…
先生の正しい「下から上に押し上げる」」より、間違った危険な「上から前へ押す」を無意図的に選択してしまった。
何しろこの児童、小六の修学旅行で、「女子風呂」を覗いて叱られた。そんなやりたい・思った事は即実行・児童でした。
~当時の私に上記のような説明・解説が可能だったら、もっと保護者と腹を割って話せた事だろう…(後悔・反省)
因みに、上記の保護者・父親は、卒業生で、学校の教員にも友達が多く、私の叔父とも親しい者でした。
その後、聞いた話ですが…「まあ~…若いからしょうがないでしょう…」と言って…納得・分かって貰えたようです。
>私も学校教育の世界に住んでいませんから、学校教育で禁止されている体罰に「廊下に立たせる」というのも入っているというのは自由びとのコメントを見てから知りました。私も小学校のときは廊下に立たされたことがありますから。
↑
「>私も小学校のときは廊下に立たされたことがありますから。」とは、年齢詐称が発覚ですね。
これ今は体罰でも、当時は、立派な教育的指導法だったのです。
体罰の理由は、廊下に立たせる事で、その子教科・学習の妨げになる事。
立たせる事が、直接忘れ物の改善わ直結していない。(間接的過ぎる)。
結局、現代社会は、何でも出来る限り「最短距離」で達成・トンスタントな時代ですかね…
>様々なことが歴史的に行われていきますから、学校教育法で体罰禁止なんてことが定められたのは戦後の昭和22年からだということも歴史を辿れば理解されるものです。それは当然に、それ以前の戦中や戦前の学校では「鉄拳制裁」が行われていたからです。それが当然だと行われていた時代には、それを正当化する理由づけがありました。
↑
同感です!
その正当化が「可能だった」、最大の理由は以下です。
教師と保護者間の信頼感であり、国民の國家への信頼感。
國家のやる事に絶対に間違いない!
教職は聖職・先生は絶対的に正しい!。
>自由びとは一介の、それも低レベルの教育実務者でしょうから、校長や教頭のように「学校で指導されている中身の説明」など出来なくても構わないのでしょう。
↑
私には、私が納得可能な事が第一です。
ただ問題は、私は納得できても、私の、その理解の仕方で、
他人をも納得させる事が下手なのですね。
私は元々理科系で、一回目の大学は工学部・電子工学科。
公式の理解・駆使は、得意でも、その理解の仕方・使い方の解説は、不得意でした。
そんな過去の私でも、
「武道の理論」シリーズ、「武道講義」シリーズ・南郷先生…との色々な出会いの中で、
今は、過去の私より、より鮮明に自分の認識が観られるになっています。
それでも、元々読書嫌い・文学嫌い・社会・歴史嫌い私には、自己の認識を言語表現するのが苦手のようです。
理解語彙は、年相応にあっても…不足分はネット検索で何とかカバー可能でも…
使用語彙は、とても少なく、ネット検索でもカバーにも難しさを感じている今日この頃ですね。
>私は、私の書いたものを読んで密かに過去の記載に手を加えて書き足している自由びとの内側から出てくる欲求に、ただ呆れて苦笑するばかりですよ。
↑
>「私の書いたものを読んで密かに過去の記載に書き足して…」とは、これは、お宅的な思考の成せる技ですね。
「お宅の書いたもの」とは、ここでのコメントの事ですか?
だとしたら、「密かに」は、適切な表現とは言えませんね!
書き込まれたコメントは、堂々と読むのが当然で、「密かに…」は可笑しいですよ。
ただ「過去の記載に書き足して…」のは、結果的に事実でしょう…
それでも「過去に書かれた私の記述は、当時の私の認識の言語化」なのです。
その過去の認識で、お宅のコメントを読んだ時、「過去の事実の中で忘れていた事が想起」があります。
これは、先日、高校時代の同級生は、熱海で「温泉麻雀」をやりました。
その中で、高校時代・大学時代、更に前回九月の「温泉麻雀」の話で花が咲きました。
その中で、私は、前回の湯河原「温泉麻雀」で、
私が「水筒を忘れてチェックアウト」した事。
Tが、ルームキーを返し忘れてチェックアウトした事。
そして、二人で、帰りの電車を途中下車してホテルに戻った事。
それらの事を思い出しました。
彼らと話していなければ、全て忘れ去っていた事です。
お宅の言説には、時々…過去の私の想い出・思考・思惟…を刺激して、思い出させてくれる事があります。
そんな時、過去の記憶・認識が刺激され、新たな想起・認識が発生したなら、
「過去の記載も書き足される」事は当然の結果です。
これは、書かれた事実だけから、比較するなら単なる「言葉の付け足し」のように見え・思えても…
それは、その記載され当時の私認識の変化があったから、「言葉の付け足し」であり、
これは「私にとっての事実」であり、
私の認識変化が見えない・分からない―お宅にとっては「単なる言葉の書き足し」ですかね。
>弥勒
・>コメント
>私には実子がいませんし、「人の親となり子供を育てる過程で親として人間として成長する」ということを実体験する場に欠けていることは確かですね。
>ですので「教育」について調べることは、ある意味で「時間の無駄」でもあり「教養」の範囲に留まるのも否めません。
>ですが、良い機会ですから少し調べてみると、一口に「子供の教育」といわれるものが大きく「家庭教育」と「学校教育」とに区別されていて、「家庭教育」に関わる関係法規が「民法」だとかであるのに対して「学校教育」に関わる関係法規が「学校教育法」だという図式のようですね。
>その本来は「家庭教育」に入る「しつけ、生活指導」がヨーロッパなんかと違って学校教育に求められる傾向があることが、学校がブラック企業=安い給料でどこまでの労働をさせるのか?という教員の不満に繋がっている面があるとか。
>正面切って「私どもは、しつけ教育をやります」と謳っている小学校は私立で2万円の入学試験料を取り、20万円の入学金と60万円の年間授業料を取るところだったりしました、調べたなら。
↑
そうそうお宅に言わせると「…密かに読んで書き足し…」でしうが…
教育にいても記事に教育全体像を構想しています。
そこには、
教育時期・教育機関
小人時代・中人・大人・成人時代・社会人時代・退職後教育
家庭教育・学校教育(義務教育・高等教育)・社会教育(職場教育・社内教育)・老人教育(趣味・娯楽・教養教育)…
なんて…構想・認識は色々でも、言語化に困っています。
躾とは、ネットとは、ネットに書かれていましたが…
「躾とは、家庭と極小集団の中で、初めは母親と赤子乳幼児のマンツーマン教育。
次第に、保護者・兄弟・親類…の小集団の教育。
そんな中(一人から数人内での)基本的な生活習慣の教育・学習・修得・体得を求めての教育です。
その基本は、
「自分の出来る事自分でやる」「できない事は他人に聞く・助けを求める」。
「自分でできる事は他人に頼らない」・「他人は出来ない、自分はできる事は手伝う」。
「できない事で、周囲に助けになる他人いない場合はトライする」
「面倒・嫌な事でも、必要な事は、やる努力をする」
「嫌いな食べ物でも、一口は食べよう。」
何事も「臨機応変」に!
そうそう、息子が生まれて、私が育児で拘った事は、
誰か有名な人の育児書(南郷氏のが読んだ推薦)に書かれていた「乳児幼児は、なるべく屋外へ~」だった。
そこで、私に時間があれば、抱っこ紐でまだ歩けない息子を近くの中央公園に散歩へ行った。それは、真冬でも…だった。
後から、分かった事は以下のような事である。
後に弁証法をより深く・広く学び続けて、分かった事。
自分で歩けない乳幼児には、徒歩・移動による変化・運動は皆無で、
全身・皮膚・触覚・視覚・聴覚・味覚が変化・運動であろう。
そんな中で、屋内から屋外への変化・運動性、
屋内の狭く近い視野から屋外の広く遠い視野への変化・運動、
屋内の小種類の機械的な音声から、屋外の不規則・複雑な音声への変化・運動性、
味覚は、まあ~屋内の暖かい口内空気の味から屋外の冷たい空気の味への変化・運動性、
また、抱っこされての移動による全身への感覚…
こんなそんな変化・運動性を、当時は週一の塾講師のバイトがてら、時間・暇さえあれば、連れ出した。
また、息子が歩けるようになったら、今度は、歩いて散歩、それも多摩川の砂利の河川敷への散歩、
そこで、「石ポ~ン!」を毎回やった。砂利といっても、大きめの石もゴロゴロで歩き辛かった。
また、マンションの一階から二回の階段では、ボールポーンをやった。
極めつけは、ディズニーランドへ行った時、息子と同年代の従兄弟が一緒で、
回っている途中に、その従兄弟は「疲れた!と言って父親(義弟)が抱っこした。
息子も「抱っこ!」と言ったが、私は、「ババも疲れて抱っこできない!」と断った。
義弟は身長180近くあり、身体の確りしてしても私とは大違いである。
実際は、無理をすれば、息子を抱っこしてあるけない事はなかったが、
「自分の事は自分でやる」・「自分である事」を躾たかった…
そもそも…そんな疲れているなら、乗り物やアトラクションに参加…は不可能の筈…
私は、息子の教育には、大きな成功を収めたようだ…
それもこれは、あの育児書に書かれていた事を、ただ実践しただけ…なのに~
ただ、その成功の裏には、初めての教員生活での多くの失敗(当時は成功・後から考えての失敗)があったのだが…
・
屋内から、自然が豊かな屋外・公園へ大きな変化は、
何よりも「全身の触覚・体感温度・湿度の変化」…。
私の徒歩による「全身の上下運動の体感運動の感覚変化」…。
呼吸する空気の温度変化・内容・成分の変化。
何しろ、市内では最大の多摩川の河川敷横の「中央公園」だったから…
都会の中での「自然の宝庫」なのだろう…
四季による公園全体の変化も、また格別なものがあった…
多分、その効果だろうか
生後直ぐ「内反足」が分かり、一年間片足ギブス固定で窮屈だった息子が、
ギブスが外れた後も~
幼稚園で「体操クラブ」、二年生で「サッカー」、高学年で「空手」、
中学は「野球部」、高校は「剣道部」、大学は「アルティメット」サークル…
運動神経が抜群で、中学の運動会の代表リレーでは、
一・三年で、新記録の更新をやり遂げている。
もっとも…その時は、息子とは幼稚園で一緒だったTU君の存在があったが…
それは、中二で二人が別々の時には、新記録が出なかった事から考えられる。
高校のスポーツテストで評価が「A」の息子は、
私とは大違いで…私には非常に嬉しい事である。
まあ、それでも自由びとが綴っていることを「嘘くさい」と相手にしないことも可能ですし、実際に私は自由びとが大学で電子工学を専攻したといった経歴にも半信半疑ではあります。それは確認し得ないことですし、どうでも良いことだとも思いますし。
唯一、自由びとが書いている次の記載
>教師と保護者間の信頼感であり、國民の國家への信頼感。
>國家のやる事に絶対に間違いない!
>教職は聖職・先生は絶対的に正しい!
私はこれには異論があります。
歴史を辿ってみれば日本という國家は天皇を頂点とした一枚岩ではありませんでした。
それぞれの人間が様々な思惑を持って生きていましたから、「学校の教師」というイワユル一つの職業で収入を得ている者に特権などありませんでした。
日本史を調べてみれば分かるように天皇を中心とした中央集権國家が成立した後も天皇家の政策に異を唱えて武力・武威を持って自らの意見に譲歩させた勢力など多々あります。
それをもって「尚武」というのかは、まだ勉強不足で断定は出来ませんが、板垣退助を刃物で刺したのも学校教員でしたし、教員が何から何まで正しいなんて考えていた人はどれだけいたでしょうか?
太平洋戦争で敗戦するまで日本は大日本帝国憲法を立てた立憲君主制で、國民は「臣民」つまり「天皇陛下の家来」だったわけです。その「臣民」の教育は「教育勅語」という天皇陛下(明治天皇)が直々に被支配層に向けて発した思想に基づいて行われていました。
そして國家の刑法として「不敬罪」つまりは「天皇や皇族を尊敬していなければ逮捕されて懲役にされる」というのがあったわけです。
南郷先生なんかは1933年生まれですから、ちょうど尋常小学校が国民学校に変わった頃に小学生でしたから、学校の授業では必修科目として「武道」があったようですね。南郷先生が大学で空手をやる以前に大菩薩峠だとか姿三四郎だとかに憧れたのは、たまたま偶然にそれらの本を読んだということではなく当時の日本人教育の必然性だった可能性もあります。
天皇陛下を尊敬しない人間に國家権力たる警察が出動してゲバルトを振るう「不敬罪」のように、学校教員が自分に従わない生徒を鉄拳制裁(ゲバルト)するのは「天皇陛下の臣民」という《共同幻想》に基づくものだったように思いますね、私は。
南郷先生なんかは天皇陛下(昭和天皇)のことを「天(てん)ちゃん」と呼んでいましたから、戦前なら間違いなく「不敬罪」で警察に連行された人間でしょうね。
松田道雄さんでしたっけ?私も読んだことはありませんが、京都大学医学部出身の小児科医だとあります。
今度買って読みたいと思いますね。
>弥勒
>・コメント
>自由びとは学校教員として私のような立場では得ることが叶わない貴重な体験を数多くしてきたようですね。人間の生きた体験というのは何よりも尊いものだと私は考えます。
↑
>「人間の生きた体験というのは何よりも尊いもの…」には、私も同感です。
それでも、より尊いモノは「その体験の経験化」であり「経験の論理化」だと、私は考えます。
この場合の「体験とは、浅く・狭く・薄い感情」であり「経験は、深く・広く・あつく強烈な感情」。
なので、ある強烈な体験は、その一回で経験となり得ます。
その自分だけの経験の結果・学習・修得したモノを他人に分ってもらう為、
または、それを教育手段にする為には「その論理化」で必要です。
私の個人的な体験・経験した事実では、
「へ~それて自由びと個性的経験…で、私にはあり得ない!」となり得ます。
>まあ、それでも自由びとが綴っていることを「嘘くさい」と相手にしないことも可能ですし、実際に私は自由びとが大学で電子工学を専攻したといった経歴にも半信半疑ではあります。それは確認し得ないことですし、どうでも良いことだとも思いますし。
↑
この「半信半疑」が、お宅と私の大きな違いだと思います。
そもそも…私が○○大学・工学部・電子工学科を五年かけて卒業した事は事実なのです。
例え、それが「虚偽」としたら、その嘘で私に何の得があるのでしょうか?
また、お宅にどんな損害がある、のでしょうか?
互いに何の利害関係のない話なら、私なら、その言葉を信じて言説の内容を考えますがね…
私の思考・思惟過程で矛盾を読み取った時には、その「信じた内容の再検討」をしますがね…
他人の言葉を信じ読み取り、その他人の言動から、疑問・不信が生じたら、事実と信じた事の再検討!
それは、ある意味、私の今の人生の生き方なのかも…
>唯一、自由びとが書いている次の記載
>>教師と保護者間の信頼感であり、國民の國家への信頼感。
>>國家のやる事に絶対に間違いない!
>>教職は聖職・先生は絶対的に正しい!
>私はこれには異論があります。
>歴史を辿ってみれば日本という國家は天皇を頂点とした一枚岩ではありませんでした。
↑
反論~
私は、歴史が苦手で詳しいないのですが…
そのそも「國家」以前は、ただの「むら・共同体」でしょう。
その共同体には、統治者がいた事でしょう。
それは「猿の群れ」の中のボス猿のようなモノでしょう。
それぞれの人間が様々な思惑を持って生きていましたから、「学校の教師」というイワユル一つの職業で収入を得ている者に特権などありませんでした。
↑
「特権」ではなく、職務・義務・遂行為の多くの手段です。
それらの手段は、教師に認められた、教師だけの特権なのです。
教師と保護者間の信頼感であり、國民の國家への信頼感。
國家のやる事に絶対に間違いない!
教職は聖職・先生は絶対的に正しい!
何事も、初めに「信じる事」から始める事が必要だと私は考えます。
信じた結果が、私の感情・思考・思惟と矛盾した時、初めて「不信・疑惑」が生まれます。
その「不信・疑惑」と「信じた事」の間の矛盾を考える事が、思考・思惟の変化・運動の始まりでしょう。
例えば、自分は教師を信じていても、自分子供が教師に不信を抱いた時、
私は、その教員と対話します。「何故か…息子には…不満がある、ようです。
そこで、その叱り方・事実を聞き、教師の想い・考えを知り、息子の不満の理由を探します。
実際、過去に学童保育での息子は、結構いたずらで…呼び出された事があります。
そうそう…息子の事で、思い出しました。
息子が、まだ小学生低学年の時、家内の実家の夕食中の事、
息子がみんなを笑わせるような事をしました。
そこで、息子と同学年の従兄弟が大笑い、息子は嬉しそうに話し続けます。
祖母が、「食事中…うるさい!」と言っても「従兄弟は笑い続けました」
息子のいい気になって、話を続けます。
そこで私は息子に、厳しく「〇〇!やめて!」と注意しました。
すると…息子は不満だったらしく、
半ベソで「何で○○(息子)に言うの?」・「何で××(従兄)に言わないの?
私は、瞬時にその気持ちを理解して…
「だって××はバーバー(祖母)が言っても聞かないでしょう…」。
「でも…○○が黙れば、××も止めるでしょう」。
一般的に言って、
小声で冗談を言って、大声で笑ったなら、うるさいのは、「大声の方」。
「お前死ね!」と言って、相手が「自殺」しても、罪には問われません。
しかし、成長過程子供への教育場面では、法律・常識的な悪い・良い…ではなく、
人間としてより豊から感性の教育の為に、双方への指導が必要です。
集団指導中の「ひとり」としての、その子供への教育・指導・態度・言動…
個人指導の中で、その子供への教育・指導・態度・言動…
この二つは、違っている必要があります。
そりよい教育・指導結果を得たいなら…
>日本史を調べてみれば分かるように天皇を中心とした中央集権國家が成立した後も天皇家の政策に異を唱えて武力・武威を持って自らの意見に譲歩させた勢力など多々あります。
↑
私の書いた以下の言説は、現代の日本國についての事実的限定です。
教師と保護者間の信頼感であり、國民の國家への信頼感。
國家のやる事に絶対に間違いない!
教職は聖職・先生は絶対的に正しい!
>それをもって「尚武」というのかは、まだ勉強不足で断定は出来ませんが、板垣退助を刃物で刺したのも学校教員でしたし、教員が何から何まで正しいなんて考えていた人はどれだけいたでしょうか?
↑
國家の法律で禁止されていても、殺人する人はいます。
教員としての正しさは、教員が児童・生徒・学生に対する教育内容・教育手段…であり、
教員として正しくても、一般的な人して正しくない言動は、当然ありえます。
>太平洋戦争で敗戦するまで日本は大日本帝国憲法を立てた立憲君主制で、國民は「臣民」つまり「天皇陛下の家来」だったわけです。その「臣民」の教育は「教育勅語」という天皇陛下(明治天皇)が直々に被支配層に向けて発した思想に基づいて行われていました。
>そして國家の刑法として「不敬罪」つまりは「天皇や皇族を尊敬していなければ逮捕されて懲役にされる」というのがあったわけです。
>南郷先生なんかは1933年生まれですから、ちょうど尋常小学校が国民学校に変わった頃に小学生でしたから、学校の授業では必修科目として「武道」があったようですね。南郷先生が大学で空手をやる以前に大菩薩峠だとか姿三四郎だとかに憧れたのは、たまたま偶然にそれらの本を読んだということではなく当時の日本人教育の必然性だった可能性もあります。
>天皇陛下を尊敬しない人間に國家権力たる警察が出動してゲバルトを振るう「不敬罪」のように、学校教員が自分に従わない生徒を鉄拳制裁(ゲバルト)するのは「天皇陛下の臣民」という《共同幻想》に基づくものだったように思いますね、私は。
>南郷先生なんかは天皇陛下(昭和天皇)のことを「天(てん)ちゃん」と呼んでいましたから、戦前なら間違いなく「不敬罪」で警察に連行された人間でしょうね。
↑
お宅って、天皇=國家、なのですか?
確か、現代の天皇は「象徴」でしたね…
確かに、過去に天皇が中心だった時代もあるでしょうね…
というか…確か、國の統治者を「天皇」と命名したのでは?
でも途中から、征夷大将軍?…が誕生して、現代は三権分立でしょう。
以下の事実を考えて下さい!
例えば、自分自身が信じられず、いつも自分自身の事を信じらない人は、真面に生きていけますか?
私にはあります。過去の私に、そして今の私にもあります!
過去の強烈な体験・経験があります。
それは、教員なり立ての一週間後におかしくなった時の事。
着替えの時に、ズボンを穿き終わって、ズボンが見えている。ズボンが触れる…
なのに、「ズボンはない。穿いていない!」そんな疑いを抱いてしまっていた。
五感情報では、「ズボンを感覚」しかし、その情報では、「穿いていない」疑惑の解消が難しい…
そこで、私「ズボン穿いているよね!」、母「穿いているよ!」と確認。
國家に生まれ、その國家の一員になった國民が、
初めに國家を信じられずに、何を信じて社会人生を生き始めるの?
両親・保護者が、子供の可能性を信じられず…
両親・保護者が、人を信じられる子供に育てられず…
子供が、両親・保護者を信じられない…
私は、思う!全ての始まりは「信じる事」。
過去は「神を信じ」、今は「科学を信じ」
時に「事実を信じ」、時に「論理を信じ」
「信じる」から「疑う」、「信じている事」が本当だと思いたいから「疑う」。
「事実は本当」でも「真実の違う」。
事実は、その人間にとっての、その時・その場・その人に限定のモノ。
真実は、人類全体にとっての、時も場所のなく、絶対的に正しいモノ。
>弥勒
>コメント
>>誰か有名な人の育児書
>松田道雄さんでしたっけ?私も読んだことはありませんが、京都大学医学部出身の小児科医だとあります。
>今度買って読みたいと思いますね。
↑
多分…その人でしょう。
私の記憶だと、南郷氏のどれかの著書に、育児関係の二人か三人の名称が書かれていて、
南郷氏は、御自分の育児に非常に役立った!と書いていた…かな?
そこで、私も、その書かれていた人達の著書を図書館で借りて読んだと思います。
そして、その中の一人の著書に~
「赤ちゃん?乳幼児?子供?は、なるべく外へ付け出し外気に触れさせる」…
そんな言葉が、強烈…というか、印象に残り…
私でも出来る事・簡単な事だと思って実行しました。
当時は、愛犬ゴールデンレトリバーの「マファ」の散歩が日課で、
○○を抱いての散歩も、全く苦にならず、ヒマ潰しにもなりっていたから…
今の私なら…どうでしょうね…?
出来る!やるかな?
自由びとの言葉には信じるだけの力がありません。相手を騙して自分の意図した方向へ持って行きたいだけの嘘の上塗りだけの発言だからですよ。
赤ん坊は「信じる」も「疑う」も出来ません。自然現象としての水が低きに流れることに「水の信心」など必要ないが如くに、赤ん坊は自分の快不快の感情を介して両親が導く方向に導かれて行きます。
そこに「信じる心」など存在しておらず、疑う心を持っていないのと同じように信じる心も持っていません。
お宅、否お前は自己主張を押し通したいがために「歴史の流れ」を説いて戦前の日本の事実を語った私の「戦前は鉄拳制裁が普通に行われていて國家や教育委員会の処罰の対象とはならなかった」という発言に「同意」しながらも、己れが勉強していないが故に知識不足なのを恥入ることもなく、「私は現代の話しをしている」などと誤魔化そうとしている。
それは全てがお前の実力不足、勉強していないことに収束する話しで、現代の日本国民が「日本国家」を信じたならば戦後に成立して現代まで続いている学校教育法の「体罰禁止」を素直に信じて、それを国民みんなが共有する基本的な教育観だとすることで「体罰はあってはならない!」と考えるでしょう。
戦後すぐの昭和22年に学校教育法という「学校教育」の範囲内で「体罰」が法律的に禁止されたのに対して、「家庭教育」の範囲たる「民法」で「体罰」が禁止されたのが21世紀に入ってからなのは「実親による実子の虐待死」という現実があっての法改正なのは、「しんじる」という4文字を繰り返す勉強していないお前でも否定することは出来ないだろう。
そんな「現代國家を信じる気持ちが希薄」な自由びとであるが故に「体罰は超優秀な教育者であるなら有効で構わない!」と現代日本國家に異を唱えて「体罰を加えて良い《超優秀教育者》」という「教員免許の上に存在する資格制度」を想定するのが「勉強していないお前、自由びと」の発想だろうが!
そもそもが玄和会は國家ではなく民間の空手団体(それも営利的な)であるし、南郷先生は公務員でなく私人の空手家に過ぎんでしょうが!
日本國家よりも南郷先生を信じているお前=自由びとが何を説得力の無い言葉を羅列しているのか!